76 ネコ様への恩返し
始めこそ仰々しい雰囲気になっていたものの、綾乃さんのおかげもあってその後は終始明るい雰囲気で時間が過ぎていった。
そして、先ほどの綾乃さんの言葉通り、ましろは俺との馴れ初めを根掘り葉掘り聞きだされていた。
ましろの口から俺の印象を聞くのはかなり恥ずかしかったが、あらためてましろが信頼してくれていることを再確認することもできた。
正直、榊原と綾乃さんは俺が思っていた以上にましろのことに関してすんなり受け止めてくれた。
とはいえ、打ち明けた内容は少なくとも尋常なことではない。それゆえか、榊原の場合は興味よりも心配のほうが先に立ってしまったらしい。
「一応だけど、僕たち以外にはこのことは?」
「言ってない。そもそも、ネコのましろと人間のましろを両方知ってる人がほぼいないからな」
「そっか。むやみに言いふらすことじゃないよね」
「まあ、大家さんには両方見られちゃってるんだけどな」
「……それ、大丈夫なの?」
「とりあえずは榊原たちと同じ勘違いをしてもらってる」
そう考えれば、ましろの両方の姿を知っているのは、この二人を除けば大家さんだけかもしれない。
ましろとの同棲に関しては許可ももらっているし、最近だと大家さんとましろの二人で話すこともあるのだとか。だから、あまり危惧するようなことはない……はずだ。
まあ、もし何かの拍子にバレたら大家さんが腰を抜かしてしまいそうな気はするが。
「しかしまあ、あの佐藤が女の子と同棲しているとはなぁ」
「どういう意味だ」
「別にバカにしてるわけじゃないよ。初めて会ったときから、佐藤はあんまり女の子に興味なさそうだったからさ」
「それは……まあ、そうかもな」
別に、全く興味がないということはない。そういうことに関して、普通の成人男性と同じくらいの興味はある。
会社に入る前までは、そういうことに関してそこそこ積極的になっていた時期もあった。
だが、ある時を境に恋愛には興味がなくなってしまった。興味こそあれど、それよりも仕事を優先してしまっているのが現状だ。
ましろに関して言えば例外も例外だ。最初なんてただのネコを拾っただけなのだから。
実年齢は知らないが彼女の見た目年齢は高校生くらい。手を出そうものなら実質的に犯罪といっても過言ではない。
最近は困ったことに、日に日にましろの行動にドキドキさせられることが多くなっている気がする。
もちろん、単純に一緒に暮らす家族のような意味で距離感が近づいることは分かっている。
それでも動揺してしまうくらいには俺の女性耐性は低く、そしてましろの魅力が高い。そう認めざるを得ない。
「野暮な質問かもしれないけどさ、ましろちゃんとの生活はうまくいってるの?」
「うまくいきすぎて困ってるくらいだな。なんというか、文化レベルが上がった感じだな」
近い例でいえば実家暮らしのような感覚。朝起こしてくれる人がいて、食卓には朝食が用意されており、昼食は手作りのお弁当。
家に帰れば掃除も洗濯も終わっていて、豪華な夕飯まで用意されている。
そして何より、いつも話を聞いてくれて、癒しをくれて、甘えられる存在がいつも一緒にいる。
そのおかげで生活習慣はもちろん、精神的にもかなり好調な日々を送れている。定量的なことで言うなら、最近は仕事の業績も良くなっていたりする。
「文化レベルねえ……これまでどれだけひどい生活だったのさ」
「別に普通だったよ。ましろとの生活が桁違いなだけだ」
「佐藤なら大丈夫だと思うけど、ましろちゃんにはちゃんと感謝しないとだめだよ?」
「言葉でも態度でも、なんなら物でも伝えてるつもりだ」
榊原の言う通り、俺がましろに出来るのはそれしかない。しかし、最近はそれもうまくいってないのが悩みの種だったりするのだが……。
「なあ榊原。自分はとてつもなく感謝しているのに、相手がそれをあまり受け取ってくれないときってどうすればいいと思う?」
「それ、聞くまでもなくましろちゃんのことだよね」
「いかにも」
「なるほどね……たしかに、ましろちゃんはそういうタイプかもね」
「ああ。彼女の気持ちは尊重したいんだが、どうにももやもやしてしまうというか」
「まあ、性格だけの問題でもない気がするけど……」
「どういう意味だ?」
「いや、なんでもない。でもそうだね、佐藤の気持ちはわかるよ」
相変わらずほほえましく盛り上がる女子二人を見ながら榊原はうなずく。
これまで、ましろとのことを他の人に相談するなんでできるわけがなかったので、榊原のような存在がいることが改めてありがたく関じる。
榊原だけではなく、綾乃さんの存在も大きい。お姉さんのような立場でましろの相談相手にもなってくれるかもしない。
「僕に相談するってことは、佐藤的には万策尽きたって感じ?」
「まあそうだな。リア充の意見を聞きたい」
「なんか一気にやる気が落ちたけど……まあいいや。とりあえず、綾乃とも一緒に考えておくよ」
「助かる」
「とりあえず今日はダブルデートを楽しもう。それもましろちゃんのためになると思うよ」
「そういうもんか」
「そういうもんなの」
榊原の真意までは読めなかったが、どこか余裕を持ったその笑顔に嘘は感じられなかった。
その後、レストランを出て再びショッピングの続きをした。
ましろは綾乃さんの質問攻めで少しやつれた様子だったが、どこか満足気な表情を浮かべていた。
「俺が言うのもなんだが、大丈夫だったか。ましろ」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です。ああいう人だってことは分かっていましたし」
「はは、違いない」
俺たちの前を先導して歩く榊原と綾乃さん。ましろを質問攻めしてすっかりるんるんな彼女の後姿を見つめながら二人で笑い合う。
前に一度あの二人とましろが会ったとき、あの時はネコの姿だったが、目をキラキラさせてましろに構っていた綾乃さんは記憶に新しい。
あの経験を経て、綾乃さんの性格は十分に理解していたのだろう。
綾乃さんがいなければ、二人に打ち明けようとすることも、こんなにすんなり受け止めてもらえることもなかったかもしれない。
ましろへの感謝もそうだが、まずはこの二人にしっかりとお礼をするべきだろう。
そんなことを考えていると、不意にましろのほうから手を握られる。振り向いて彼女の顔を見ると、おだやかな笑顔でこちらを見つめていた。
「佐藤さん、今日は誘ってくれてありがとうございます」
「いや、俺のわがままに付き合ってもらったんだ。こちらこそありがとな、ましろ」
相変わらずどんなときも腰の低い彼女に、俺はぎゅっとその手を握り返してお礼を返す。
今回のことで、直接ましろとの距離感が近づいたわけではないが、少なくとも彼女にとってもためになる出来事になったはずだ。
こんな風に、少しずつでもましろに対して恩返しが出来るようにしていきたい。
彼女の手のひらから伝わる体温を感じながら、そんなことを考えるのだった。




