83 ネコ様と家政婦
自分の失態により、この家の家政婦である月山さんに、私の正体がバレてしまった翌日。
彼女が言うには、今日あらためて話を聞かせてほしいという。
昨日、月山さんが部屋から出ていったあと、洋服をタンスにしまって私はすぐにネコの姿に戻った。
月山さんが見なかったことにすると言っていた通り、帰ってきた美玖さんはいつもと変わらない態度で私に接してくれていた。
昨晩は、月山さんから何を聞かれるのだろうかと、不安でなかなか眠れなかった。
あの様子を見るに、私が人の姿になったことに驚きこそしたものの、拍子抜けするほどにすぐに受け入れてくれていた。
話に聞くかぎり月山さんは、美玖さんが生まれたときくらいからずっとこの家で家政婦をしているらしい。
そんな人が、守るべきこの家の一人娘の部屋に素性の知れない人を放置している。
彼女が何を考えているのかさっぱりわからず。私の疑念は深まるばかりだった。
いつも通り、学校へ向かう美玖さんをお見送りした後、両親二人も仕事に向かった。
今この家にいるのは、私と月山さんだけ。おそらく、しばらくすると彼女がこの部屋を訪ねてくるはず。
私は心の中で一つ深呼吸をした後、人の姿になってもう一度昨日と同じ服を着る。
そういえば、昨日は動揺して何も言えなかったが、この洋服について月山さんから似合っていると言われていた。
あらためて部屋に置いてある姿見で自分の体を見つめてみる。
「悪くは……ない、のかな」
そこまで派手すぎず、かわいすぎることもないワンピース。
でも、どこかデザインと色合いには気品があり、私のような少し普通じゃない髪色にもよく馴染んでいるように見えた。
今思えば、こうして人の姿の自分を見つめる機会はあまりなかった。
しばらくの間、そんな風に自分自身の観察を続けていると、やけに鮮明に扉をノックする音が聞こえた。
「入ってもよろしいですか? ルミさん」
続けて部屋の外から月山さんの声が聞こえてくる。
一瞬、素直に返事をしてしまっていいのか悩むが、どちらにせよこれ以上逃げ道はない。
「ど、どうぞ……」
私がそう返すと、月山さんは丁寧な動作で扉をあけ部屋の中に入ってきた。
ソファなどに座らず、部屋の隅の姿見の前に立っていた私を見て、月山さんは少し不思議そうな顔をするが、特にそれ以上気にした様子はなくその場で綺麗にお辞儀をする。
「おはようございます。ルミさん」
「お、おはようございます」
「今日も、よくお似合いですよ」
「あ、ありがとう……ございます?」
挨拶を済ませた後、すぐに月山さんは私の服装を褒めてくれる。
仮にも、この人の雇い主の服を勝手に着てしまっているというのに全く咎める様子はない。
それどころか、この服に関して話しているときの月山さんは、どこかやさしげな表情をしているように見える。
あいさつをすることも感謝を述べることもあまり経験がなく、思わずカタコトでしか答えられなかった。
それでも月山さんのお気には召したようで、そのまま彼女に促され二人でソファに座る。
「では、早速お話を聞かせていただけますか?」
「は、はい」
月山さんは、お手本のような座り方のままくいっと眼鏡を上げ、なぜか懐からメモを取るためのボードを取り出す。
表情こそ先程のままであまり重苦しい感じではないものの、座り方や持ち物の雰囲気はまるで何かの面接のようだった。
「それではまず、自己紹介をお願いします」
「えっ、あの。ル、ルミ……です。名前は、美玖さんにつけてもらって……」
「なるほど。美玖さんの印象はいかがですか?」
「や、優しい……と思います。いつも、明るいですし」
雰囲気のせいもありもっと答えにくい質問をされるのかと思いきや、簡単なものからスタートした。
相変わらず、慣れない会話で少し詰まりはするものの、なんとか受け答えることが出来た。
でも、やはりどこか雰囲気に違和感がある。例えるなら、それこそ本当に面接のような……。
「では……そうですね。ルミさんは以前、どのような職業に?」
「しょ、職業……? え、えっと。その……の、野良ネコを少々?」
「そうでしたか。そちらを辞めてこちらに転職を決めた理由についてお聞きしてもいいですか?」
「り、理由は美玖さんがきっかけで……。あの、転職って……?」
「なるほど。では志望理由と自己PRを──」
「あ、あの! これ、なんか違いませんかっ!」
面接のような雰囲気というか、本当にただの面接だった。
いくら私に質問に対する拒否権がないとはいえ、どう考えても内容がどんどんとおかしくなっていくのに思わずツッコんでしまう。
「ふふ、冗談です。いつ止めてくれるのか不安になってしまいました」
「不安なのはこっちです……」
「ごめんなさい、ルミさん。少し困らせてみたくなってしまいまして」
「は、はあ……」
口をおさえて、静かに笑いをこぼす月山さん。
勝手に厳格な人だとイメージを持っていたが、思っていたより……いや、かなりお茶目な人なのかもしれない。
一晩中今日のことを考え緊張していた身体が一気に脱力していく。
どんなことを聞かれるのか、最低限の言い訳すら考えていたのに、当の本人はただただ私をからかっているだけだった。
「美玖様からは、すごく良い子だと聞いていたのですが、私自身あまり関わりはありませんでしたから」
月山さんはどこか寂しそうな表情をしながらそう語る。
そもそも、美玖さんが私を飼う上で母親からいくつか条件を出されていた。
その一つに、私に関してのお世話は、すべて美玖さん一人だけでやるというものがあった。
美玖さんはまだ小学生。そんな子にすべて任せるというのもかなり酷な話のような気がするが、彼女は自分なりに色々と調べお世話をしてくれた。
家政婦である月山さんを頼ることもできたはずなのだが、美玖さんにも何かプライドがあるのか、一度もそんなことはなかった。
「良かったです。美玖様はもちろん、ルミさんもいい人そうなので」
「そ、それなら……私も良かったです」
「ルミさんのことに関しては、私にも少なからず責任はありますからね」
月山さんが言う責任というのは、美玖さんが私を飼うにあたって母親ともめていた時のこと。
母親が猛反対する中、唯一美玖さんの味方をしてくれていたのが月山さんだった。
最後の一押しを決めたのは、他でもない協力者であるこの人のおかげであり、それに関しての責任のことを指しているのだと思う。
「なんというか、その……ありがとうございます」
「ふふ。まさかネコさんからお礼を言われる日が来るとは思いませんでした」
「へ、変でしたか?」
「いえいえ。それに、お礼には及びませんよ。私も安心出来ました」
その言葉に遠慮や建前は全く見えなかった。
こんなにも心から、この家や美玖さんを思って働いていることには素直に憧れを感じた。
人と関わることを避けてきた私からすると、月山さんの姿はとてもまぶしく映った。……お茶目でいじわるなところは少し苦手だけど。
「今日はありがとうございました。ルミさんとお話できてよかったです」
「は、はい。でも、あの……私のことは」
「安心してください、誰にも言いませんよ。大切にお墓までご一緒します」
月山さんには色々とお世話になっているのに、これ以上お願いしてしまうのは正直心苦しい。
でも、美玖さんに打ち明けるような勇気はまだ私にはない。まだもう少しだけ、今の生活を続けたい。そんな、勝手なわがまま。
「……ごめんなさい」
「お気になさらず。……でも、そうですね。お礼をしていただけるというのなら、悪い気はしないかもしれませんね」
「お、お礼……」
月山さんは再び、見覚えのあるいたずらな表情をして考え始める。
そうしてしばらくした後、何をきっかけにするでもなく彼女はスッと立ち上がる。そして、
「少しだけ、私に付き合っていただけますか?」
優し気な表情で笑いかけ、私に手を差し伸べた。




