狐の嫁入り
僕の村には奇妙な風習がある。卒業式や成人式、はたまた結婚式といった「通過儀礼」を行う時、参加者は全員狐の面を被るというものだ。
「――つまりですよ……私は式の間は創一さんの顔を見れないってことですか!」
そんなこと認められないと言わんばかりに叫んだのが、僕の婚約者である沙良さんである。
彼女とは同じ会社で一緒に働いたのがきっかけで、知り合うことができ付き合い始めたのだ。
そしていざ籍をいれて式を挙げよう! となり、誰を呼ぶかを考えた時にふと
「おめぇが次に帰ってくるときは結婚する時だ!! むしろそれ以外で顔見せんな!!」
という酒の席で酔っ払ってた父を思い出し、僕の地元で開催することを決めたのだ。
「なんでそもそもハレの日に、顔を隠すんです! 主役の顔を隠すって全然理解できないんですけど!」
そして今は村に帰ってきて、顔なじみの村長と打ち合わせの段階にて、先ほどの話を聞いて怒ってしまっている。
村長もあまりの剣幕にオロオロしてしまっている。さて、どう説得したものか……
「そもそもなんでこんな重要な事を教えてくれなかったですか!!」
矛先が自分に向かってきてしまった……村長も『なんで言ってないんだ』と非難するような目でこちらを見てくる……
「あのね沙良さん。別に隠していたつもりは無かったんだよ。」
ひとまず落ち着いてもらうために、この村に古くから伝わる御伽噺を話すことにした。
『昔々、まだみんなで畑を耕してつつましく暮らしていた時代の出来事です。その村に次の長となる柊という名の男の子のが生まれました。彼は立派に成長して、幼いころから野山を駆け回る元気な子供でした。そして時が過ぎ、もうすぐ結婚するかどうかという年齢にまで成長しました。しかし彼は、結婚することは、長になり村のリーダーになることを意味していたことを知っていました。そんな彼は縁談を持ち掛けられては断り続けていました。なぜなら彼は山を駆けることが愛していました。』
『その日もまた、縁談の席を断りもなく欠席した日のことでした。昔から変わらず山に遊びにいった時の事です。何回も訪れたことのある筈の場所に見たことのない神社があったそうです。神の気まぐれかなにかと思い、恐る恐る鳥居を潜り社に入ると自分と同じ位の年の女性が閉じ込められていたそうです。話してみると名前を春といって、この神社に祀られている神様に生贄として捧げられ、神様に食べられそうになったときに、死にたくない一心で逃げまわっていたら、いつのまにかここに来たいたと言うのです。』
「でも実はこの時、男は女の人に見惚れててまともに話を聞いていなかったらしく、後で怒られる話も残ってて、それを反面教師にして、この村には『惚れた女の話は聞き逃すな』って言葉がこの村に残ってるんだよね。」
「――そういえば、確かに私の何気ない言葉も聞いててくれた気が……しなくもない……」
そこは言い切ってほしかったが、ご先祖様の言いつけも守るもんだなと心の中でガッツポーズした。
『そのあと、女性の故郷を返そうにも、再び生贄にされてしまう位ならと考えた村の人たちは、春を村の一員に引き入れる事にしました。そして季節が何度か過ぎ、柊と春が結婚することになりました。柊は誰の目から見ても春に惚れていたのが、周りからも大いに祝福されました。
しかし式を挙げる数日前から村の人たちは共通して奇妙な夢を見たのです。口を揃えて"神様が春を探している"というのです。この事態を受け村で話し合いが行われました。少数ながら春を追い出すべきという意見も出たようです。けれど、村長の"村の仲間を追い出すなんて言語道断だ"という言葉を受け、対策を考えることになりました。』
「こうして"参加者全員でお面を被れば判別できないじゃないか?"という思考の元に生まれた伝統が今日に至るまで引き継がれていたのでした。」
めでたしめでたしとこの村の伝統を語り終えることができた。この話を誰かに話す機会はこれで初めてなので感想を聞こうと、沙良さんに向き直った。
「ちょっと待ってよ!! 結局式は上手くいったの? 一番重要な部分があやふやじゃん!!」
「――あーいやそうじゃなくて……この先の話が伝わってきてないんだよね……」
自分も初めて聞かされた時に、同じ感想を抱いたのだ。なぜここまで詳細な話を後世に伝えたのに、結末だけが残っていないのか。
「まぁこの話が残っている以上は成功したんじゃないかな? 失敗したなら残す意味自体がないと思うし、何より先祖様が幸せな結末を迎えてくれたほうが僕としては嬉しいかな。」
この話を初めて聞いたとき、幸せを願っていたのだ。そしていざ自分の番になると思うと、尚更その思いが強くなる。ただし、沙良さんに無理強いだけはさせたくない。もし彼女がNoと言うなら村の皆を説得するつもりでいる。
僕は未だにうんうん唸ってる沙良さんの言葉を待った。そして――
「うーん……わかった。郷に従いましょう。もう狸面でもひょっとこでもなんでもいいよ!」
悩んでいたが受け入れてもらうことができた。僕としても伝統を受け入れてくれて嬉しいかった。傍で聞いていた村長も同じようで
「"下らない因習"と一蹴せず、我らの伝統を受け入れて頂き私からも感謝を。」
と真剣な面持ちで深々と頭を下げていた。しかしそんなことを望んでいない彼女はあわてて
「いやどうか頭を上げてください。」とお互いに頭を下げあう譲りあいに発展してしまっている。
そして譲り合いが終わった後、疑問が浮かんだのか村長に質問をしていた。
「そういえば、どうして全員狐の面を付けるのですか? 昔話じゃ"狐の面"なんて話は出てなかったと思うんですけど。」
確かにそうだ。お面と言えば能面だったりと無数に存在するが、何故狐と指定されているのだろう……僕も知らなかったので興味が沸いた。
「私自身もわからないのですが、仮説ならありますぞ。」
と今度はニヤニヤ笑みを浮かべながらもったいぶっていた。面倒くさいので村長を小突いて続きを急かす。
「イタッ……恐らくですが"狐につまれた"と言わせたかったんでしょう。」
そのギャグが言いたかっただけだろと思いつつ、もし本当にそうなら先祖は悪趣味で出来れば違う意味を持つことを心の中で祈ってしまった。
――そして三か月ほどがたち、結婚式が始まった。
天気にも恵まれ、快晴の下で予定通り村の広場で開催することができた。この場所は、昔話で出てきた結婚式を挙げた場所と同じで、少し歩いたところにこちらも話に出てきた神社があるらしい。しかし、今もつけている狐の面だけがチグハグなのは否めない。
壮一さんは『村の皆も総出で来てくれた』と言ってたけれど、やっぱり全員が狐の面を被ってるから本当かどうか確かめられないし、人数も正確には分からない。もしや、昔の人は面倒ごとを代理を簡単に立てられるようにこの伝統を作ったんじゃないかと疑わしくなってくる。今は披露宴までの間の休憩時間で、みんな自由に歩き回っている。
私はお色直しを終え、比較的歩きやすくなった着物を着用し、事前に教えてもらった狐面の見分け方を活用して遠くから来てくれた友人と会話をした後だ。話を聞くと"全員がお面をつけてるなんて初めてだよ!"と多少興奮した口調でだった。私も最初のうちこそ不気味さが勝っていたが、慣れると次第にこの非日常を楽しめるようになってきた。彼女はどうやって見つけることができたのかと聞いてきて、コツを教えると納得し、他の参加者に話かけてくるそうだ。
しかし改めて顔を隠して開く催しなんてフィクションでしか見たことのない光景を実際に目の当たりにすると、今隣の人物が別人に変わっていても気づかないかもしれない。そう考えると少し怖くなってきた。もし新郎新婦入場の際に私じゃなく全く知らない別の人でも成立してするんじゃないか。そうなれば、もしかして私は不要じゃないか。そんな事を馬鹿らしいと笑っていたが、考えれば考えるほど笑えなくってしまった。怖くなった私は自分でもよくわからないうちに、壮一さんの元へ一目散に向かっていった。
確か彼は『村の人達に挨拶周りしてくる』と言っていた筈だ。私は会場に無数にいる狐面を被った参加者の中から探す作業に取り掛からなければならなかった。
新郎新婦の面は黒をベースにして白い髭が三本描かれている狐面。それを頼りに、自分が付けているものと同じ仮面を広い会場から探し始めた。
あの人は……ベースが白で青色の模様だから村の外からの人達だ。
あそこのグループじゃない……
そこで固まっている人は……黒い面だけど耳の部分だけ赤い、新郎新婦の血縁者だった筈。
次だ……
あっ、あそこだ!! と黒い面に白髭が三本の仮面を見つけることができた。嬉しくて距離がまだあったが、おもわず少し遠くから
「壮一さん、探しましたよ!!」と話しかけた。
しかし「うん?」と振り返った人は彼では無かった。顔は皆と変わらず狐面だが、まず身長が雰囲気が、そしてお面すら違った。この人がつける面の髭は四本だった。
これは確か……村の中で偉い立場の人がつける……村長さん一家の仮面だったはず……
「これはこれは沙良どの。壮一殿は先刻参られた後、別の場所へ向かいましたぞ。」
違った。彼じゃなかった……]
もしかしたら、もう二度と彼と会えるんじゃないか。そんな事が頭によぎる。普段なら下らないと言えるが今実際に見つからないことを考えると、不安で頭を埋めつくされていく。
「神様からじゃなくて、私から隠してどうすんのよ……壮一さんの馬鹿……」
自分でも気づかないうちに、うずくまりながら愚痴を零していた。
もういいや、そんな投げやりな気分のまま控室に行こうと決めた――
――その刹那、突然私の前に白い狐が現れた。瞬きした間に現れた存在に最初は目の錯覚を疑った。何度も瞬きをした。しかし、目の前から姿を消えることは無かった。
狐は私を見定めるような目つきで、こちらだけをじっと見ていた。なぜそう感じたのかは自分でもわからない。けれど確信だけはそこにあった。
そして、狐は"ついて来い"と言わんばかりに目線を私ではないどこかに向け、歩き出していった。
私は今の一連の出来事のどうするべきか呑み込めなかった。だが、少なくともあの白狐に誘われていることは間違いなかった。私は村長さんに一時的に離れる旨を伝えて、今度は狐を追いかけ始めた。
結果から言うと、白い狐はすぐに見つけることができた。再びあちこちを歩き回らなければいけないと覚悟していたが、足跡を発見できたので、辿るだけで良かったのだ。しかし、見つけた瞬間からなぜか既に消えかかっている痕跡を見つけるために仮面を外してまで必死に追いかけなければならなかった。息を切らしながらついた場所は、会場から少し離れた場所の鳥居の前だった。
恐らくここが昔話に出ていた神社なのだろうと思う。実際にこの場所に来てみると、独特な空気が漂っている様に感じる気がする。それこそ、本当に神の住処に来てしまったかのような。そして尻尾を揺らしながらこちらを見ている狐は、その場の雰囲気も相まって、今まで生きていた常識とか当たり前の摂理なんかに収まらない存在に見えてきた。そうして数秒か、はたまた数分互いに見つめあいその場に静けさだけが残った。
そして突然白い狐が、前触れもなく二本足で立ち上がりこちらに近寄ってきた。
「ま っ て い た ぞ █ █ よ」
狐が喋りだした、そのただ一点の事実において理解が全く追い付かず立ち尽くしてしまった。
「なんで今……え、あの狐が喋ったの……」
神秘や不思議を感じる前に、恐怖が私を包みこんでいた。そして何より狐は何かを待っていた。つまり私はおびき寄せられた……
"逃げなきゃ"と頭の中から、未知の恐怖へ危険信号を発していた。
――そう、頭ではわかっていた。けれども足が震えるだけで、言うことを聞いてくれない。
「お ま え は ▓ ▓ ▓ の も の だ」
狐みたいな何かが、迫ってくる。私はただ、もう諦めて終わりを待つしかなかった。
「せめて最後にもう一回だけ壮一さんに会いたかったな……」
叶わないと分かっていても、そう呟いて目を閉じようとした……
その時、目の前にひょっとこを被った着物を着た人物が現れた。
そして彼は何も言わず、ただ震えていただけの私を見つめ、突然腕をつかんで走り出した。
かなり乱暴に引っ張られ、おもわず痛みに顔を歪めた。だがその手つきにはどこか優しさを感じる事ができた。
そこから暫く走り、会場近くまで戻ってきた。お礼をしようと振り返ると、そこにはお面を手に持ってニコニコしている壮一さんが立っていた。
「よくわからないけど助かった――」
私は思わず彼の胸に子供のように飛びつき抑えていた感情が目から零れ落ちた。
彼は何も言わずに、ただ抱きしめてくれた。そのまま数分はそのままで、やっと落ち着いたという時に経緯を話してくれた。
彼は村長から、私が自分を探した後に、別のものを探しに会場から飛び出していった事。慌てて追いかけた彼も、普通見かけるはずのない狐の足跡を追いかけて見つけてくれたことを。
「勝手な想像だけど、狐が正体を現したのは君が"コレ"を外したからじゃないかな?」
そう言って、彼は狐の面を差し出してきた。つけていたものは走っている途中で落としてしまったようだ。
私は差し出された仮面を身に着け、会場に再び戻った。
そして、私は文字通りの狐の嫁入りを果たしたのであった。