第6話 月の香り
アラスタは混乱していた、視界が歪み、波打つほどに。
何が現実で、何が自分の作り出した妄想かも分からない、浮遊感にも似た精神状態、そんな中でもガマルが叫んでいるのだけは分かった。
一体何が起こったとフル回転している頭をゆっくりと巻き戻すようにして、再び自分の手を見た、そこには。
血液で濡れた手が震えて、そこにあった。
ケルト村を守る木製の外壁まで足を運んだ時、ミハイルとハルクはその有様を見て眉間に皺を寄せた。
見るも無惨に打ち砕かれ、そこら中に散った外壁は茅葺き屋根の家や店に突き刺さり、所々には焼け焦げた支柱が倒れている。
ここでようやくハルクは二対の槍を鈍い金属音と共に繋げ、両手で握り込む。
その時村の奥から女性の悲鳴が響いた、それは裏返るほどの叫び声で、そのあとすぐにそこに向かおうと走り出すが。
悲鳴を遮るように生々しい水音と共に何か砕けるような乾いた音が響いた。
村の残骸を飛び越えながら二人はようやくそこへ辿り着くと、そこには一点を中心にして、弾けたように、元は人であったような片腕と靴が脱げかかった片足がちぎれて転がり。
大量の血液と肉と臓物がまるでスムージーのように泡立ってそこら中に飛び散った物が、そこにあった。
そしてそれを不快な音で四つん這いになり啜る、巨大な影。
雲が切れ、その隙間から月光が放たれると、その巨大な影が照らされる。
巨大な人型、しかし巨大な岩のようで、チンケな村の外壁なら顔を覗かせる事が出来る、3メートルはくだらない大きさ。
それが乾いた返り血で茶色くなった体を、自分を抱き込むような姿勢で剥がしながら、内股気味で立ち上がり、ミハイルとハルクの方へゆっくりと歩き出す、その岩肌は石英のように白かった。
その顔にあたる場所は右側だけ卵の殻が割れたように砕け、その中から人の頭蓋骨のような顔を覗かせ、ぽっかりと落窪んだ右目を小さな瞳を転がるように動いて2人を目視し、ご馳走でも見つけたように軽石のような舌をゴリゴリと乾いた音をたてながら動かした。
「避難させたんじゃなかったのかい」
「あの死体を見ろ」
ミハイルがウォーピックを右手に握り、その少し下、柄についた白いボタンを左手で握るように押し込む、するとツルハシのように湾曲した先端の杭が熱気を帯びて赤熱していく。
ハルクはスムージー状の死体の方をよく見る、すると片足の方にある脱げかかった靴、血に濡れてしまっているが、白く、羽飾りのついた靴に見覚えがあることに気づいた。
探求者の付き添いをする者は必ず履く靴だ。
「私が戻れば正気を取り戻すとでも思ったのだろう」
「そっか、可哀想にね」
ハルクは柄頭を右脇に挟み、右腕を柄に絡ませるように支えて握り込み、槍先をゴーレムに向ける。
「あレン?あレん、ォマェ?おマえなノか?」
ゴーレムは石化した脳から壊れず残った数少ない記憶を引っ張り出し、意味もなく口から漏らす。
しかしその言葉にミハイルはすぐに気づいた、気づきたくはなかった。
あの死体の靴を見て薄々感ずいていたが、ハルクも気づいてしまった。
「アクセス、お前なのか?」
勿論返事はない、地面を揺らしながら内股でゆっくりと歩いてくるのみ。
「じゃあアレは、アレンなのかい?」
変わり果てた死体、知り合いであるアレンを見てハルクは構えた槍を震わせた。
「寄りにもよってお前なのか……すまない」
一方ミハイルは呼吸ひとつ乱すことなく、腰を落とし、左脚を踏み込み、上半身を右へと捻る。
ゴーレムはコールタールのような粘液を瞳から流し、体を左右に振りながら、ゆったりとした歩みから一変して、依然として内股で自身を抱きながら走り出した。
地面は揺れ、ゴーレムの体は自らの重さからかヒビがはいり、白い砂利をこぼしている。
そしてミハイルとハルクに覆いかぶさろうとせんばかりに倒れ込むが、2人はそれを二手に分かれるように回避する。
ハルクはその瞬間に、連結部から二対の柄を捻ると、先の穂が柄との間にあるワイヤーと一緒に射出され、ゴーレムの岩肌を砕くように食い込む。
その違和感からゴーレムはすぐに倒れ込んだその場で体を仰向けになるように捻じる、ワイヤーは体に巻かれるようになり、引っ張られたハルクはその回転に巻き込まれまいと、槍をしならせ背負い投げをするような体勢で踏ん張ると。
ゴーレムの胸に向けて避けた勢いと捻ったからだの反発力を使い、ミハイルがウォーピックを突き立てる。
ウォーピックが寸前で当たるその時、ゴーレムは丸くなるように蹲る、その状態にミハイルとハルクは本能的に危機を察知し。
ハルクは捻った槍を元に戻しワイヤーを巻き取り、ミハイルはウォーピックの先端を当てようとしていたゴーレムの胸へとそのまま標的を変えず振り落とした。
ハルクがいち早くその場から飛び退いた瞬間、暗闇に慣れていた目にはあまりに眩しすぎる閃光と、思わず顔を背けたくなるほどの熱気を纏う爆発のあとすぐに、ゴーレムが居るであろう場所を中心に、爆発による火球の広がりよりも素早く無数の棘がハルクの眼前まで迫り、幸いにもそこで棘が伸びていくのは止まった。
「ミハイル!!」
ハルクは叫んだ、いまの棘と爆発、心配しない者はいないだろう。
「大丈夫だ、少しばかり焦げたがな」
爆発の影響で辺りの民家や外壁の残骸が燃えたが、爆煙が晴れると、そこには火が燃え移ったテンガロンハットやチェスターコートを叩いているミハイルがウォーピックを肩にかけ、ハルクの元へと歩いていた。
ミハイルは爆破の衝撃波で自分が怪我を負うのと、ゴーレムの攻撃で死ぬのとでどちらを選ぶか選択を迫られ、前者を選び、しかもその衝撃波を利用して後方へ飛び退き回避することに成功していたのだ。
しかしその選択のせいで内臓を痛めたのか、ハルクはミハイルが暗闇でもわかるほど顔色が悪いのが分かった。
しかし無事だったことに安堵する暇をゴーレムは与えなかった。
「アレん!ァレン!!アぁレレンン!!」
胴体の中心を砕かれたゴーレムは再び全身から棘を発生させながら2人の元へと走り出す。
2人は何とか距離を取り棘の間をぬって回避することが出来たが、ここからが更に難題だった。
ゴーレムは全身の棘を1度引っ込めると、両脇を高く振りかぶり地面へと叩きつける、するとその延長線上に向けて大小様々な棘が地面を走るように発生、そして棘からまた枝分かれし新たな棘が瞬く間に伸びていく。
2人はゴーレムを中心に円のように走りながらその棘を足場に飛び越えたりなどして回避するが。
ハルクがゴーレムまでたどり着きそうになったその時、遂にそのひとつの棘がハルクの右ふくらはぎを貫き、その内部で枝分かれした棘によってヒラメ筋の大部分が弾け飛んだ。
その様に動揺したミハイルの太ももにも棘は迫り貫く、そしてこちらは切断するように左脚が宙を舞った。
ミハイルは地面に転がった左脚の元へと這いずる、痛みで視界が歪み冷や汗が止まらない。
ハルクもそのまま地面に落下し、その最中槍を捻った。
勢いよく飛び出した穂はゴーレムの顔辺りの棘に当たると刺さることも無く弾かれ、そのまま落ちていく。
ゴーレムは勝ち誇ったように石臼でゴマを擦ったような音と粘着質な水音を割れた顔の口から鳴らしながら、自身の体を擦る。
するとハルクは、ただ笑った。
「ミハイルちゃん……君のおかげだ、子供の時以来言ってなかったけど」
ゴーレムはふと胸元を見る、そこには棘を生やすことが出来なかった胸の穴に突き刺さった穂があり、ハルクの持つ槍へとワイヤーが伸びていた。
「君は最高だ!!」
そして捻る、その刹那ゴーレムは呟いた。
「アレ……ン」
そんな一言を最後に、ゴーレムは跡形もなく爆散した。
「流石探求者、アクセスのゴーレムだね」
ハルクはまた槍を捻ると、ワイヤーが巻取られ、穂が柄へと戻り、腰のポーチから白い包み紙を取り出すと、その中にあった白い丸薬を口にほおりこむ、するとふくらはぎの傷がうっすらと曖昧にぼやけ、震え出すと、気づけば傷はなくなっていた。
ミハイルもまた同じように丸薬をほおりこむと、切断された左脚の傷口同士をくっつけ、数秒もしないうちに足が動き出した。
「あぁ、久しぶりにこんなッ」
2人向かい合った時、ミハイルはハルクの胸へと寄りかかるように倒れる。
額を汗で湿らせ、すぐに嘔吐するミハイル、吐瀉物で服が汚れたハルクだったが、全く気にすることは無かった。
「手酷くやられたね」
「あぁ、早く報告しなきゃな」
ハルクがそんなミハイルを立たせようと両脇に腕をいれて抱き抱えたその時だった。
2人は腹に鋭い痛みを感じた。
互いに自分の腹を見る、そこには、腹の右半分抉るような穴がぽっかりと空いていた。
2人はその場で互いを支え合うように膝から崩れ落ちる。
そんな中2人は考えていた、ゴーレムの気配を互いに見逃すはずがない、ましてや攻撃ならゴーレムだろうが人間だろうが見逃すはずがない、一体何がと。
そしてそんなことよりも重大な事に気が付いた、服薬してからまだ少しも経っていない、いつもなら治るはずの傷が一向に癒える兆しがないのだ。
「ようやく、ようやくだ」
その声の聞こえた方へ、ミハイルとハルクは互いの武器を杖のようにして、今にも倒れそうな体を支えて振り返る。
そこには、光を帯びた月を背にした者が、空間を波打たせながらまるでその場から誕生したかのように足先から順に現れ、辺りの残り火で照らされたその顔は。
最初は老いた男の顔だったが、自身の水の中にいるかのような四方に揺らめく白髪の間から漏れた月光が肌に触れると、そこから広がるように皺やシミはなくなっていき、妖しい美貌を持つ少年へと変わっていき、そのまま地面へとつま先だけつけて浮遊するかのように着地し、2人をみて微笑んだ。
ハルクはそれを見て、ただ一言呟いた。
「ミ……ハイ……ルちゃん?」
「月の……香りの探求者……お前なのか?」
ミハイルは遂に槍を握る力すら失い倒れそうになったハルクを跪いた右膝にかけるようにして支え、まだ力が残っているミハイルがウォーピックをなんとかその者に向けて構える。
しかし手が震え、視界もぼやけだした時だった。
「亡くした者返えせとは言わない、ただ、君の持つそれで……還りたいのだよ、私は」
幾人かの男女の声が乱雑に混じりあった声がミハイルとハルクの鼓膜を揺らす、離れているのにその声は囁く。
「苦労させられたよ……ミハイルに、ハルク」
その瞬間、目には見えないが、確かな殺気の波が僅かに頬をくすぐった、しかしミハイルはもう避ける体力が残されていない。
そんな絶体絶命の中、ミハイルを救ったのは、ハルクだった、力を振り絞って立ち上がった彼は、ミハイルを突き飛ばす。
「また会おうね、ミハイルちゃん」
「ハルク!!」
そう叫んで手を伸ばそうとした時には遅かった、見えない何かがハルクに迫まった時、最後の力をなんとか絞り出したハルクは槍をその両手で握りしめ、月の香りの探求者の方へと踵を返し、その反動を使い槍を突き出し、槍を捻った。
そしてそのまま、見えない何かによって、ハルクは両足首から下を残し、削り取られたかのように消え失せてしまった。
しかし地面に激突したミハイルはゆっくりだがすぐに震える足を無理やりに動かし、ウォーピックを杖に立ち上がった。
最後に見たハルクの顔を思い、ただ口元に笑みを浮かべた。
「ただで済むと思うなよ、吠え面かかせてやるからよ」
ミハイルのその姿は、傷を負って瀕死の人間には見えなかった、獲物を見つけて殺気立つ狼のような気迫を、ただ月の香りの探求者へと向けるだけ。
そして一直線に月の香りの探求者の元へと走り出した、1歩1歩踏み出す度、ようやく治りだした腹の傷を再び広げては血を大量に滴らせる、もうとっくに気を失ってもおかしくないというのに、ミハイルの体から力が抜ける事は無かった。
そんな最中ミハイルは足元に転がる何かを、踵を返しながら拾いあげ、2つに分割、チェスターコートの裏側に括りつけると再び走り出した。
「傷が治りだしている、ミハイル、君も祝福を?」
月の香りの探求者は両手を地面と平行にすると、そのまま両手の平を合わせミハイルに向ける、そしてそれを開くと手と手の間の空間が収縮するように歪み、一点に集中すると同時に辺りの土がほんの少しその歪みに向けて移動する。
そして一点に集中した空間が急速に元の状態に戻り今度は拡大すると、目に見えない物がミハイルの元へと射出され、無慈悲にミハイルの腹部中央を貫く、避ける力はもう無かった。
「いやいやいやいやいやいやいやいや、有り得ない、祝福なぞ、君に祝福なぞ、有り得ない」
そのまま力なく倒れるかと思いきや、ミハイルの右足はその寸前、再び踏み出し、また走り出した。
「まだ…..だ!!ま……だ、まだ!!」
顔を上げた時、月の香りの探求者は背筋になにか冷たいものを感じた。
ミハイルの眼光に、月の香りの探求者はただ1歩後退りをしてしまった、その事実に彼自身気付いた時、額に青筋を浮かべるほどの怒りを覚えた。
「君なんかに恐怖する事があってなるものか!!」
再び手のひらを合わせようとした時、いつの間にかミハイルは眼前にまで迫っていた。
2人は睨み合う、その瞳は両者とも同じものがあった。
そしてミハイル気付いた、月の香りの探求者を鼻の先が触れるほどの距離で見てようやく。
「お前は!!」
振り上げたウォーピックが止まった、その隙を見逃さない月の香りの探求者は合わせた両手を直接ミハイルの下腹部へと押し当てる。
ミハイルは宙を舞い、しばらくして地面へと落ちる、その時に気がついた、目の前には膝より下の両足だけがあり、それが自分のものだと。
息が切れた月の香りの探求者はそんなミハイルを見て不敵に笑い、叫んだ。
「はっはは!!ははははは!!これで私は!!ははは!!」
しかし月の香りの探求者は気がついていなかった、自分の技で引き寄せてしまった物を、自分の背後、足元に転がる、ハルクの槍の穂に。
ミハイルは最後の力を振り絞り、走っていた最中に拾いあげた二対に別れた槍の柄を繋ぎ直し、力強く捻った。
月の香りの探求者がそれに気づいた時は遅く、彼の顔は赤く照らされた。
「クソがァァァァァ!!」
穂は赤熱すると瞬時に爆発、月の香りの探求者は火球の中へと消えた。
雪が降りしきるケルト村跡で、ミハイルは仰向けになり、ハルクの最後の顔を思い返していた、その顔は意地悪な微笑を浮かべており、今から死ぬ人間には見えなかった。
その後首飾りのロケットを開き、写真を指先で撫で、アラスタのことを思う、あの子は今どうしているだろうか、先に逝ってしまう事をただ申し訳ないと思っていた。
次第に視界は黒く閉ざされていき、肌の感覚や痛みももう感じ無くなっていた。
首元のロケットの横、白い石が青白く光ったが、すぐに石は砕け散る。
最後に耳も聞こえなくなった時、ただ眠るように、息を引き取った。
ミハイルとハルク、享年60歳であった。
爆破によって降り積もった土や民家の残骸が勢いよく辺りに飛び散り、その中から彼は這い出した。
その右腕は吹き飛び、そこを中心に皮膚は焼けただれ、顔の右半分の肉はなくなり、主要な筋を残して骨が露出していた。
彼の名は月の香りの探求者ローズ、その歩みはミハイルの亡骸の元へと迎い、目前にまできて止まった。
ミハイルの胸元に散らばる石の残骸を見て、彼は叫んだ。
「取り戻さなくては、私の物だ、私の物なんだ!!」
そういうと彼は左手の平に空間の歪みを作り出し、それをミハイルの首元に押し付けると、口でミハイルの頭髪を噛み締め、切断した首を持ち上げた。
そして彼は消えた、現れた時とは逆に、雪の降りしきる冬空へと消えていった。