80 ネコ様と休日の夜
ましろが言っていた通り、今日の夕飯は彼女お手製のカレーライス。
これまでも何度か食べてことはあったのだが、相変わらず見た目も味も完璧で、おいしく完食させていただいた。
そのあとは彼女の要望通り、二人でのんびりとした時間を過ごした。
特にやることがあるわけではなく、昼間と同じくソファに二人で腰かけて他事をしながら雑談するだけ。
相変わらずましろは俺の足の間に陣を取っているので、必然的に彼女と体が触れ合っており、まだまだ緊張は解けそうになかった。
入浴後、夕飯を終えて時間が経っているとはいえ、ましろの髪からはシャンプーの香りが漂っていた。
自分が使っているものと同じだというのに、女性特有の匂いというのかよくわからないが、自分とは違う匂いして鼓動が早まる。
「どうかしたんですか、佐藤さん。何やら神妙な顔つきですけど」
「まあ、少し世界平和についてな」
「具体的には?」
「今ちょうど、もふもふなネコ耳が鍵だという結論が決議されたところだ」
「……その世界はもうすでに平和そうですね」
適当に誤魔化す俺の言葉に冷静なツッコミを入れてくるましろ。
適当とは言いつつも、もふもふは世界を平和に出来るポテンシャルを十分に兼ね備えていると思う。
俺もそのことに気づいたのはつい最近だが、ましろに出会ってからは確信を持ってそう言える。そう理由付けをしてから、おもむろに彼女の頭に手を乗せる。
「んっ……。佐藤さん、頭撫でるの好きですよね」
「世界平和のためには仕方ないな」
「はいはい」
だんだんとましろも、俺のあまり人様には見せられないような性癖を理解しつつある。
単純なネコ好きなのはまだしも、ネコ耳やもふもふ好きともなると自分ながら擁護できない気持ち悪さがある。
そんな俺にも信頼を寄せてくれているましろに甘えて、こうして彼女のもふもふを堪能させてもらっているわけだが。
髪を触るだけであればましろも気持ちよさそうにしていたのだが、調子に乗ってネコ耳を触るとくすぐったそうに身をよじる。
嫌がるようであればやめようかと思ったのだが、それ以上に抵抗されることはなかった。
そのうちに彼女の体が俺の胸に寄りかかってくる。力が抜けてしまったのか、それとも何か別の理由か。
彼女の存在を匂いだけでなく温度でも感じることに、胸が締め付けられるような感覚を受ける。
「世界平和のためとはいえ、抵抗しないとずっともふもふし続けるぞ?」
「そんな大義名分がなくても大丈夫ですよ」
「自分を安売りするのはどうかと思うぞ。ネコ耳だぞ、ネコ耳」
「私にとってはただの体の一部ですけど……」
ましろが普通のネコであるならどれだけ俺が触りまくろうが何も問題はないのだが、今の状況を傍から見ると成人男性が一方的に少女に対しておさわりしているのである。
何度考えても現実味がなく、背筋の凍る光景である。そんな現状を甘んじて受け入れてしまっている自分が、改めてロクな大人ではないと感じる。
「まあでも、考えてみればそうかもしれませんね」
「ましろが望むなら対価として何か支払うぞ」
「ふふ、大丈夫ですよ。……でも、そうですね。一つだけお願いがあります」
「なんなりとどうぞ」
言葉の続きを聞くためにましろから手を離すと、彼女が体をひねって顔をこちらに向けてくる。
ほんの目と鼻の先に近づいた彼女の瞳に思わず吸い込まれそうになる。固まってしまう俺に対して彼女は視線を逸らすことなく。
「こういうことは、私以外にはしてほしくないです」
「……え?」
「わがままなのは承知です。でも、この時間は誰にも譲りたくありません」
決して顔をそらすことなく、曇りのない眼で俺を真っ直ぐに見つめて彼女はそう言った。
それこそ、ましろと出会ってからこんなにもはっきりと彼女から何かを求められたことは初めてかもしれない。
その言葉が意味することは、これから先の二人の関係性。そして彼女の気持ち、俺が胸の中において外に出すことをあえてやめていたこと。
思わずいろんな思いをすべて口に出しそうになるのをなんとかとどめ、ほんの少しだけはぐらかすように笑いかける。
「俺がこんなことする相手なんてましろしかいない、悲しいことにな。だから安心してくれ」
「こんなに優しくて、そこそこにはかっこいいのに……」
「そこそこで悪かったな。いつも榊原に綾乃さんとの惚気話を聞かされる日々だよ」
「ふふっ、冗談です。かっこいいですよ、佐藤さんは。そういった話を聞かないのが不思議なくらいです」
ましろと出会う前はなんとなく恋愛に興味がなくなっていしまっていてそういったことに無頓着だった。
しかし、彼女と出会いネコの写真が会社で話題になったときは、これまで話すことのなかった女性と話す機会もそれなりに増えた。
それでも何も進展がなかったのは、言うまでもなく俺の意識がすべてましろに向いてしまっていたからだろう。
「今の俺にとっては、そんなことよりましろのほうがずっと大切なんだよ。譲りたくないのは俺のほうだ」
「……本当に、過保護な人です」
彼女はそう言うと、俺の心臓の声に耳を傾けるように俺の胸に寄りかかってくる。その表情はとても安堵に満ちているように見えた。
しばらくそのまま二人身を寄せ合ったまま、何か話をすることもなく時計の針の音だけが鳴る時間を過ごす。
楽しく充実した休日だったが、明日からはまた仕事が始まる。この時間を終わらせてしまうのはもったいなく感じるが、社会人である以上そういうわけにもいかない。
そろそろ寝るとましろに伝えると、ほんの少し残念そうな顔をするが了承をいただけた。
歯磨きをして、消灯して、ベッドに横になる。昨日一日歩き回った疲れはすでに取れていたが、休日の間ずっとましろと一緒に過ごせた充実感ですぐに眠気がやってくる。
ましろはいつも脱衣所でネコの姿になってから、自分の寝床につく。
彼女が変身する瞬間は見たことがないが、着替えのようなものだと考えれば人様が見ていいものではないだろう。
いつも通り先にベッドで待っていると、脱衣所の扉が開く音がして足音が近づいてくる。そして、少しその足音に違和感を覚えた。
「ましろ?」
暗くなった部屋の中で目を開けましろのほうへ視線を向けると、まだ人の姿のままのましろがそこにいた。
暗さで表情はうかがえなかったが、なんとなく彼女がこの先に何を言おうとしているのか察しがついた。
「……佐藤さん。あの、もう一つお願いがありまして」
「いいぞ」
「まだ何も言ってません……」
ましろがこういった行動をするときは大体彼女がわがままを言うときだ。
どんなことだって断ることはないし即答したのだが、どこか不服そうに彼女は言葉を返してきた。
「本当にいいんですか?」
「ああ、なんでも言ってくれ」
「……それじゃあ、失礼します」
ましろはそう言うと、おもむろに俺の上にかけてある布団に手をかけ俺のとなりに寄り添うようにベッドにもぐりこみ──
「……えっ」




