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82 記憶の中のネコ様


「ルミ~! ただいま~!」


 まだ幼い、よく響く声が扉の向こうの廊下から聞こえてくる。

 そして、ばたばたと騒がしい足音が近づいてきた後、部屋の扉が勢いよく開かれる。


「ただいま!」


 扉を開けて部屋の中に入ってきた彼女は、私を見つけると年相応のかわいい笑顔でもう一度そう言った。

 彼女はすぐに駆け寄ってきて、私の頭に手を伸ばして無邪気に撫でまわしてくる。

 お世辞にも気持ちの良い撫で方とは言えないものの、彼女の純粋な愛情が伝わってくるようで嫌いじゃない。


 彼女は、この家の一人娘の美玖(みく)さん。

 元々はいわゆる野良ネコだった私だったが、少し前にこの家の庭を散歩しているときに彼女から興味を持たれて声をかけられた。

 もちろん最初は警戒して近づくことはなかったが、しばらく通っているうちに危害を加えるような子ではないと判断して、今はこうして居候させてもらっている。


「今日はね、学校でルミの話をしたんだよ~。そしたら、みんなルミに会ってみたいって!」

「にゃぁん」

「えっへへ。……でも、お母様が許してくれなさそうだからなぁ」


 私の返事に顔を緩めた美玖さんだったが、すぐに顔色を暗くしてしまう。

 本気で落ち込んでいるわけではないが、どこかあきらめてしまっているような表情。


 彼女の母親は、私もあまり得意ではない。そもそも直接関わることは少ないが、美玖さんを通して聞く話ではかなり厳しい人らしい。

 もちろん暴力や暴言といったようなことは一切ないが、自由にさせてくれることは少ない印象を受ける。


 美玖さんが言っているように、友人を家に呼ぶような普通なことでも、あまりいい顔はしてくれないらしい。

 美玖さんが私を部屋で飼いたいと言ったときは、それはもう猛反対された。

 結局、とある協力者のおかげもありなんとか許可をもらえたのだが、それ以来わがままはこれまで以上に聞いてくれなくなったとか。


「まあいいんだけどね! ルミがいれば私幸せだもん」

「にゃん」

「えっへへ~♪ もふもふ~」


 まるで体を洗われているかのようにわしゃわしゃと撫でられる。

 美玖さんの母親からの条件で、この部屋から出ることが出来ないのは少し退屈ではあるものの、それ以外で不自由なことはない。

 この家庭自体裕福なこともあり、部屋の大きさや食べるものに関しても申し分ない。


 見ず知らずの人に生活を委ねてしまうこと自体に不安はあるものの、今まで一人で生きてきてこれほどまでに誰かから愛されることは一度もなかった。

 ただ生きていくだけの日々に彩りを付けてくれた美玖さん。そんな彼女と一緒に過ごすことに、私はどこか心地よさを感じていた。



 * * *



 美玖さんの家での生活にもかなり慣れてきて、私はタイミングを見計らって人の姿になっていた。

 もちろん、誰にも見られるわけにはいかないので、家に誰もいない時を見計らって。

 体は少し重く感じるが、普段なかなか人の姿にはなれない分、すごく良い気分転換になる。


 美玖さんは学校、ご両親はお仕事、家政婦さんはお買い物。

 洋服は、タンスの奥にあったものをお借りした。サイズなどを見るに、おそらくは美玖さんの母親が中高生頃に着ていたものだと思う。

 美玖さんがもう少し大きくなったら着られるように置いてあったのだと思う。


 人の姿になり服を着たといっても、外出するわけではない。ネコの時と同じく、この部屋の中で過ごすだけ。

 特にこれといってやることがあるわけでもないが、この姿で歩いたり部屋を散策したりするだけでも十分にいつもと違う体験が出来る。


 いつもは見えない場所が見えたり、部屋にあるものを手に取って見たり触ったりすることが出来たり。

 しばらくはそうして満喫していたが、この体に慣れていないこともあり疲れが出てきた。

 居候になってからの想像以上の体力の低下に、思わずため息をついてソファに腰かける。


 家の人で最初に帰ってくるのは家政婦さんだが、いつも通りであればまだ帰ってくるまでには時間がある。

 私は疲労感から来る眠気に身を任せて体の力を抜いていく。

少しだけ仮眠をして、家政婦さんが返ってくる前に起きよう。そう思いゆっくりと目を閉じる。


 そうして私の意識は心地よいまどろみの中に落ちていった。




「起きて下さい。不法侵入者さん」


 そんな私の意識を覚醒させたのは、どこか聞き覚えのある少し冷たさのある声だった。

 一瞬で眠気は消し飛び、目を開いてすぐにその声を発した人を確認する。


「つ、月山(つきやま)……さん」

「あら、名前まで知られてしまっているのですか。ただの不法侵入ではなさそうですね」

「あっ……」


 そこに立っていたのは、至って冷静な口ぶりで話すこの家の家政婦、月山さん。

 動揺して余計なことを口走ってしまった私は、思わず手で口をふさいで彼女から視線を逸らす。


 完全に油断しきってしまっていた。ちらっと時計を見るとあれからかなりの時間が経ってしまっていた。

 買い物なんて当の昔に終わって、ちょうど今の時間は掃除をしている頃合い。


「あの、私は……その」


 なんとか説明をしようとして、言葉に詰まる。それは、人の言葉を話す機会が少ないからという理由だけじゃない。

 この姿を見られてしまった以上、もう言い訳が何もできない。


 私がルミであることを告げても、受け入れられるわけがない。

 はたまたそれを隠せば、それこそ本当に不法侵入をした人になってしまう。

 どちらにしても、この家に居られる保証はない。


「説明はしていただけない、と」


 私が口を噤んでいると、月山さんはいまだ冷静にそう告げる。

 目の前に事実上の不法侵入者がいるというのに、これだけ冷静でいられるのは年の功だけなのか。

 実年齢は知らないが、見た目はまだ30代くらいに見える。それでこの立ち振る舞いをする彼女に、私はどこか憧れすら感じていた。


「とりあえず、その洋服は奥様のものですよね?」

「そ、その。ご、ごめんなさい……」

「……ふふ。いえいえ、良くお似合いですよ。ルミさん」

「えっ?」


 あまりの自分の不甲斐なさにうつむいたままだったが、月山さんから発せられた言葉に思わず顔を上げる。

 先ほどまで冷たい目をしていた彼女は、ほんの少しだけ柔らかい表情をしているように見えた。


「な、なんで……名前」

「間抜けな侵入者さんですね。身だしなみには気をつけたほうがいいですよ」


 月山さんはそう言って、懐から手鏡を取り出し私を移すように差し出してきた。

 そこに映っていたのは、彼女の言うように間抜けな顔をした私の顔。そして、その頭に生える二つのネコ耳だった。


「まさかとは思いましたが、本当にルミさんなんですね」


 月山さんは感心した様子で私の顔と体を見つめながら、そう言葉をこぼす。

 頑張れば隠すことも出来るのだが、まさか他の人に見られるとは思っていなかったためそんなことはしていない。

 しかし、こうも簡単に納得されてしまうと、逆にこっちが信じられなくなってしまう。


「あ、あの、えっと……」

「今日は何も見なかったことにします。そろそろ美玖様が帰ってきますので」


 うまく言葉が作れない私を見かねたのか、月山さんは私の言葉を遮って話を中断させる。


「詳しいことはまた明日お聞きします。では」


 それ以上何も言わずに、月山さんは部屋から出て行ってしまう。

 彼女の言う通り、そろそろ美玖さんが帰ってくる時間だ。彼女の判断は何も間違っていない。


 ひとまずは問答無用でこの家から追い出されなかったことは幸いだが、あまりにも冷静すぎる月山さんに驚きが隠せない。

 明日、美玖さんたちが出かけた後にまた話を聞かせてほしいということだと思う。……と言われても何から話せばいいものか。


 状況についていけない私は、一人悶々としながらその日の夜を過ごすのだった。





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