93 ネコ様の落とし物
過去にましろを拾った彼は、淡々と彼女を拾った場所を説明してくれる。
横目にましろを見ると、俺のほうを見て小さくうなずいてくれるので、嘘を言っているわけではなさそうだった。
「とまあそんな感じだけど、大丈夫そう?」
「はい、大丈夫です」
ところどころ鼻につくような言い回しではあったものの、彼の説明は思いのほか丁寧で分かりやすいものだった。
とはいえ、これ以上ここに滞在するのは、俺もましろも精神上あまりよろしくない気がする。
早めに切り上げて、どこかで休憩にしよう。
「丁寧にありがとうございました。では、私たちはこれで……」
「あ、ちょっと待って。君たちに渡したいものがあるんだ」
早く離れたい気持ちとは逆に、なぜか向こうから呼び止められてしまう。
玄関を開けっぱなしにしたまま、彼は部屋の奥の方へ戻っていく。
思わずましろと目を合わせて、二人して肩をすくめた。
しばらく、部屋の奥からガタガタという物音が鳴り続けたあと「お、あったあった」と嬉しそうな声が聞こえてくる。
そしてまたバタバタと足音が近づいてきて、ひょっこりと顔を出す。
「はいこれ。君たちにあげるよ」
そう言って彼は、小さな黒いリボンのようなものを差し出してくる。
手触りは良く、小さなサイズでも十分に分かるほど材質のいい生地が使われているのが分かった。
「そのネコの近くに落ちてたやつなんだ。関係があるかはわかんないけどね」
「は、はあ」
困惑する俺を無視して「んじゃ、よくわかないけど頑張ってねー」と残して彼は扉を閉める。
突然に幕の閉じた結末に、その場に立ち尽くす俺とましろ。
当初の目的も果たせて、かつ早々に切り上げることが出来たのだが、どうも消化不良感が否めなかった。
「と、とりあえず行こうか。ましろ」
「は、はい」
そのアパートを離れて、とりあえず少しあたりを歩いて近くの公園のベンチで腰を下ろす。
思っていたよりも緊張していたのか、俺もましろも脱力しながら同時にため息が出た。
「……なんというか、変わった人だな」
「はい……私が初めて会ったときもあんな感じでした」
悪い言い方をすれば自分勝手な人という印象だが、話をすればするほど彼が悪い人間ではないように感じた。
もちろん過去のましろへの対応に何も感じていないわけではない……だが、彼の親切心に嘘はなさそうだった。
「ところで佐藤さん、先程受け取っていたものってなんだったんですか?」
「ん? ああ、これか?」
ましろから言われて、手に握ったままだったそれをましろにも見えるように広げて見せてやる。
手の平に収まるサイズの、黒いリボン。材質の良さから、ドレスの一部にあしらわせていてもおかしくないような、そんな印象を受けた。
「これ……」
全くさっぱりな俺とは違い、ましろは驚くような表情でそのリボンに触れる。
「ましろ、何か知っているのか」
「おそらく……いえ、間違いありません」
俺の手からそのリボンを手に取り、じっくりと観察し最後に匂いを嗅いで確信したらしい。
彼女はやさしくそのリボンを胸に抱きしめて、安らかな表情に変わる。
「懐かしい……あの時の匂いがします」
「あの時っていうのは、あの家のことか?」
「はい。……まだ、残っていたんですね」
彼は、ましろを拾ったときに近くに落ちていたといっていた。
つまり、拾われる直前までましろが持っていたものということなのだろう。
「そのリボン、ましろが使ってたものなのか」
「正確には貸していただいていたものですが……これは、あの家で私が着ていた洋服、その首元に付いていたリボンなんです」
愛おしそうにリボンを抱きしめる姿を見て、少しばかり彼女の過去を想像する。
俗にいうメイド服で仕事をしていたらしいましろ。そのリボンというのなら、あのサイズや色合いも納得がいく。
彼女のことだ、それはもう似合っていたに違いない。
……だが、それよりも驚いたのは、彼女が落としてしまったであろうそれを、あの彼がずっと保存してくれていたこと。
ましろのことで薄情な人だと思っていたこともあり、正直な気持ちで言わせてもらえば意外だった。
「ましろは、そのリボンをずっと持っていたのか?」
「偶然の積み重ねだったんですけどね……私自身、その時はあの家のことを思い出したくはなかったので」
忘れようとしていながらリボンを持ったままだったことに違和感を覚えたのだが、彼女も意図しない理由があるのだろう。
少し気になりはするが、ましろが悲しそうな表情を見せるので、俺もそれ以上の追及はしなかった。
「あの人にも、感謝しないといけませんね」
「まあ……確かにな。少し不本意だが」
「ふふ。佐藤さん、眉が吊り上がってますよ」
「し、仕方ないだろ」
ましろが俺の額に指をちょんと当てて微笑む。
自分だけが納得していない状況も相まって、近くにあるましろの顔から目を背ける。
「佐藤さんのお気持ちも分かります。でも、私は大丈夫です」
「悪い。俺が口出すことでもないよな……」
「謝らないでください。私のことを思ってくれているのは、すごく嬉しいです」
そう言いながら、ベンチに座ったまま俺のほうに近づき、体を寄り添わせてくる。
ましろの体温はいつも通り温かくて、どこかざわついていた心が落ち着いていくのを感じた。
「それに、私が大丈夫なのは、佐藤さんがいるからなんですよ」
リボンを持ったままの彼女の手が、俺の手のひらに重ねられる。
「佐藤さんが一緒にいてくれるなら、何があっても平気なんです」
「ましろ……」
「だからそんな怖い顔しなくて大丈夫です。かっこいい顔がもったいないです」
「そこそこにか?」
「もう、根に持ってるんですか? 佐藤さんは、すごくかっこいいですよ」
恥ずかしくなって茶化す俺と、真面目な顔をしてストレートに気持ちをぶつけてくるましろ。
こんな風に褒めてくれるのが彼女の良いところでもあり、俺が苦労しているところでもあるのだが……。
「次の目的地も目途がついたし、少し街を散策してみるか、ましろ」
「私は構いませんが……時間は大丈夫でしょうか?」
言われて時計を見てみるが、時間はまだお昼過ぎ。そんなに焦るほどでもない気がするが……。
「先程教えていただいた場所からも、まだ先は長かったはずです。あまり余裕はないと思いますが……」
「時間のことなら気にしなくてもいい。お金で買える時間もあるからな」
さっきの彼から教えてもらった場所であれば、タクシーを使えばすぐに行ける。
日を跨ぐならどこかに泊まればいいし、帰りも自宅に帰るだけならこれもタクシーを呼べば問題なし。
そんなことよりも、せっかくのましろとの遠出なのだから、目一杯今日を楽しまなければ。
「佐藤さんはもっとお金は大切にしてください……無駄遣いはいけませんよ?」
「無駄遣いとは失礼な。ましろのための立派な投資だろう」
「まったくもう……」
呆れたようにこめかみを押さえるましろ。
実際問題、ましろが来てから支出は増えている。それはもちろん、ましろの身の回りのものや食費等が二倍なれば当たり前のこと。
俺としてはその支出以上の見返りが彼女からもらえていると感じているのだが、彼女の思いは逆なのだろう。
「せっかくこんなとこまで来たんだ。今羽を伸ばさないことのほうが、勿体ないだろ」
「……分かりました。今日だけですからね」
「よしきた」
ましろの肯定を聞いて、俺はベンチから勢いよく立ち上がり。
そして、今朝と同じように、彼女に向けて手を差し伸べた。




