第10話 協会
8日後、医者たちはすぐに音を上げると踏んでいたが、その予想に反して、アラスタは今だ顔の傷の治療を拒み、応急処置で傷口に聖油を塗り込む事しかしなかった。
容態の悪化で腐敗の可能性のあった左脚は根元からの切断となり、間に合わせの義手と義足をはめられた。
痛みで動くことすらままならないはずのアラスタは、そんな状態であるにも関わらず、2日目には覚束無い動作でゆっくりと歩く事に成功、5目には、まだふらつきは見られるものの走る事にも成功した。
もちろんそのリハビリには常人なら死を選ぶほどの苦痛が生じたのは言うことも無い、何度転ぼうが、てんかん発作を起こそうが、アラスタは気絶以外では休むことすらせず、立ち上がり続けた。
ガマルはそんなアラスタを見て、最初は止めようとした、しかし今では一緒になってトレーニングをしている。
止める事よりも、アラスタ本人の意志を尊重したからだ。
普通の人々なら、この2人のしている事は正気の人間がなせる行動ではないと分かると思う。
しかし正気などとうに失っていた、誰も最初からアラスタやガマルが正気を保っているだなんて示してはいなかった。
これが友情、これが2人の生きる糧だったから。
そして8日後の現在、3月29日に、病室のドアが開かれた。
「アラスタ・ギル様、ガマル・ベルク様、お2人に渡すものが」
入ってきたのはミハイルやハルクとは色が違ってはいるが、同じデザインの赤いチェスターコートを着た女だった。
彼女は二通の蝋で封をされた手紙を2人に手渡すと「行きましょう」と一言発した後に踵を返して出ていこうとする。
その時なびいた銀髪の長い髪、ベッドに腰掛け座っていたアラスタとガマルはどこかで彼女を見た事がある気がしてならなかった。
そして最初に気付いたのはガマルであった。
「あれ?先生?先生じゃないか?」
アラスタもう義手の先をポンと右手で叩いて、思い出せず詰まっていた記憶を捻り出せた爽快感でそのまま声を漏らした。
「あぁ!そうだそうだ!孤児院のな!!どうしたんですそんな格好で」
2人の声にビクリと跳ねたまま固まった肩を、深い溜息と共に降ろし、また2人の方へ振り返った彼女は、孤児院で出会った頃とは違う、まるで粗暴な荒くれ者のような面立ちで歯を剥いていた。
「何変な顔してるんだ先生!!猿のモノマネは今いいんだぞ!」
「そうですよ先生、クソ投げられたヒヒみたいな顔しないでください」
そんな言葉を2人に浴びせられた彼女は固く両拳を握り、そのまま拳を振り上げると自分の太ももを殴りつけ、叫んだ。
「誰が猿よ!!無理ばっかりして!!ちょっとは安静にしなさい!!全く、私は勿論どれだけの人が心配したか!!分かってるの!?」
2人にとって予想外の叫びに思わずたじろぐ。
「師匠の息子だから怒らないようにって思っていたけど、もう我慢ならない!1発殴らせなさい!!」
彼女はわざとらしく足跡を立てて詰め寄ると、ガマルの頭だけにゲンコツを振り下ろした、目の当たりにしたアラスタ曰く、ガマルの身長が3cmほど縮んだように見えたという。
「なんでアラスタは殴らないんだ?」
「止めるべきは貴方でしょ!!」
「待ってください先生、それなら医者の人たちも」
彼女はアラスタを睨みつけたあと、鼻の先が着くほどの距離まで詰め寄り、ドスの効いた声で囁いた。
「安心なさい、医者の人たちも皆平等に殴ったわ」
「先に言った俺が悪いですけど、医者に罪はないですよ」
殴られたガマルはベットに座り直し、手紙を封は切らないまま差出人のサインに目を凝らす。
「ダマスケナ協会本部……推薦してくれたんだな!!」
「なんだ?スケスケ協会?」
「ダマスケナ協会よ、ラグルから推薦してもらったんでしょ?行くわよ今から…..っとその前に」
彼女は落とした腰を上げ、立ち上がると、チェスターコートの襟から内側に手を入れて、なにか先に三角柱の針に小さな円盤状の少し分厚い板が付いた、何の目的で使うものなのか分からないものを摘んで、アラスタに手渡す。
カフスボタンのかとアラスタとガマルは思ったが、彼女は驚きの言葉を発した。
「首に刺しなさい」
「は?」
アラスタは口を開けて、この人は正気なのかと疑い首を傾げる。
「私もおかしな事言ってるのは分かってるわよ!?でも医者がそう言ってたの!!ほら!早く!!」
「いやそんな、いきなりこんなぶっといの首に刺せって言われても」
そのカフスボタンのようなものを首筋にあてがいながら、そんな事を言った時、ガマルがそれを手の平で叩くようにしてアラスタの首に根元まで突き刺した。
勿論痛いが、アラスタはそれより驚きが勝り、ゆっくりとガマルの方を見た。
「まだ消毒もしてないんだぞコレ?」
「早く行きたいじゃないか、協会」
その瞬間、アラスタの左側の顔にある骨や筋まで見える大きな傷がブレるように歪みだし、いつもにか、先程までの傷が嘘だったかのように綺麗さっぱり無くなっていた。
驚いたガマルは指先でそれを触ろうとする、しかし肌に触れる事無く指は突きぬけ、その下にある傷に指が当たった。
するとその痛みで仰け反ったアラスタだったが、その少しの間傷の表面を覆う幻の顔がブレて、時折傷が現れ消えた。
「投影機ね、そんなに小さいのは見た事がないけど、油は貰ってるし、さっ、2人とも行きましょ」
「これなら問題ないんじゃないか?」
アラスタは自分でも顔の傷に触れる。
投影機によって顔の表面に作られた擬似的な顔を指が通過する時、ほんの少しの痺れを感じ、すぐに酷い痛みが全身を襲った。
痛みを忘れない為に傷を治すことを拒んだが、どうも人と接する時、アラスタ自身は図太いからか気にする事はないが、相手側の大半が怖がるか、逃げ出すかだった為、この投影機というのは便利な物だと感じた。
「首に針刺された以外はな……足どこに置いたっけ」
外していた義足はどこだと目につくベッド周りを見渡していると、ガマルが屈託のない満面の笑みで手渡す、何故ガマルが持っていたのかは分からない。
アラスタが義足をはめていとも容易く立ち上がると、先生の後を追って歩き出した。
「ちょっと聞きたいんだが、ヒヒってなんだ?」
「うん?あぁ、猿だよ、気にすんな」
ガマルに指摘されてヒヒと呼ばれる猿はこの世界に居ないと思い出した。
外へ出る為、正面出入口に向かう道すがら、ラグルの病室の中を覗いたが、どうやら一足先に退院したらしく、ベッドが綺麗に片付けられていた。
「医者達には話したわ、後は」
聖病院の扉は開かれ、日光が3人の目を突く。
思わず立ち止まり、目を伏せるガマルとアラスタが、再び前に視線を向けると、そこには馬車が一台、10歩ほどの距離の所に停まっていた。
黒く光沢のあるヴィクトリアン調の様に華やかな車体の節々に黄金があしらわれたそれは、酷く老いさらばえた馬が1頭に繋がれ、その手網を握る主は瞼が存在しないかのように丸い目を血走らせ、シルクハットの鍔と、顔の下半分と後頭部まで覆われた黒いマフラーの間でコロコロと辺りを忙しなく凝視している。
そしてその視線がアラスタとガマルに向くと、マフラーを人差し指で下にずらした。
「お待ちしておりました御三方、さぁ、参りましょう」
3人はその言葉のまま馬車に乗り込む、先生が先に乗車した時、馬車の運転手は2人を呼び止る。
「手を出してください」
そんな一言にアラスタとガマルは首を傾げるが、特に警戒もすることなく、手を差しだす、すると運転手は内ポケットから何かを手に取り、2人に渡した、運転手はマフラーを元に戻し、座り直してしまう。
何だろうかと手のひらに置かれたものを見ると、それは金貨だった。
2人はもちろん受け取れないと返そうとしたが、運転手は振り返ることも無く呟く。
「御相手がおりませんので」
その言葉の意味が分からない2人だったが、返してもらう気のない運転手を見て、素直に馬車へと乗り込んだ。
するとすぐに手綱が馬を弾く乾いた音と共に馬車が走り出す、この振動ですら全身に激しい痛みが走り顔を歪ますアラスタの事を先生は心配そうに見つめているが、すぐに着席の姿勢を正した。
「名乗るのが遅れたわね、私はエミュール・マクスウェル、掘削師よ」
そう行ってエミュールは馬車の窓の外に目を向けた。
少し走ったが、街の最北端にあった聖病院なだけあってもう景色は鬱蒼とした森の中へと移り変わり、時折射し込む木漏れ日に目を伏せたくなる。
そしてようやく森が開けたかと思えば、今度は打ち砕かれた壁が散乱し、崩壊した村と思われる地域の道に入り、酷く馬車が揺れだした。
所々残された民家の壁と思しき物には、赤茶色の染みが、そこで何かが破裂したかのように刻まれている。
「こんな所まで」
そんなエミュールの一言に、アラスタが彼女の方を見ると、眉間に皺を寄せ、奥歯をかみ締めた姿がそこにはあった。
「父から聞いた、最近はゴーレムがすぐそこまで来てるってな」
ガマルも村の光景を見て、強く拳を握り、その言葉には強い怒りの感情が込められている事を肌ですぐに感じられた。
「ゴーレム?なんだそれ」
初めて聞く単語にアラスタはガマルに問いをなげかける、するとそれに反応したのはエミュールだった。
「知らないの!?」
襟元を掴んで引き寄せられたアラスタは戸惑う。
「えぇ?まっまぁ、基本森にしか居なかったので」
それを聞いたエミュールは襟元を握る力をさらに強める。
「知らないで掘削師になろうだなんて口にしたの!?」
彼女はアラスタを乱暴に突き放し、目を見開いて叫ぶ。
「馬鹿じゃないの!?貴方、掘削師になるって事がどんな意味なのか分かってすらいないの!?」
荒い息を整えるエミュール、余りの剣幕に面食らったアラスタとガマルはただ黙って彼女を見つめるしか無かった。
「アラスタ君、すぐにその推薦を断りなさい」
その言葉にアラスタよりも先にガマルが叫ぶ。
「待ってくれ先生!!アラスタだって!」
「復讐だけでどうにかなる仕事じゃないの!!」
エミュールの剣幕に怯むガマルだったが、アラスタは静かに喋りだした。
「俺みたいな目に合ってる人達が、まだ、居るんですよね」
短い言葉だった、それっきり口を閉ざし、ただエミュールを見つめる、何も知らない少年だが、その瞳にエミュールは、怒りにも似た哀しみの感情で心振るわされ、胸を右手で軽く抑える。
「これにやられたのねラグル」
良心とも言える物が嫌にむず痒くなり、顔を伏せ、微笑み、そして直ぐに眉間に皺を寄、上目遣いにアラスタを睨みつけるように見つめる。
「生きているのね」
その言葉にアラスタは微笑み、ガマルはアラスタとエミュールの肩に手を回して引っ付け、高笑いをした。
「なんだか分からないが!!心置き無く行こうじゃないか!!ダマスケナ協会へ!!」
既に馬車は森を抜け、地平線が見えるほどの広大な草原地帯に敷かれた道に乗っていた、そしてはるか遠くに見えるのは大きな街こそが、ダマスケナ協会、それを取り囲うダマスケナ自治区だ。
しかしこの時は誰も気づいていなかった、丘の上で張り付いたかのような不気味な笑顔を馬車に向けて、頭を左右に振るう男に。
その男の右手、その指先は、妖しく光を反射させる黒い石のようになっていた。
大理石ので作られた冷たい部屋、その中央に、温もりを感じられない、赤錆に塗れた鉄の玉座が置かれ、そこに1人の老人が頬ずえをつき、座っている。
皮のチェスターコートに身を包み、手には鷲の頭骨があしらわれた柄頭の杖と革の背の低いシルクハットを持ち、綺麗に切りそろえられた鼻と顎の髭、右目は失明しているのか、白濁としており、左目は緑のちりまべられた深い青色をしている。
部屋の扉が開かれ、青色のチェスターコートのを着た男が軽く頭を下げた後報告する。
「ダマスケナ様、アラスタとガマルが、今しがた病院からこちらへ向かったの事」
ダマスケナと呼ばれる老人は震える右手で杖を持つと、帽子を被り、立ち上がる、その体は老人とは思えぬほど大きい。
「そうか、ならば出迎えなければ」
そして覚束ない足取りで歩き始めた。




