第1話 流れゆく不穏
一頻り泣き倒し、瞼越しに暖かな光を浴びる、上体を起こそうとするが腹筋に力を込めようにも逃げていき後頭部をマットに何度か打ち付けて終わる。
視線を右に移すと、そこには木製の柵があり、窓の外から差し込む太陽の光が隙間から漏れていた。
柵に手をかける、精一杯の力を込めるとようやく上体を起す事に成功、周りを見渡すと少し遠いが部屋の一角にドレッサーが置かれており、自身の顔を確認出来た。
毛は黒く、髪の毛全体が緩く波打ち、毛先は丸まっている。
目は大きくタレ目、瞳は黄金色をしている、口元には小さなほくろがあった。
その他は普通の赤ん坊だった。
「うぅ、あぅあ」
やはり喋る事もままならない、発することが出来るのは意味の無い呻き声のみ。
思い出してみると、一番最初に見たあの鋭い眼光の男の喋っていた言葉も理解する事が出来なかった、発音は破裂音と唸るような音の組み合わせのようだった。
もう一度辺りを見渡す、内装は至ってシンプルで、暖炉、中央に丸太のテーブルに椅子が2つ、壁掛けのランタンが2つに、大きな横長のタンスのような物が部屋の端にあり、その近くには先程のドレッサーがあった、今萩原が居るのがそのドレッサーの対角線上にある場所、赤子用のベッドだ。
他に部屋があるようで玄関以外に扉があったが、移動することが出来ない今確認するのは無茶だ。
もう一度玄関に視線を移す、何の変哲もない玄関だが、そのすぐ床を見て首を傾げた。
そこには白い石が少し転がっているのだ、やれやれ、あの男は掃除が苦手なんだなと自分を棚に上げて微笑を浮かべると、玄関は開かれた。
特徴的な白髪混ざりの髪を見て、昨日見たあの男だと気付く、ドレスシャツの襟を綺麗に折りたたみ、腰から裾にかけて少しづつ拡がったスボンを見て感じたのは中世の貴族のようだなという考えだった。
男は頭に被せた革製の所々焼けくたびれたテンガロンハットを手に取ると、裏から手で軽く叩く、すると床に、萩原が見たあの白い石が転がった。
それよりも驚いたのは手に持った大きなウォーピックのような鈍器だ、柄の部分はやけに機械的な配線が集結し、小さなつまみに繋がっている、それ以外は巨大な杭の付いた棒だ。
なんだろうかとまじまじと見つめる萩原の視線に気付いた男は焦ったように萩原の方へと向かう。
「まだ2ヶ月だぞ」
やはり男の言葉を理解は出来ない、しかし驚いているのは分かった、首や腰を触られるがすぐに手を引っ込めて顎に手を添えた。
「髪の毛も生え揃うのも早かった」
深く考えた後、やっと顔をあげると、萩原を抱き抱える、そして唇を指で広げる、そこには歯茎のみで歯はないが、上の前歯のみうっすらと歯の頭が見えていた。
「早すぎる、まさか影響が?」
何を話していて、なんの行動なのかも分からないため、萩原はその男をじっと見つめる。
すると男は鋭かった目付きはみるみるうちに優しい父の目へと変わり、優しく頬を撫でた。
「大丈夫、大丈夫だアラスタ、お前は私が」
そして優しく抱きしめた。
「守ってみせる」
時は流れ、萩原は気付けば3歳になり、しっかりと立ち上がっていた。
たまに外に出てみたが周りに他の家があるような雰囲気はない、しかし苦労はなかった、父である、ミハイル・ギルのおかげで食事や寝床には困ることがなかったからだ。
しかし言葉となるとそうも行かない、萩原は父との会話、そしてある程度行動できる様になってからは本を読み漁った、父から読み方を教わり、日常生活からその言葉が表しているものの意味を知り、生後9ヶ月の頃に「パパ」と言葉を発した時、父は声を出して喜んだあと泣き崩れてしまった、3歳になった今は何不自由なく喋ることも出来る様になっていた。
それと何度も薪割りなどの手伝いを父に申し出たが、その都度危ないからだと断られてしまった、しかしその言葉一つ一つは勿論、日常における全てにおいてミハイル、父は優しかった、厳しく叱る事もあったが、やはりそこからは優しさが滲み出ていた。
それは言葉の節々にでもそうだが、やはり怒り慣れてないのもあったのだろう。
時折、母さんはどうしたのだろうと思う事があった、父の部屋兼書斎には母さんと思われる女性の写真があり、その横にはリリーと書かれたラベルの付いた割れたガラスが置かれていた。
しかし聞くことはなかった、父は時折それを手に取り、目に涙を浮かべていたからだ。
それでもせっかく新たな人生を歩むチャンスが出来たのだ、しかも前の父のような、暴言や暴力、女や酒に溺れた父とは違う人の元に。
前の人生の様になりたくない、それを一身に運動に体を慣らし、体力を今のうちからつけて行こうと考えた、頭のいいやり方は出来ない、ただ何か行動に移す事こそ意味があると、ミハイル、父に言われてからやり続けていた。
そしてその内に前の名前を自分の中から捨てた、萩原大智を。
そして刻んだ、アラスタ・ギルという名を。
ひたすらひたすら、毎日毎日、勉強、運動、食事そして休息、7歳になった頃には薪割りをようやく任せてもらえることになった。
時折来客もあった、父と似たようなドレスシャツとズボン、そして革製のチェスターコートと着て背の低いシルクハットを被った男だ、しかしあのウォーピックのような武器を持っていない。
訪れては父の部屋に2人で入ると半日は出てこず、出てくる頃は男は笑っているが、帰ったあとは父は決まって怪訝な表情を浮かべていた。
そしてその夜必ずお香を焚き、あのウォーピックと男のように革製のチェスターコートと帽子を被り、外へ出て朝に帰るのだ、そして絶対あの白い石を玄関で払う。
そんなことを繰り返していた10歳のある日の昼の食卓、意を決して父にアラスタは疑問をなげかけた。
「父さん、夜になにをしてるの?」
肉を切り分け口に運ぶ父の手が止まった。
「知らなくてもいい事はあるんだよ、今日はどうだった?怪我はないかい?」
アラスタは言葉を続けた。
「父さんが心配なんだよ僕は、毎回辛そうな顔で、毎回怪我して、ねぇ、教えてよ、僕が何か力になれるかもしれないじゃん!」
「ダメだ!!知らなくていい!!この話は終わりだ!!」
父の今までよりも気迫の篭ったその声にアラスタはうつむいた、父は慌ててナイフとフォークをテーブルに置くとアラスタの横に駆け寄り背中をさする。
「すまない、すまない、どうしてもダメなんだ」
そんな父の手を払い除けるアラスタ、そしてその行動の罪悪感にすぐさま小さくごめんと呟く。
しばらくの2人の沈黙の後、それを破ったのは玄関をノックする音だった。
「ミハイルいるか?ベルクだ」




