71 ネコ様と彼と彼女
ましろの申し出により、腕を組んで自然なカップルを装いながら駅へ向かう。
当然のように緊張はピークを迎え、夏本番前だというのに背中には嫌な汗をかいていた。
しかし、隣を歩く彼女はそんな様子はなくどこか満足そうな顔をしていて、それを見ると多少の緊張は吹っ飛んでしまうくらいには心が躍った。
最寄り駅までの距離はさほど遠いものではないため、喜びとも苦しさとも言えない微妙な感情を味わう時間は幸いにもすぐに済むだろう。
そう思いながら駅の改札前についたのだが、なぜかましろは一向に離れてくれない。
いや、彼女が言うには恋人のふりをするのであればこれくらいしておかないと、という意志なのだろうが……。
まだ、榊原たちも来ていないのにこの状況が続くのはさすがに恥ずかしさがすさまじい。
周りから見ればただのどこにでもいるカップルにしか見えていないのかもしれないが、その視線が気になって何とも居心地が悪い。
いや、そもそもカップルとして見られているのだろか。ましろの正確な年齢は教えてもらっていないが、見た目年齢はぴちぴちの高校生だ。
あらためて考えると、一歩間違えればそれはもう犯罪なのではないだろうか。
「随分と怖い顔をしていますが、大丈夫ですか?」
「いや、気にするな。この国の法律と倫理観について考えていただけだ」
「本当に大丈夫ですか……」
余計に心配そうな表情で俺の顔を覗き込むましろ。
その気持ちははうれしいが、本当に俺のことを心配するなら一旦離れていただけると助かるのだが……。
そんな俺の気持ちが届くことはなく時間は流れていき、しばらくして榊原からの連絡通りの時間通りに電車が停車し改札の向こうに見慣れた二人組を発見した。
俺が軽く手を振って合図すると少し驚いたような顔をしたあと、手を振り返してこちらに近づいてきた。
「おまたせ、佐藤」
「ん、おはよう。悪いな、こっちまで来てもらって」
「気にしないでって。誘ったのはこっちなんだから。それより……」
いつものようにさわやかな笑顔を見せたあと、榊原は何やら腹立たしい含み笑いをしながら俺を……正確には俺とましろの二人を見てくる。
何を言いたいのかはその顔だけで十分に分かってきたが、お互いに長い付き合いであるため無粋なことは言わない。
榊原が何か言ってくることも、俺が何か言い返すこともない。視線だけで「ほっとけ」と伝えておく。
彼は眉を上げて「はいはい」といった感じで引き下がってくれたが、その横に立つもう一人の参加者はそうにもいかなかったらしい。
「か、かわいい……!」
榊原の愛しの彼女である綾乃さんは、俺の隣に立つましろを見るや否や感嘆の声を漏らす。
あっさり榊原のそばを離れてましろのすぐ目の前にまで距離を縮めてくる。
「こ、こんにちは」
ましろは困惑した様子ではあったが、その場から引き下がることはなく興味津々といった様子の綾乃さんに挨拶をする。
「し、しゃべった……!」
「俺の連れを珍獣扱いしないでもらえるか」
初っ端から失礼極まりない言動を披露する綾乃さんに、思わず頭を抱える。
彼女に悪気が一切なくバカにしているわけではないことはもちろん理解しているが、ましろがどう思うかは別の話。
内心肝を冷やしながらましろの様子を伺うと、いまだ困惑した様子で苦笑いを浮かべていた。
それに合わせて、気のせいかもしれないが俺の腕を抱きしめる力がほんの少し強くなった気がした。
「こら、綾乃。まずはあいさつでしょ」
「そ、そうだね。ごめん!」
保護者からのお咎めがあり、綾乃さんはハッと我を取り戻して謝罪する。
彼女がかわいいものに目がないことも知っていたのだが、我を忘れて暴走してしまうほどとは思っていなかった。
「私の名前は綾乃。さーくんの自慢の彼女です!」
「よ、よろしくお願いします」
ツッコミよりも先にあいさつの受け答えができたましろを褒めてやりたい。
そんなレベルのひどい自己紹介だったが、ましろも思っていたほど動揺が続いてはいなさそうだった。
まあ、向こうからすれば初対面だが、ましろからすると二人に会うのはこれで二回目。多少の身構えは出来ていたのだろう。
「紹介にあずかりました、さーくんこと榊原です。佐藤の自慢の親友だから、よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「ましろ、遠慮せずツッコんでもいいんだぞ」
カップルそろってかなりパンチのきいた自己紹介をしてくれたものだ。
ましろは俺の言葉にどうしたものかと逆におろおろとしてしまっていて、目の前のカップルからは「彼女さんを困らせるなよ」的な視線が送られてくる。誰のせいだと思ってるんだ、誰の。
「それで、君の名前は?」
俺が頭を抱えていると、自然な投げれ流れで榊原からそんな質問が投げかけられる。
ごく普通の何気ない質問。しかし、その言葉を前に俺とましろは二人して時が止まったように固まってしまう。
「あっ……あ、その……」
二人から視線を向けられたましろが、言葉を詰まらせながら俺のほうに視線を向けて助けを求めてくる。
こうなることも考えてはいたのだが、こんなにも早くその状況になるとは思わなかった。もう少し早くに手を打つべきだった。
今日のうちにましろのことに関してはすべて話すつもりだ。当然、今ここにいる少女が、彼らのよく知るネコと同一の存在であることも含めて。
しかし、あってすぐというのも脈絡がなさすぎる。少し時間を空けてから、ゆっくりと落ち着いた場所で話すべきだとましろとも話していたのだ。
無理やりになってしまうかもしれないが、ここはとりあえず一度切り抜けなければ。
「あー、悪い。それなんだが、また後でも大丈夫か?」
「え? 名前を聞いただけだけど……まずかったの?」
「まあ、まずいと言えばまずい。あとでしっかり説明はするから、今は聞かないでおいてくれないか」
「佐藤がそういうなら聞かないけど……。それじゃ、それまでは彼女さんって呼ばせてもらうね?」
聞き分けのいい榊原に内心で胸をなでおろす。綾乃さんも最初こそ納得のいかない様子だったが、彼氏の意志には従ってくれた。
「ありがとう。今日はよろしく頼む」
「ありがとうございます」
俺に続いてましろも頭を下げる。それに対して二人は「気にしないで」と軽く流してくれる。
その反応を見て俺は、あらためてこの二人にはましろのことに関して打ち明けても大丈夫なんだと、再確認した。
「それじゃ、早速行こうか」
「おー!」
「「お、おー……」」
テンションの高くこぶしを突き上げる綾乃さんにつられて、ましろと控えめにこぶしを上げる。
先ほどとは違う恥ずかしさがこみあげてくるが、ふとましろと目が合うとお互いに自然と笑いがこぼれた。
そうして先導する二人を追いかけるように、俺たちも前にならい手を繋いで歩き出すのだった。




