第4話 親友
激突の衝撃によって舞い散る針葉樹の葉が2人に降り注ぐ、夕陽でガマルの姿はその空間にぽっかり穴が空いたように黒かった。
荒かったアラスタの呼吸は徐々にいつもの調子に戻るが、その後すぐ理由の分からない暴力からか怒りが込み上げ、また熱の篭った息が漏れだし、それは白い息となり空気を白く染めた。
ガマルは首元から何か取り出す仕草をし、手に持ったであろうそれをガマルに突き出す、その動作に、警戒していたアラスタは両膝を曲げ腰を落とし、左拳を前に出した形で不慣れながらも戦う姿勢を見せ付けた。
しかしその必要はなかった、ガマルのもったそれは青白い光を仄かに発すると、白い光のスジがアラスタの元へと残光を帯びながらひとつ、ゆっくりと伸びていく。
それを攻撃だと思ったアラスタは直ぐにそれを1度二三歩すり足で回避する、ところがそれはアラスタへとすぐに方向転換し再び追跡し出す。
今度は払い除けようと左手の甲を振る、しかし感触はなかった、しかもそれは左手の甲から通り抜けるように平へと移動し、そのまま加速してアラスタの折れた鼻筋へと吸い込まれるように消えていった。
その鼻筋に右手を当てて、しばらくは光の攻撃に当たってしまったと焦り、再びガマルの方へと姿勢を整えて睨みを効かせるが、その視界には目を疑うものが映り込んでいた。
そこには頭を下げるガマルが居たのだ。
「申し訳ない」
「意味が分からない、なんでこんな」
喋った時にようやく気付く、あったはずの鼻の痛みが無くなっていることに。
血はまだ付着しているが、新たに流れ出す血はもう無く、既に止まっているのはもちろん、左側に曲がるように折れていた鼻も触る限りは綺麗さっぱり治っていた。
しかし警戒はとかない、殴られた原因が分からない今、いつまたガマルは殴ろうとするか分からないからだ。
「公平じゃない!!」
下げた頭を、今度は勢いよく胸を張るどころか反り返るほど上げながら叫ぶガマル。
「公平じゃない?」
「そうだとも!!」
ここでようやくガマルの顔と体が右半分のみ夕陽に照らされ、その様子を伺うことが出来た、その姿はとてもじゃないが正気だとは思えなかった。
目は涙なのか潤んでおり、夕陽の中でも分かるほど頬を赤らめ、口角を裂けているかのように吊り上げた笑顔を見せ、唇には噛み締めたからなのか歯型がつき血を流していた。
「今から友情を深めようと言うのに!!あぁ!!なんて事だ!!僕が先に殴ってしまうなんて!!これじゃあ不意打ち、僕は卑怯者!!あぁ!!なんてことだ!!僕は!!僕はぁ!!」
そして取り乱したかのように頭を掻きむしる、相当な力を込めているのか、腕の節々はもちろん顔にすら血管を浮き上がらせ。
あまりにも力を込めて掻きむしる為頭から出血するほどだった。
その光景を見て、ただ呆然とするしかないアラスタ。
「これで!!君と同じ量の血を流す事が出来た!!君の骨折は僕が治した!!やっとだ!!やっと君と……君とぉ!!」
ガマルは自分を抱きしめるような姿勢をしたあと身をかがめて、着ていたズボンが弾けるほど脚の筋肉を膨張させると、その場に自分の服を置き去りにして空中へと飛び上がる。
「親友になれるんだぁ!!」
その姿勢は、純白のパンツ一丁なのを除けば、クライマックスで技を決めたバレリーナの様だった。
そのままガマルはアラスタを空き缶のように踏み潰そうと急降下する。
しかしそれはあまりに大きい予備動作のおかげで、アラスタは地面を左足で蹴りステップのように避ける事が出来た。
そしてそのまま家への帰路を走りながら、鼻息を荒らげなら追いかけてくるガマルに追いつかれまいと逃げだす
ガマルはまだまだ余力のある走りだが、一方アラスタはトレーニングのせいもあって息を切らしながら走っている。
それどころか、更に速さを上げ、先程の殴りのような速さの技がまだあるとすれば。
ただでさえ前の世界でも、現世界でも喧嘩は1度もしたことが無いアラスタ、分かっていたとしても避ける事は出来ないと考え、倒す以外の解決方法はないかと思考をめぐらす。
「親友になれる!?それならもう僕たちは親友じゃないのか!!」
「ダメだ!!ダメなんだよアラスタ!!君は僕に唯一!!振り切られることなく着いてこれたし!しかも僕よりも短期間であの鉄棒を操ってみせた!!」
ガマルは更に走る速さを上げ、そのまま両足で地面を掘り返してしまうほど蹴ると、空中で両足をアラスタの背中に向けて体勢を変える。
それを見ていたアラスタは走る勢いのまま踵を返し、身を捻じる避けようと考えたが、止まったのがまずかったのか、もうガマルのドロップキックは目前にまで迫っており、咄嗟の判断で腕を胸の前でクロスし、腰を落として防御の姿勢に入る。
相当な衝撃に備えてはいたが、予想外の攻撃がアラスタを襲った、腕越しに来る胸への衝撃ではなく、左首に意識が飛かけるほどの衝撃を感じたのだ。
アラスタの構えをみたガマルは、目前にて右脚をつけると、自分の勢いを右脚を軸に縦回転する力へと流して、そのまま左脚の踵でアラスタの首に踵落としを入れたのだ。
意識が飛かける、攻撃を受けたアラスタの両膝は地面にその勢いが乗ったままつくと、軽くヒビが入るほどだった。
「対等じゃなくちゃダメなんだよ!!親友と言うのは!!友達じゃダメなんだ!!」
項垂れるアラスタの前に両足をついて仁王立ちするガマル、その時に気付いた。
ガマルの踵がアラスタの首左側面にめり込む瞬間、アラスタはクロスした腕をほんの少し上に移動させ、僅かではあるが当たる前にアキレス腱に腕を添える形で防いでいた、しかしそれでも踵は首に当たっており、ダメージは凄まじいものだった。
「対等?今のでは分かったろ、俺はガマルより弱いんだ」
頭を上げた時、汗と砂の交じった黒い泥が顔を汚して、飛んだ小石で切れた眉から出血した姿があったが、それでもその目は、ミハイルのような、夜になり、家からたつ時のミハイルのようなその眼光だけは、ただのひとつと傷はついてはいなかった。
ガマルはその姿を見て、再び唇を噛み締め、右手で股間を握り締めた。
ガマルはこの方法しか知らなかった、物心つく前に母は死に、祖父も祖母も死に、居るのはハルクと、その父の財力と権力に群がる有象無象のみ。
ハルクと一緒にいる時間はこの10年間の間を一纏めにしても、1〜3日しかないだろう。
そんなハルクが唯一、一人である事に寂しいのだと訴えるガマルに教えたことがあった。
それは、親友を作れということだった、しかしそれには条件がある、必ず『対等』でなければならないという事。
友達とは、自分が上でも下でもいい、共有の趣味や嗜好を持ち、それを話すだけでもいい、しかし何かのほつれが生まれた時、ただの友達と言うのは、いとも容易く裏切る。
何故か?それはいつも互いを下に見ているからなのだ、共有の趣味嗜好、しかしそれをよく知るのは私だけ、俺だけ、あいつは分かっていないと。
その場しのぎの傷の舐め合い、そしていざと言う時の捨て駒それが友達だと。
親友とは、互いが互いを高め合える関係、少しでも下だと、成立しない黄金比の友情。
互いを認め合い、互いを助け合い、互いを許し合い、そしていざと言う時、命を賭してでも助けるそれが親友だと。
ガマルは、それを信じ続けていた、唯一の血の繋がった父、ハルクのその言葉を。
そして学んだ、ハルクとその相棒の家を発つ背中、ひたすらに戦い続け、そして生還した後の2人、ハルクとミハイルの笑うその姿を見て。
ひたすらにトレーニングした、いつか相見える、まだ見ぬ親友に恥を晒すような事は出来ないと自分にムチを打ち、毎日毎日、欠かすことなく、ハルクの持っていたウォーピックの真似で遥かに重い鉄製の棒を藁を結って作った人型の模型に向けて振り回し。
その過程で街の人々の肉体労働の手伝いや、 使用人の手伝いまでこなし続けた。
そしてあの鉄の棒を完璧に操る事が出来るようになった時、もう周りに対等な者はいなくなっていた。
親友になれると思った人達に対決を申し込み、その誰もが快く応じてくれた、しかし自分の攻撃を3発も意識を飛ばさず耐えた者は同い年は勿論、大人ですら居なかった、大半は最初の一撃で意識を飛ばすか、許しをこう者しかいなかった。
そして周りからは誰も居なくなった、幼少期の頃から一度も、本気で分かり合える友が1人も居なかった。
しかし、それも今日までだと確信した、アラスタのこの瞳を見て、尚更股間を握る右手に力が籠り、全身に電流が走った。
アラスタしかいない、僕と親友になってくれる人はこのアラスタしかいないと。
「はぁん!!最高だよォ!!」
その見蕩れていた一瞬の隙を、アラスタは見逃すことは無かった。
すぐさま右脚を軸に反時計回りに体をねじり、ガマルがやったように低い姿勢から踵落としをガマルの左首めがけて叩き落とした、アラスタ本人は彼の、ガマルの真似をしただけだったが回転エネルギーと体重が乗ったその攻撃はガマルをよろめかせるには申し分ないものであったはずだった。
しかし当のガマル本人は痛がる様子は一切なく、腕を組んだ仁王立ちから姿勢を変えることもなく、ただ喜びを噛み締め恍惚とした表情でアラスタを見下ろすのみ、それどころか逆立ち状態で、なんなら両手は地面から離れている状態のアラスタの左足首を握ると、力いっぱいに振り回すし、そこら中に叩きつけ、大量の血が薄く湿った土埃と一緒に舞い散る、そして再び大木へと投げつけてしまう。
「あぁ、やっと僕を知ってもらえるんだ!!これこそ僕!!この筋肉!!この力!!この感情!!君に今すぐ伝えたい!!」
そう言って今度は深く身をかがめ、筋肉の膨張で一回り以上大きくなった右脚の力を一気に解放する、もはや軌道がわかっても姿がぼんやりとしか視認できないほどの加速をその右拳に乗せて、大木にもたれかかるアラスタの顔へと突き出そうとした。
だがしかしまだ気を失っていないアラスタはその攻撃を勝手に力が抜けていく体を奮い立たせ、何とか寸前の所、紙一重で避ける事が出来た、いや厳密には崩れ落ちただけかもしれない。
「まだだ!!君だけなんだ!!君だけなんだよ!!頼む……頼むよ、僕を、僕をぉ!!」
その場に仰向けに崩れ落ちたアラスタがその目に写ったのは、今自分を殺さんばかりに拳を振り上げる男の顔ではなかった、その顔は、1人仲間はずれにされ、ただ無力に泣くことしか出来ない子供の顔だった、それを何故かアラスタは、心の奥で悲しみを覚えた。
「見てくれ!!」
そして気づいた、そのガマルの姿の少し上、舞い散る葉に、針葉樹の葉ではない、平たく、小さな赤子の手の平の様なその葉に。
自分は何故、あのまま全力で逃げ、攻撃を避け、父に助けを求めると言う選択を捨て、攻撃を受け立ち向かうことを選んだのか。
何故、今戦っていて、殺されるかもしれないのに、まだ心が踊っているのか、三十年以上生きているアラスタでさえ、やはり体のせいなのか、全く理解できなかったが、今アラスタは勝機を見出した。
アラスタが崩れ落ちたその場所を、ガマルはしっかりと見ていなかった、ここは山、しかも周りには樹齢は何十年は下らない大木ばかり、そんな山の木の幹に必ずと言ってもいいほど巻き付く植物があった。
ツタだ、赤子の手の平のような葉はツタの物だった、アラスタはすぐにそれに手をかけ引っ張ると、そのまま重い体に鞭打ち、ガマルが振り下ろした拳を、体を逆立ちさせる様にし、背中に少し拳がかすり服が破けるものの紙一重避け、そのまま両手で空中へと跳躍する。
そしてそのまま背後に回り込んだ時、アラスタの握るツタは、ガマルの首元に絡まり、背負うようにしてガマルの首を絞めあげていた。
突然の事に驚いたガマルはツタを引きちぎろうとするが、アラスタはツタを握る手を話、ガマルの一瞬の気の緩みを見逃さず、右足の踵を軸に体を反転、ガマルの首を両腕で絞め、完全に形が出来上がってしまった。
こうなるとどんな熟練のファイターでも抜け出すことは不可能である。
「お返しだ!!」
顔中は勿論、体の至る所から出血し、頭に血が上ったアラスタは、殺してしまうかもしれないということは考えることが出来ず、更に力を込めようとした時。
「やっと……出来たよ……父さん」
怒りや悲しみではなく、喜びの表情を浮かべながら涙を流すガマルの姿を見たアラスタは、力を込めるのではなく、その形を維持したまま、ガマルを気絶させた。
ガマルが目を覚ました時にはもうすっかり辺りは暗くなっていた、しかし景色は動いている、どうなっているのかと視線を下げると、そこにはアラスタが顔を歪めて、ガマルを引き摺るように背負っている姿があった。
「おっ、目さめた?ごめんな、これぐらいしかお前倒すの思いつかなくてさ」
「なっ、なんで?」
ガマルの疑問にアラスタは不思議そうな顔をした。
「え?だってお前、痛みとかに強そうなんだもん、気絶させるぐらいしかなくない?」
「いやそうではなくて!!なんで僕を置いていかなかったんだい!?」
その問いにアラスタは少し考えると一言呟いた。
「風邪ひくだろ?」
その答えに、ガマルは吹き出してしまった。
「なんだよ!!笑うなよな!!てか起きたんなら早く降りろ!!お前重いんだよ!!」
慌てて「これはすまない」と降りるガマル、しかし2人とも千鳥足で、2人は互いに支えるように家へと歩き出した。
「そういえばアラスタ、僕の事を『お前』って」
「えぇ?そりゃお前、親友なんだから、お前ってぐらい言うだろ?」
アラスタの口から飛び出した『親友』と言う言葉、聞き返すことは無かった、何故か涙が零れてきたからだ。
「初めて会う僕に街を案内してくれたし、先生があんなふうに言うってことは、お前悪いヤツじゃなさそうだもんな……あっでも今度はいきなり殴ってくるなよ!!めっちゃ痛いんだか……え?泣いてる?」
死ぬかもしれないほどの暴力を受けたが、途中感じた悲しみと、心躍るあの高揚感から、ガマルの事を嫌いになることが出来ないアラスタ、しかしそんな事は恥ずかしくて言える訳なく、ただ有り合わせの理由から親友になったと、頬を赤らめながら棒読みで呟く。
ガマルにはそれが嬉しかった、方法は自分でも間違っていると薄々気づいていたが、ようやく自分の納得する方法で親友と出逢えたから。
「あぁ泣いているとも!!出来た!!僕にも親友が!!出来たんだぁ!!」
ガマルは声を震わせながらそう叫ぶと。
「今は叫ぶな!!耳いてぇ」
どことなくアラスタも嬉しそうだった。