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90 不安と信頼



「佐藤さん。昨日の話の続き、してもいいですか?」


 帰宅し、ましろと少しばかり一悶着あった後。

 今日も彼女の手料理をありがたくいただいている時に、不意にその言葉が投げかけられた。


 直後、一瞬だけ部屋の空気が張りつめる。

 彼女のいう話とは、もちろん昨日のベッドでのこと。彼女の思い出にいるあの二人に、もう一度会うと決意したこと。


 俺から持ち掛けた話だからこそ、しっかりと計画を立てなければとは思っていた。

 どのタイミングで、どう切り出せばよいかを悩んでいたこともあり、ましろから振ってくれたのは素直にありがたかった。


 俺はすぐに佇まいを正してから「ああ」と彼女と目を合わせ首肯する。


「実際にあのお二人に会うことが出来るなら、一つだけ佐藤さんに協力してほしいことがあるんです」

「俺に出来ることなら、なんなりと」


 真剣な眼差しで俺を真っ直ぐに見つめてくるましろ。

 その目からは、もうすっかり迷いは無くなっているようで……でも、どこか濁りがあるようにも見えた。


「ご存じだと思いますが、お二人のうち美玖さんは私のこの姿を知りません。ですので、お二人に会う時はネコの姿でお会いしたいんです」

「そのときに俺から説明をしてほしい……というわけか」

「はい」


 ましろの言う二人とは、ましろを拾った一人娘の美玖ちゃんという子。そして、その家の家政婦である月山さん。

 月山さんにはましろの正体はバレていたが、その美玖ちゃんにはネコの姿しか知られていないのだとか。


 確かに、それを考慮するのであればネコの姿で会うのが妥当なのかもしれない。

 そして、あとは俺が美玖ちゃんや月山さんに事情を説明すれば、二人にあって無事を伝えることはできる。

 ……でも、それは、本当の意味でましろにとって意義のあることなのか。


「……ましろは、それでいいのか。人の姿で直接話したい、伝えたいこともあるんじゃないのか」

「………」


 俺の言葉を受けて言葉を詰まらせるましろ。

 そう。もちろん、ましろが今もこうして平和に暮らしていることを、彼女達は何よりも望んでいるだろう。

 だから、それを伝えられるだけでも十分。その気持ちも理解は出来る。でも、納得は出来ない。


「その人たちがどんな人なのかは知らない。でも、少なくともましろを傷つけるようなことは絶対にしない。そうだろう?」

「それは……はい。もちろんです」

「きっと、ましろがいなくなってから、その二人でも話はしているだろう。ましろが無事であることを何よりも願っているはずだ」

「はい……」

「お節介かもしれない。でも、これ以上大切な人に隠し事をするのは、誠実とは言えないんじゃないか」


 ましろなりに今日一日考えた結果、ネコの姿で会いたいと望んでいる。その気持ちを蔑ろにはしたくない。

 でも、俺が思っている気持ちは彼女の中にも少なからずあるはずだ。

 大切な人に隠し事を重ねたくない。それに近い感情があったからこそ、ましろは俺に正体を明かしてくれたんだと、そう思っている。


「私も、二人に伝えたいことは山ほどあります。誠実さに欠けることも、理解はしています……」


 彼女の声はどこかあの日の朝を思い出させるような、悲し気な色をしていた。


「でも、やっぱり不安になってしまうんです……。お二人に恩を仇で返すようなことをして、何も言わずに家を出て」


 ましろの抱えていた後悔が、いかに彼女の中で大きなものだったのかを改めて理解する。

 分かったつもりになっていただけで、彼女の葛藤は到底俺が想像できるものではない。

 でも……だからって、俺に出来ることがないわけではない。


「もし、仮にだが。その二人が、ましろに対して負の感情を持っていたのなら、ましろはどうしたい」

「それは……」


 もしかしたら、ましろを傷つけてしまうかもしれない、その質問。

 再び言葉を詰まらせる彼女。その表情は先程よりも暗かった。


「……謝りたいです。許してくれなかったとしても……私の気持ちは変わりません」

「そうか。……じゃあ逆に、二人が温かくましろを迎えてくれたら、どうしたい」


 立て続けに投げかけた次の質問に彼女は、驚いた表情で俺の顔を見つめる。

 彼女を安心させるように俺が笑いかけると、どこか困ったような顔をしたあと少しだけ表情を和らげる。


「……佐藤さんの話をしたいです。こんなにも素敵な人と出会えました。そう、報告をしたいです」

「はは、そんな風に紹介されるのか。恐縮だな」

「とんでもないです。きっと佐藤さんも、あのお二人とは気が合うと思います」


 俺としても、あの二人と話したいことは山ほどある。

 野良ネコだったましろを拾った娘さん。そして、ましろをこんなにも立派な主婦に育て上げたという家政婦さん。

 今俺がこんなにも恵まれた生活を送れているのは、他でもないその二人の存在があったから。そう言っても過言ではないはず。


 どんな形だったとしても、ましろがわだかまりが消えるのであれば目的としては十分すぎる。

 ……でも、もし欲を言うのであれば、その彼女達との繋がりを切らさずに生きてほしい。


 ましろの暗い思い出を、これからの彼女達との思い出で上書き出来るような。

 そんな関係性で、これから先も仲良くしていってほしい。俺は、何よりもそれを願っている。


「でも、そうだな。二人の気持ちがどうであれ、ましろには伝えたいことがあるんだろ」

「それは……はい」

「だとするなら、選択肢は一つしかないんじゃないのか」

「………」


 彼女達の反応によって、何を伝えるのかは変わるかもしれない。

 でも、ましろの気持ちとして、伝えたいことがあるのは変わらない。


「でも確かに、いきなり人の姿で会うのが不安な気持ちは理解できる。だから、折衷案を考えた」

「折衷案、ですか」

「ああ。最初は、ましろの言う通りネコの姿で会う。そして、俺から事情を説明した後、本当のことを話して人の姿で会う。それなら、どうだ」


 二人の反応を先に見ることができ、美玖ちゃんの動揺を大きくすることもない。

 月山さんは、話を聞く限り物分かりのいい人だと感じた。上手くこちらに合わせてくれるはずだ。

 現状取れる策の中では、これが最善のはず。あとは……ましろの意思だけだ。


「……じゃあ。もう一度……もう一度だけ、確認してもいいですか」


 ましろそう問いかけ、


「佐藤さんは、私のことをどう思っていますか」


 そして同時に、テーブルの上にあった俺の手を握った。

 どこか救いを求めるように見つめてくるその目は、どこかあの日のましろを連想させられた。

 俺の手を包んでいる彼女の手。それをまた包み込むようにもう片方の手で触れる。


「誰よりも、何よりも、自分よりも、ましろのことを大切に思っている。ましろが拒否しないかぎり、絶対に離さない。絶対にだ」


 離さない。その言葉を表すように、ましろの手を握る。

 彼女が俺を信じてくれて、彼女がここに居たいと望む限り。

 俺は誰よりも彼女のことを大切にし守っていく。そう、決めたから。


「……嬉しいです。佐藤さんに出会えて、本当に良かったです」

「それはこっちのセリフだ。あの日、ましろに出会えて良かった」

「佐藤さんがそう思ってくれるのなら……私も覚悟を決めます」


 顔を上げ、真っ直ぐに俺の目を見つめる。

 俺への信頼が少しでも勇気になってくれたなら、きっとこれ以上に嬉しいことなど他にない。


「よし、それなら決まりだ。最初はネコの姿で会って、そのあとに娘さんへ本当のことを伝える。間違いないな」

「……はい!」


 息を整えてあと、元気な返事を聞かせてくれるましろ。

 大丈夫。ましろが大切だと思う人なのであれば、きっとその彼女達はやさしくましろを受け止めてくれる。


 そして、ましろ自身もこれまで以上に胸を張って生きていけるはず。

 ……もう、あんな悲しく不安げな顔をしてほしくはないから。





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