77 翌朝の出来事
榊原と綾乃さんとのダブルデートの翌日。昨日のこともあってか、いつもの休日にならってしっかりと寝坊をして目を覚ます。
とりあえずは何の不備もなく、楽しいダブルデートを完了することができたが、いらぬ心配をしすぎて少し疲れてしまった。
昨日のダブルデートの最中、俺は榊原たちにましろの正体を明かして、彼女と出会った経緯などもすべて説明した。
これ以上友人に隠し事をし続けられなくなったということはもちろんだが、結果としてましろのことに関して相談ができる人が増えたというのは俺にとってもましろにとってもいいことだ。
俺は榊田に女性との同棲に関して。ましろは一人の女の子として、同性で気軽に話ができる。
多少リスクのある判断だったが、しっかりとメリットも獲得することができたのでひとまずは一安心だ。
そんなこんなで昨日を乗り切ったわけなのだが、俺が目覚めた目の前に広がる光景はいつもの景色とは少しだけ違っていた。
「……ましろ?」
思わず彼女の名前を口にする。虚空に問いかけるものではなく、すぐそばにいる彼女に対して呼びかけたその言葉。
なぜそんな言葉を口にしてしまったかといえば、ベッドに横たわる俺のお腹に彼女がいたから。
……人間の姿ではなく、真っ白なネコの姿で。
いつもの休日であれば、ましろはいつも俺より早く起きて家のことを済ませてくれる。
おそらく俺が平日に仕事に行っている間にやっているのであろう家事を、朝からてきぱきとこなしているのがいつもの休日の風景だ。
ましろに気づかれないようにスマホを手に取って画面を見てみると、時間は午前十時。
あらかたの家事を終わらせて昼食の時間まで少し休憩しようかという頃合いなのだが、彼女は俺の胸の上で丸まってすやすやと寝息をたてている。
「………」
ましろが俺のベッドにいること自体は初めてではない。もちろん滅多にないことだが、それくらいで動揺はしない。……してない。
問題はこんな時間帯になっても彼女が寝坊している俺に付き添っているということ。そして、ベッドどころか俺の上に乗っているということ。
ネコは気まぐれな生き物だというのはよく聞くし、こんな風に寄ってきてくれることはうれしいことだが、ましろはただのネコではない。
ましてや彼女は俺と恋仲になっているわけではない。端的にいってしまえば、普通の女の子が同じベッドで、かつ俺の上に乗って寝ているのである。軽く大事件である。
そして、ましろがネコの姿になっていることもこれといって珍しいことではない。彼女の身体的なことは分からないが、気分によって姿を変えているらしい。
とはいえ比較的に人の姿をしている時間のほうが長い。家事をしたり外出したりするときはもちろん、食事の時も基本的には人の姿。
ましろがネコの姿だったときの、ちょこんとお座りしてカリカリを食べる姿を見られないのは少しだけ寂しかったりはするのだが。
その代わりにご飯を食べるときの話し相手がいるわけで、その面では感謝してもしきれない。
ご飯は誰かと一緒に食べるのが一番おいしいなんていうのはよく聞く話だが、あらためてその意味を理解できた。
自分のために作ってくれたご飯を、その人と一緒に食べて。
おいしいと伝えれば、相手が心の底から喜んでくれて。
他愛もない話をしながら食べる手料理が、こんなにも心を満たしてくれるとは思わなかった。
話がそれてしまったが、とりあえず俺の胸の上でましろが寝ている。その状況に脳が追い付いていないということ。
気持ちよく寝ているのを起こしてしまうのも可哀そうだが、今更二度寝できるような状況でもなく体も起こせない。
「ましろ~? 起きてるか~?」
仕方なく、なるべく刺激を与えないように彼女の背中を優しくなでながら小声で呼びかける。
しかし特にこれといって反応はなく、それよりも久しぶりに触れた彼女の毛並みの気持ちよさに意識が持っていかれる。
ネコ状態のましろの毛並みはなめらかでさわり心地が良く、彼女の体に手が吸い付けられるような感覚に陥った。
「(もふもふだ……)」
思わず本来の目的も忘れて、ましろのその極上の毛並みをただただ堪能してしまう。
少なくともここまで向こうから距離を縮めてきてくれているのだし、これくらいは許されるはず。
俺をベッドにしているのだし、少しくらいは何か見返りがあってもいいはず。
……そんな言い訳で自分を正当化しつつ、ネコましろを満喫する。
当然そんなことを続けていれば、いずれ彼女は目を覚ますわけで。
ましろ成分でどんどんと顔が緩み始めて、おおよそ人に見せられるような状態ではなくなったあたりで、ましろの瞳がぱちくりと開かれた。
「あっ」
彼女とぱっちりと目が合い、俺がこぼした間抜けな声のあとに長い沈黙が続く。
ましろは俺の顔を見つめたまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。ましろの意志で俺の上に乗っていたはずだが、まるで自分の状況に理解が追い付いていないようだった。
「わ、悪い。なかなか起きなかったから、その……」
最終的にはほぼ下心で撫でていたこともあり、ましろの視線に目を合わせられなくなり思わず視線をそらしながら言い訳をする。
ある意味当たり前ではあるが彼女からの返答はなく、俺が言い訳を詰まらせたあと再び沈黙が訪れる。
どうしたものかと沈黙中で思考していると、ふっと胸の上の重み無くなる。
それをきっかけに視線をもどすと、先程までそこにいたましろがベッドから降りてそそくさと脱衣所に向かっているのが見えた。
とりあえず怒りに任せて顔面を引っかかれなかったことにほっとしながら、ゆっくりと体を起こす。
いやまあ、過去にそんなことをされたことなど一度たりともないのだが。
なんとなくすぐにベッドから出る気にはならず、ましろが部屋にもどってくるのをそのままの姿勢で待つ。
数分と待つことなく、すぐにましろは脱衣所から出てきた。そして、どこか申し訳なさそうな表情で俺の近くまで歩いてくる。
「ごめんなさい、佐藤さん」
「え?」
そして開口一番で謝罪されて頭を下げるので、おもわず再び間抜けな声がこぼれてしまう。
「勝手にベッドに入って、その上佐藤さんに乗っかったまま寝てしまって……」
俺と同じように彼女にも罪の意識があったらしい。俺からしたら、罪どころかどちらかといえば嬉しい出来事だがさすがにそのままは伝えられない。
寝起きで少し伸びている髭を少しさすりながら「えっと……」とつないだあと、俺はましろに言葉を返す。
「いやまあ驚きはしたけど、別に謝られることではないから」
「すみません……」
「だから気にするな。ここはましろの家でもあるんだから、ましろの好きなようにしてくれればいい」
本音を言えば、どうして俺のベッドに乗り込むことになってしまったのかはものすごく気になるが、それを聞くのはさすがに無粋だろう。
そう思い、あえて理由までは聞かなかったのだが、それすらもましろにはバレていたのかもしれない。
「さ、佐藤さんっ」
そう声が聞こえて視線を上げた瞬間、俺の手がましろの手によって包み込まれる。
つい昨日にだって手を繋いでいたのだが、その感覚とはまったく違っていた。
まるで、何かから俺を引き止めるような、彼女の体温からそんな緊張感が伝わってくる。
ましろの表情はどこか苦しそうで、その手を握っていなければ今にも消えてしまいそうなくらい儚げで。
何かにおびえるように、何かにすがりつくように、その細い喉から声を出し──
「……佐藤さんは、どこにも……。どこにも、いきませんよね……?」
そう、俺に問いかけてきた。




