99 電話越しの再開
結論からすれば、それは紛れもないましろの姿だった。
何がと問われれば、街の掲示板に貼り出されている迷いネコの紙。
その紙に載っている写真には、俺が出会ったときより少しだけ幼いように見えるましろのネコの姿が映っていた。
公園で出会った子供の言っていた通り、長い間見つかってないのだろう。貼り紙の状態は新しいようには見えなかった。
あとは、この貼り紙を掲示したのが誰なのかというだけだが……それはましろの表情を見れば一目瞭然だった。
「美玖さん、月山さん……」
胸に手を当ててその貼り紙を見つめる彼女は、心の底から嬉しく思うのと同時に、目の前に迫った今回の目標への緊張を抱えていうように見えた。
貼り紙にはあの家でのましろの名前である「ルミ」という名前も記載されてあり、まず間違いはないだろう。
それに加えて、貼り紙には連絡先として電話番号が書いてあった。
その番号が携帯電話という点から、おそらくこれはあの家の家政婦である月山さんの番号だろう。
美玖ちゃんの母親がましろについて無関心だったことを考えればそう推測できる。
俺はスマホを取り出し、電話番号を入力する直前。今一度、彼女に問いかける。
「これをかけたら、もう後に退くことは出来ないぞ」
「……はい。私は大丈夫です」
これまで聞いてきた返答と同じではあるものの、これまで以上に真剣な眼差しを返してくれる。
しっかりとましろと視線を交わしその意思を確認したあと、俺はスマホに番号を入力していく。
発信ボタンを押して呼び出し音が鳴っている間、ましろは先程と変わらない真剣な表情で俺の様子を見つめていた。
二回ほどのコールの後に音が止み、向こうから淡々とした声で「はい、もしもし」と声が帰ってきた。
「突然すみません。掲示板の貼り紙を見てお電話しました、佐藤と言います」
俺がそう電話口に伝えた瞬間、向こうの声が一瞬だけ止まったような間があった。
どこか自分の中で焦る気持ちを抑えて、深呼吸をしながら相手の返答を待つ。
『ありがとうございます。私は月山と申します。具体的なご用件は何でしょうか?』
予想通り、電話に出てくれたのは間違いなく月山さん本人だった。
すぐに要件を伝えようと思ったが、その問いに少しだけ迷ってしまう。
ましろとの約束は、初めにネコの姿で会ったあと本当のことを告白するというもの。
でもそれは美玖ちゃんのためを思ってのこと。この人はましろが人の姿を知っているし、ましろがどうしていなくなってしまったのかも予想がついているはずだ。
……だとするなら、きっと多くは語らなくてもこちらの意図を理解してくれるはずだ。
「少し前から捨てネコを保護している者です。彼女の要望で、あなたを探していたんです」
『彼女……ですか?』
「はい。この貼り紙のネコと、同じです」
もう一度、電話の向こうの彼女が息を飲むのが聞こえた。
月山さんはましろのことを知っている。もちろん、表面的な話ではなく彼女の色々な事情すべてを含めて。
だからこそ、今俺が言ったことにどういう意味があるのか、それをすべて理解してくれたはずだ。
「あなたと直接お会いしてお話がしたいそうです」
『本当に、彼女がそう言っているのですね……?』
「もちろんです。よかったら、今かわりましょうか?」
俺がそう言いながらましろの顔を見ると、彼女は慌てた様子であたふたしはじめる。
それを面白がっていると、すぐに月山さんから返答がある。
『驚きました……本当に、そこにルミさんがいらっしゃるんですね』
「はい。いたずらでないことの証明は、一応出来ると思いますが」
『……いえ、大丈夫です。疑う余地もありません。それに、これは直接会って話すべきことですから』
ましろのことルミという名前で呼んだことで、あらためて俺としても月山さんのことを信頼できた。
そして、その声色からましろに対して負の感情など何一つ抱いていないこともわかった。
「お会いするにあたって、どこかゆっくりと会話できる場所がいいんですが……」
『それでしたらご心配なく。今日は家に奥様はいらっしゃいませんので』
その言葉を聞いて、あらためてこの人がどこまでましろのことを知っているか理解した。
ましろがあの家から出ていった日、そのきっかけとなったのは月山さんの言う奥様……美玖ちゃんの母親とばったり出会ってしまったから。
その顛末を彼女から聞いた月山さんが、それがましろのことであることはすぐに理解できただろう。
向こうからそういった気を遣ってもらえるのは、とてもありがたい。一番懸念していたのが、美玖ちゃんの母親だったからだ。
『住所をお教えする形で大丈夫ですか?』
「はい、ありがとうございます。加えて、二点だけお願いがあるのですが……」
急な話にも関わらず、てきぱきと事を進めてくれる月山さんに感謝を述べつつ、もう一つ大切なことを伝える。
一つは、月山さんに会うときに、美玖ちゃんも一緒にいてほしいというもの。
そしてもう一つは、あらかじめましろと約束していた、最初に会う時にはネコの姿で会うというもの。
美玖ちゃんがましろの人の姿を見たことがない、二人の反応を先に見てからお話をしたいという願いからそう決めた。
俺の話を聞いた月山さんはあっさりと了承してくれ、その後住所を教えてもらい通話は終了した。
ましろはといえば、案の定そわそわした様子でちらちらとこちらに視線を送っていた。
「安心しろ。歓迎してくれるそうだぞ」
「ほ、本当ですかっ」
「ああ。住所も教えてもらったし、あとは会うだけだ」
言葉にすればそんな一言だが、俺とっても彼女とってもそんなに簡単なことではない。
もちろんここにきて気持ちが揺らいでいるわけではないが、ましろにとって今日がどれだけ大きなものかは考えるまでもない。
「あと、今日は美玖ちゃんの母親が不在らしい。今は美玖ちゃんと月山さんの二人だけだそうだ」
「そう、ですか……」
胸の前で手を合わせて、ぎゅっと握りしめるましろ。
これで、お膳立てはすべて終了だ。あとは、彼女と一緒に今教えてもらった住所の場所に向かうだけ。
おあつらえ向きに、ネックになるであろう美玖ちゃんの母親も不在ときた。
ここまで好条件がそろっているのだ。最初の杞憂などとっくにない。
ましろも胸を張って彼女たちに顔を合わせることができる……はずだが。
「ましろ」
「ふへっ?」
彼女の名前を呼んだあと、彼女のほっぺたに手を伸ばしてそのままつまむ。
神妙な顔をしていた彼女の頬がにょーんと伸びて、なんともおかしな顔になる。
「さ、佐藤さん?」
「そんな顔じゃ、あの二人には合わせられないぞ」
「……すみません」
「このときのために頑張ってきたんだ。いつものましろの姿でいいんだ。それじゃなきゃ意味がない」
「……はい」
無理をしてほしくはないし、俺がそんなことをとやかく言える立場かもわからない。
だが、せめて彼女の背中を押してあげられる存在ではありたい。
ただ、ましろが幸せであり自由であり、笑っていられるように。
最高の形で、ましろの過去に決着がつけられるように。




