98 ネコ様と公園と子供
翌朝。朝食を済ませてからホテルをチェックアウトする。
心臓に悪いひと悶着があった昨晩は、案の定なかなか寝付くことが出来なかった。
ましろとしてもそれは同じだったのか、俺が声をかけるまでぐっすりと眠っていた。
昨日のこともあったため俺としては気まずさがあったのだが、彼女は特に気にした様子はなくいつも通り接してくれた。
チェックアウトしてからタクシーで移動するときも、いつも通りの雰囲気で会話は弾み、彼女はといえば物珍しそうに外の景色を眺めていた。
「懐かしいですね……」
タクシーから降りてその場所に立つと、ましろはそうこぼす。
都市部からは離れた住宅街、その中にあるどこにでもあるような地区のゴミ捨て場。彼女の視線はそこに向けられていた。
ここまできて、これ以上野暮なことを聞くことはしない。
俺はましろが一息つくまで少し間を開けてから、あらためて彼女に話しかける。
「ここから、まだ時間はかかりそうか?」
「そうですね……。正確な距離までは分かりませんが、徒歩で十分に行ける距離のはずです」
「それじゃ、引き続き案内はまかせた」
「はい」
今回の目的のなかで、おそらく一番の難所は突破できただろう。
彼女を拾って、事情あってのこととは言え捨ててしまったあの男性。
実際にましろがあの人のことをどう受け止めているのかは分からないが、彼のおかげで一機に目標に近づくことが出来た。
彼女のことで俺としても思うところはあるが、まずは感謝しておくべきだろう。
しかし、本当に長い距離を旅してきたんだな……と隣を歩くましろを横目に見ながら心の中で言葉をこぼす。
本来であれば出会うはずもないような距離に住んでいた彼女が、巡り巡って俺の住んでいる場所まで来て、そしてあの冬の日に出会って。
ほんの些細な成り行きから始まった共同生活が、今ではなくてはならないものにまで変化した。
いい大人が口にすることではないが、俺の中では運命的と言っても過言ではないくらいには奇跡に近いことだと今になって思う。
そんな大切な彼女にとっての大切な人たち。俺としても、その二人と話してみたいという気持ちがある。
保護者面もいいとこだが、ましろを大切に育ててくれたことに感謝の気持ちも伝えたい。
タクシーから降りたゴミ捨て場を出発して、数十分。しばらくは順調に進んでいたが、少しずつその足取りは重くなっていく。
時々来た道を戻ったり、交差点で立ち止まり左右の景色を見比べたり。
言葉にせずとも、彼女が迷い始めているのは察することが出来た。
「大体この辺りだったと思うのですが……すみません」
「気にするな。別に必ずしも今日中にやらないといけないわけでもないからな」
もともと、この休日二日だけで必ず終わらせようとは考えてない。
ましろが実際どれだけの時間をかけて、俺と出会った場所にたどりついたのかはお互いに分からない。
平日は仕事があるためどうしようもできないが、また次の休日に再開すれば問題はない。中断して再開する方法だって、いくらでもある。
それに……確証があるわけではないが、過去にましろがこの辺りを移動していたときが、きっと彼女にとって一番つらいときだったと思う。
いろんな感情がぐちゃぐちゃになっていて、あの二人のことを必死に忘れようとして。
そんなときの記憶を思い出そうとしているのだ。悩むのも迷うのも、当然のこと。
「少し休憩するか」
「はい……」
「だから気にするなって。焦るのが一番良くない」
ましろの手を引いて、近くにあった公園のベンチへ向かう。
気にするなとなだめる俺とは対照的に、彼女は暗い表情をしていた。
その表情には、迷って時間を取らせてしまっているというだけではない感情が混じっている。
ましろをベンチに座らせた後、近くの自販機で飲み物を買う。
それを彼女に手渡して俺もベンチに腰を下ろして飲み物で喉を潤すが、彼女は暗い表情のままペットボトルを握りしめたままだった。
俺はましろの頭に手をのっけて、くしゃくしゃと乱暴に撫でてやる。
「さ、佐藤さんっ?」
「とりあえず飲め。落ち着いてから考えればいい」
実際にそんなことなんてしたことはないが、仕事で失敗した部下を飲み屋で慰めるがごとくましろに声をかける。
安易に言葉にして伝えることはできないが、彼女の抱える辛さは俺なりに分かっているつもりだ。
「……いただきます」
しぶしぶといった様子でちびちびと飲み始めるましろと一緒に、公園の真ん中で楽しそうに遊ぶ子供たちを眺める。
そこでは、小学校低学年くらいの子たちが、大きめのボールを使ってキャッチボールをしていた。
なんとも微笑ましいその光景を見守っていると、不意に一人の子供がボールを失投してしまう。
小学生が取るには少し難しいボールは、受け取る側の子の頭上を越えてそのまま俺たちの座るベンチのほうへ飛んできた。
地面を転がったあと、ましろのちょうど足元で止まった。
彼女がそっとボールを拾い投げ返そうか迷っていると、子供のほうから近づいてきてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、おねーちゃん!」
ましろが手渡しでボールを渡してあげれば、子供は年相応の笑顔でお礼を言う。
思わず俺も彼女も頬が緩んでしまうが、ボールを受け取った子供はそのままじっとましろの顔を見つめていた。
子供ながらにましろの魅力に気づいたのかと、冗談交じりに感心しながら飲み物をもう一口……。
「おねーちゃん、ネコさんにそっくり!」
「ふぇっ!?」
そして、勢いよく飲み物が口から飛び出した。
「ごほっごほ……」
「さ、佐藤さんっ。大丈夫ですか」
「わーっ、おにーちゃんきたなーい!」
心配してくれるましろと、地面に飛び散った飲み物を避けるようにしながら笑う子供。
子供相手ながらかなり恥ずかしい絵面ではあるが、今はそれどころでない。
思わずましろの姿を確認するが、ネコ耳はいつもどおり隠しているし、もちろんしっぽだって出ていない。
ネコだとバレる要素など一つも……いや、バレたわけではないか。
そもそも、子供の言うことだ。突拍子もないことをやるし言うのが子供ってものだろう。
ましろからハンカチを貰って口のまわりを拭いてから、俺はその子供のほうへ向き直る。
「えっと……ネコにそっくりって、どういう意味?」
「このおねーちゃんのかみの色がおんなじなんだよ!」
「同じ?」
「うん! 掲示板のネコとおんなじ!」
掲示板のネコ……? いろいろと予想していたものとは何一つかぶらなかったその回答に俺もましろも首を傾げる。
「ずーっと前からいろんなところに貼ってあって、まだ見つかってないんだって」
しかし、その言葉聞いた瞬間、思わず息が詰まりましろと目が合う。
無邪気に答えてくれた子供はそのあとすぐに他の子供から呼ばれて「ばいばーい!」と手を振って輪に戻っていった。
その場に残された俺たちは子供に手を振り返し、再び遊び始める姿を見てからもう一度目を合わせる。
「佐藤さん……」
「ああ、わかってる」
何の確証もない、でも不思議と限りなく確証に近い何かがそこにあり。
俺はベンチから立ち上がるのだった。




