91 ネコ様には敵わない
俺の知らない、ましろの過去。その日々を彩っていた彼女にとって大切な二人。
彼女達と会うことを決めて、改めて正体を告げることを決めて。
それを行動に移す日は、週末の休日に決めた。
平日の間に具体的な計画を練って、準備を終わらせ。そして今日、それを実行に移す日がやってきた。
「準備できたか、ましろ」
「はい。大丈夫です」
土曜日の午前中。いつも通りましろと一緒に朝食を取った後、俺たちは多少の荷物を持ち玄関で最後の支度を整えていた。
「これまでで一番の遠出になるかもしれないからな。忘れ物のないようにな」
「……ちょっと、緊張してきました」
「無理に今日一日で終わらせる必要はない。必要であえば日を跨いでもよし、途中で引き返して来週に繰り越しても問題はない」
「……はい」
実際に二人……美玖ちゃんと月山さんに会うにあたって、いくつか問題があった。
まずは、その二人が住む家までの行き方。
もちろん、住所や電話番号は俺もましろも知らない。頼りになるのは、彼女の記憶だけだ。
つまりは、公共交通機関などもってのほか、車を出すのも最善手とは言えない。
あの家を出てからましろは色々の人の家を渡り歩いてきている。
なるべく彼女たちとの距離を置きたいと思っていたこともあり、なるべく遠くその家から離れるようにしてきたらしい。
つまるところ、ましろの記憶だけで目的地を目指すには、彼女が歩んできた景色を少しずつ遡っていくしかない。
そして、それに伴って時間の問題もあった。
ましろ自身、実際にどれだけの距離を移動してきたか把握しきれてはいない。
実際にどこまで目的地までどのくらい時間を要するかも予測が出来ないのだ。
だから、この際時間に関しては何も気にしないことにした。
明日も休日であるなら、出かけた先で寝泊まりすれば日を跨いでも何も問題はない。
もし明日中に目的地に着く見込みがないのであれば、また来週に挑戦すればいい。
そんな長い目で、今回の作戦は行うことにした。
「それじゃあ行こうか、ましろ」
玄関の扉の前で振り返り、ましろに向けて手を差し伸べる。
彼女はその手を見て小さくほほえみを返してから、ぎゅっと握ってくれる。
ましろのことを絶対に離さない。そんな気持ちを込めて彼女の手を握り返してから、俺は玄関の扉を開けた。
それからしばらくは、基本的にいつもの休日と遜色のない時間だった。
見慣れた風景をましろと二人で手を繋いで歩く。こんなときだからこそ、二人の思い出話を交えながら。
ましろの話す美玖ちゃんや月山さんとのエピソードも面白かったが、その反動かましろは俺の学生時代の話を興味深そうに聞いていた。
「美玖さんから少しだけ聞いただけですが、学校という場所は気になります」
「そういえば、この前テレビを見てた時も言ってたな。学校か……そんなに気になるか?」
「同い年の人と一緒に勉強をする場所、なんですよね?」
「そうだな。勉強はもちろん、一緒に遊んだりイベント事を楽しんだりな」
「私とは縁のない場所ですし、やっぱり気にはなってしまいますね」
笑顔でそう答えるましろ。普段の彼女を見ているとつい忘れてしまいそうになるが、彼女は普通とは違う。
それはネコの姿にもなれるという体質的な話だけではなく、彼女の生い立ちに関しいてもだ。
もともとはただの野良ネコとして暮らしていたらしいましろ。もちろん一般的な人間の家庭で育てられたわけでもなく、学校に通ったこともない。
ネコとしての自由はあったかもしれないが、人としての自由はかなり限られていたはず。
「どうせ遠出するんだ。時間があれば、色々寄ってみるか」
「色々、ですか?」
「ああ。俺も行ったことがない場所だ、せっかくだし散策しながら行こう」
「そういうことでしたら、喜んで」
余計な気回しかとも思ったが、ましろは嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
彼女を守るだけじゃない。もっといろんなものを見せたい、触れさせてやりたい。
彼女が望む限り、俺の全力でましろを幸せにしてやりたい。
まあ、今のところはどちらかといえば俺が幸せにされているほうな気もするが……。
「あの、佐藤さん。一つ質問なのですが」
「ん?」
「その……これって、デート、というものなんですよね?」
「……はいっ?」
ましろの口から出た思わぬ単語に、思わず立ち止まって彼女を見つめてしまう。
彼女はといえば、至って真面目な顔で俺の目を見つめ返してきていた。
「ま、待て。いきなりどうしたんだ」
「え……? 男女が一緒に出掛けることもデートと呼ぶと思っていたのですが……違いましたでしょうか?」
「い、いや。大体合ってるんだけどな?」
純粋な瞳で首を傾げるましろに思わず額を覆う。
一般的なデートという単語には、それとは少しばかり違うニュアンスが混じるものであって。
先日のダブルデートの時に、そんなことはてっきり理解してくれているものだと思っていたのだが、勘違いだったのか?
「その、一般的は恋人同士のお出かけを指す言葉であってな?」
「それは、はい。でも、綾乃さんが言うには、男女であればそれはすべてデートだと……」
ちょっと綾乃さん、俺に見えないところでましろに何を吹き込んでるんですか。
まあ、そういう解釈が一概に間違っているともいえないのだが、経験の浅い俺からすれば勘違いのもとでしかない考え方である。
「綾乃さんの言うことも間違ってはいないんだが……いや、せっかくの機会だ。ましろに文明の利器の使い方を教えよう」
そう言ってから、ましろに鞄からスマホを取り出すように指示する。
「いいか、ましろ。意味が曖昧な単語に出会ったときはそれを使って調べるんだ」
「検索、というやつですね?」
「ああそうだ。それで、デートという単語を調べてみてくれ」
「はい、お待ちくださいね」
少しだけおぼつかない操作ながら、検索を進めるましろ。
初めて使うわけではないらしく順調に調べれているようだが、だんだんとその手の動きが鈍くなっていく。
なんとなく彼女の顔を見て、どんな結果にたどり着いたか予想がつく。
「えっと……ちなみに綾乃さんの解釈は発見できたか」
「ほ、ほとんどありませんでした……」
「まあ、そうなるだろうな」
「ごっ、ごめんなさい。私……」
「せ、責めてるわけじゃない。……だが、まあ」
恥ずかしそうに縮こまってしまうましろ。俺はそんな彼女から視線をそらしながら頬をかく。
「別に、デートと呼んで間違いなわけではない。でも、一般的にはそういう意味になってしまう……というか」
「そう、なんですね……」
納得したようでどこか納得のいってないような、曖昧な表情をするましろ。
不思議に思いながら「どうかしたのか」と声をかければ、彼女は少し考えたあと再び目を合わせてくる。
「……じゃあ、好き同士でしたら、デートでもいいんですよね……?」
「ん? そりゃあそうだが……っ!?」
何気なく答えた俺の言葉を最後まで聞くことなく、ましろはいきなり俺の腕に抱きついてきた。
それは、例のダブルデート当日の朝のように。恋人のふりをしているときと同じように。
「ま、ましろ? これは……?」
「デートなら、こうするものです」
「いや、だからデートの定義的には……」
「好きなら、問題ないんですよね?」
いつものやさしいましろとは違う、どこか小悪魔じみたほほえみを浮かべている。
……彼女の言葉を真に受けて、勘違いしているわけではない。
好きという言葉にも、当然ニュアンスの違いがあることくらい理解はしている。
「……意味、分かってるのか」
……だというのに、微かな期待のようなものを求めるように、俺はそう問いかけてしまった。
「私は佐藤さんのことが好きです」
淡々と口にされた言葉。それを俺が受け止めきる前に彼女はそのまま言葉を続ける。
「この気持ちが、デートに当てはまるような『好き』なのかは分かりません。佐藤さんからすれば、全く違うものかもしれません。……でも」
もう一度、ましろが俺の腕をぎゅっと抱きしめる。
それは、彼女の気持ちが、触れ合った場所から伝わってくるようで。
「私は、佐藤さんとこういうことをしたい。そう思ってます」
「……はあ」
胸がいっぱいになって、俺の抱えた気持ちはため息になって外に出た。
胸やけをしそうなほどの甘ったるさが心臓にまで浸食してきて、嫌でも鼓動を高ぶらせた。
……やはり、彼女にはまだまだ敵いっこなさそうだ。
「……ずるいよ。ましろは」
「ふふっ、誉め言葉として受け取っておきます」




