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87 ネコ様の決意



「……これで、昔話は終わりです」



 最後に小さく息を吸い込んだ後、そう締めくくる。

 ましろは、終始落ち着いた様子で自分の過去を語ってくれた。


 もともとは野良ネコだったこと。初めて拾われた家でのこと。

 ……そして、その家を出てから俺と出会うまでのこと。


 ましろがどんなことを考えて、どんなことを感じたのか。彼女にとって、どれだけその二人が大切な人だったのか。

 それを考えるだけで、痛いほど胸が締め付けられた。


「ありがとう、ましろ」


 なんて声をかければいいのか、それを考えるよりも先に口からはそんな言葉がこぼれた。

 勇気を出して過去を話してくれたことはもちろん、あらためて俺と出会ってくれたことに対して。


「こちらこそ、聞いていただいてありがとうございます」


 電気を消した部屋の中、同じベッドで同じ天井を見つめる俺とましろ。

 そのおかげで彼女の表情を見ることはできなかったが、その声色からなんとなく感情を読むことが出来た。


「気持ちなら、変わってないぞ」

「えっ?」

「さっき言っていただろ。ましろの過去を知って、俺の気持ちが変わらないかって」

「それは……はい」

「安心してくれていい。ましろへの気持ちは何も変わってない。俺にとって、何よりも大切な存在だ」


 ましろを安心させるように、ずっと繋いだままだった手を、さらに強く握る。

 俺だけは、絶対に彼女を見捨てるようなことはしない。そう、彼女に伝えるように。


「ありがとうございます……私も、佐藤さんと同じ気持ちですよ」


 その手を握り返して彼女はそう答える。

 先ほどまで微かに強張っていた声色は、いつものやさしい彼女の声に戻っていた。


 そして、徐々に張りつめていた部屋の空気も元通りになっていく。

 時計の針の音も聞こえなくなっていた空間は、少しずついつも通りの姿を取り戻していった。


「……懐かしいです」


 その空気に溶け込むように、ゆっくりとましろが呟く。


「娘さんと、家政婦さんのことか?」

「はい。……本当に、素敵な方たちでした」


 俺には想像のできないほど、苦しい日々を過ごしてきたであろうましろ。

 にもかかわらず、彼女はこんなにもやさしい女の子なのだ。

 それはきっと、他ならないその人たちとの日々が彼女をそうさせていたのであろう。


「それなら、前にましろが言っていた師匠みたいな存在っていうのは……」

「はい。その家政婦、月山さんです」

「なるほどな……」


 前にましろが言っていたことと、今の話を聞いて納得する。

 彼女が「その師匠さんは佐藤さんみたいな人だから」と話していたのは、唯一その月山さんという人が、俺以外で人の姿のましろと関わりがある存在だからだろう。


 いや、もしかしたらそれ以外にも何か共通点があるのかもしれないが真意はましろしか知らない。

 逆に、今の話を聞いただけでは俺が月山さんに肩を並べられる要素など一つも無かったような気がするが……。


「ましろの主婦力は、その月山さんにしごかれた結果と」

「ふふ、そうですね。大変でしたが、とても楽しかったです」

「しかし、そうか。その時はルミって名前だったのか」

「はい。美玖さんがつけてくださって、とても気に入っていました」

「いい名前だと思う。ましろにすごく合ってる」


 なんというか、思いつきで彼女の名前を考えてしまった自分が少しだけ恥ずかしくなる。

 もちろん、後悔しているわけではないが、ましろがどう思っているかはちょっとばかり気になってしまった。


「大丈夫ですよ、佐藤さん」

「えっ。な、何がだ?」

「いえ。佐藤さん、私の名前について考えてそうでしたので」

「軽率に心を読むのはやめような、ましろ」

「ふふっ、すみません」


 恐ろしいまでのこのエスパーさも、その家で培われた技術なのだろうか。

 それとも、ただ単純に、俺が顔に出やすい性格なだけなのか……。いやまて、顔は見られてないはずなんだが。


「佐藤さんがつけてくださった名前も、すごく気に入っていますよ」

「本当に……?」

「嘘じゃないです。それに、佐藤さんがつけてくれたということが大事なんです」

「そ、そういうものか」

「そういうものです」



 そのあとも、楽しそうにその家であったことを色々と話してくれるましろ。

 本当に、彼女にとっては輝くような日々だったことがその声色から伝わってきた。


 そうして同時に、やはり心に引っかかるものはあった。

 多分……いや、きっと。彼女が内心に抱えていた重りとは、今語ってくれた過去のことであり。

 ひいては、彼女にとって何よりも大切であった、その二人のことなのだろう。


 そんな大切のものすべてを投げ出して、巡り巡って俺と出会った。

 ましろはいつも、俺との生活を幸せだと言ってくれる。

 でも、きっと心のどこかにはそのときの思い出が引っかかっていたのだと思う。


 もし……そのときのことがましろの中でくすぶっているのであれば。

 もし……それが原因で、彼女が悪い夢を見てしまうのであれば。


「……ましろは、その二人に会いたい……と思ってるか?」

「そ、それは……」


 俺の質問に言葉を詰まらせるましろ。


「もちろん、無理強いするつもりは全くない。でも、今のましろに必要なことだとも思ってる」

「………」

「まあ、個人的に俺が会ってみたい気持ちもあるんだけどな」

「……そう、ですね」


 少しだけ茶化した俺の言葉に、ましろは真剣な雰囲気で肯定する。

 一緒に住む大切な存在が何かを抱えているなら、それを一緒に背負い少しでも負担を減らしたい。

 そう思う気持ちは、彼女の過去を聞いて余計に強くなった。


「もちろん……あの二人には会いたいです。会って……しっかり、謝りたいです」


 そう答えるましろの声は、少しだけ震えていた。


「二人に会うのが怖いのか?」

「……はい。今、二人が私のことをどう思っているのか。それを考えると……少し、怖いです」


 俺はその二人のことは知らない。でも、ましろから聞いた印象だけで、悪い未来は見えない。

 でも、本人がそう考えてしまう気持ちも、痛いほど理解できる。


 今も自分のことを良く思ってくれているのか。逆に、良く思ってくれていないのか。

 はたまた、自分のことなど忘れてしまっているのか……。

 不安になる要素なんていくらでも思い浮かんでしまうだろう。


「俺が一緒にいる。俺は絶対にましろを裏切らない。それでも、耐え切れないか?」

「…………いいえ、大丈夫です。もし、悲しい結末だとしても。今の私は、佐藤さんがすべてですから」

「それなら、決まりだな」


 もう一度彼女の手を握りなおす。

 きっと、もう一度二人に会えば、彼女はこれまで以上に胸を張って生きていける。

 確かな確信がそこにはあった。


 ましろが体勢を変えて、こちらに向く。

 すっかり暗さに目が慣れていたので、彼女の顔をしっかりと確認できた。


「なんやかんやで夜更かししちゃったな」

「すみません……明日もお仕事なのに」

「俺が聞いたことだ。あらためて、話してくれてありがとな」


 空いている右手を伸ばして、ましろの頭を優しく撫でる。

 彼女は気持ちよさそうに目を細めたあと、さらに距離を詰めてくる。そして、上目遣いで俺の顔を見つめてきた。


「……その、今日最後のわがまま……言ってもいいですか?」


 俺の肩に彼女の顔が触れるような距離で、彼女はそっと耳元でささやく。

 理性とは裏腹に高鳴る鼓動を落ち着かせながら、俺は「ああ」と返す。


「じゃあ……今だけ、佐藤さんの腕をお借りしてもいいですか?」

「腕? って、ち、ちょっとおい」


 俺の疑問をよそに彼女は、さらに距離を近づけて俺の体にぴったりとくっついてくる。

 先ほどまで繋いでいた左手はましろの頭の下にあり、それを枕にするようにして彼女は俺に寄り添う。


 少しでも顔を傾ければ、彼女の顔に触れてしまうような距離。

 息をするのも忘れてしまいそうになるほど、彼女の体温、匂い、感触が脳を埋め尽くした。


「佐藤さん、すごくドキドキしてます」

「っ……。あ、当たり前だろ」

「ふふっ。私も……ドキドキしてます」


 自分のベッドでましろがいるだけでも現実味がなかったというのに、今は腕枕をしながら添い寝している。

 いつの間に眠ってしまって夢でも見ているのではないかと考えつつも、胸の鼓動がそれを否定してきた。


「おやすみなさい。佐藤さん」

「寝かせる気ないだろ……」

「ふふっ」



 楽しそうに笑う、小悪魔モードのましろ。

 俺はその声を聞きながら、鳴りやまない鼓動にすっかり覚醒してしまった頭を抱えるのだった。





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