69 おめかしネコ様
「おまたせしました、佐藤さん」
玄関で靴を履きながら姿見で多少身だしなみを整えていると、後ろから聞きなれた声が投げかけられる。
振り返ったそこには、いつしか俺が買ってきた洋服を身に着けたましろが立っていた。
ファッションに関しては全くの無知である俺が選んできたものだったが、ましろはこれ以上ないほどに完璧に着こなしていた。
それに加えて今日は髪型もいつもと違った。洗面所に入って今出てくるまでの間にセットしていたのだろう。
ましろの髪は肩ほどまでの長さだが、今日はその髪を後ろへまとめて低めの位置でお団子が作られていた。
すべての髪をまとめるのではなく多少後れ毛を残しており、お団子もゆるめに結んでありことによって全体的にふわっとした印象を受ける。
「……かわいい」
「えっ?」
気づけば、無意識のうちにそんな言葉をこぼしてしまっていた。
ましろは、唐突に俺から発せられたその言葉に体を硬直させて、目を丸くしながら俺の顔を見つめていた。
その表情を見てから、俺は自分が失言をしてしまったことに気づく。
女性の変化にはすぐに気づいて何か言葉をかけるべきだとはよく言うが、だからといって第一声から「かわいい」というのは距離感を間違えている。
もっとこう、いつもと雰囲気が違うだとか、大人っぽくて似合っているだとか、気が利いた言葉をかけるべきだろうに……。
気づいた後から、ぽんぽんとそれらしい言葉が頭の中に出てくることが、どうしようもなく悔しさと恥ずかしさを感じる。
「わ、悪い。ちょっと言葉を間違えた」
「あっ。い、いえ、少し驚いてしまっただけですから……」
居ても立っても居られなくなって、とりあえずすぐに謝罪を述べる。
ましろもどぎまぎした様子ながらも言葉を返してくれる。少なくとも、気持ち悪がられたということはなかったらしい。
悪あがきではあるが、気を取り直して感想を伝えることにする。
「す、すごい似合ってると思うぞ」
「あ、ありがとうございます……。佐藤さんのその洋服も初めて見ました」
「ああ……まあ、最近は全然着てなかったからな」
まだ恥ずかしさがおさまらないのであまり彼女の服の感想についての話をつついてほしくなかったのだが、その意思が伝わったのか彼女は俺の服に話題を切り替えてくれた。
この服をましろに見せるのは初めてだろう。そもそも、専門学校を卒業して働き始めてからは、おそらく一回も着たことがない。
あの頃には少し着る機会もあったのだが、最近ではめっきりそんなことは無くなってしまった。そういった、少し特別な洋服なのだ。
一応でも今日の名目はデートなのだ。恰好がついているとは思わないが、多少は見栄を張りたいというだけ。
「その……格好いいと、思います」
「お、おう」
さっきの仕返しばかりと言わんばかりに、彼女は自分の頬が染まっているにも関わらず俺にそんな言葉を投げかけてくる。
面と向かって「格好いい」と言われるのなんて、普段生きていて滅多にあることではないので思った以上に動揺してしまう。
それに加えて、それがましろの口から伝えられたということが余計に俺の胸を締め付けた。
いつもましろは俺のことはなんでも肯定してくれるし、些細なことでも感謝を伝えてくれる。
そんな彼女でも、これまで何かに関して褒められるということはおそらく初めてかもしれない。容姿に関して言えば、絶対にそう言い切れる。
その恥ずかしさを誤魔化すように、さっさと外に出ようかと先に靴をはいて玄関の扉に手をかけ──
……くいっ。
不意に、後ろにいる彼女から服の袖をつかまれた。
「………」
「ま、ましろ?」
うつむいて表情は見えなかったが、いまだに頬が赤く染まっているのは分かった。
やはり今日のましろは、どこかいつもと様子が違う。どこか、いつもより積極的というか、大胆な気がする。
そんなことを考えながら、その状態から動けずにましろの次の言葉を待っていると、彼女は熱がおさまらない顔のまま視線を戻して俺を上目遣いで見つめてきた。
「かわいく……ないですか?」
「えっ?」
「さっき、言葉を間違えたって……。かわいいって、その……」
「そっ、それは……」
まさか掘り返されるとは思っておらず、声が裏返る。
たしかに、口を滑らせて「かわいい」なんて無神経な感想を述べて、すぐに言葉を間違えたと彼女には言い訳をした。
それに確認を取ってきたということは、その言い訳がかえって彼女を不安にさせてしまったのだろうか。
俺がかわいいと伝えても彼女が嫌な気持ちにならないことは反応でさすがに理解しているが、ましろがからこう聞かれた以上俺はもう一度その言葉を伝えなければならないということ。
さっきは、嘘ではないもののぽろりと勝手に口から出てしまっただけなのだ。改めて伝えるとなるとなかなかにハードルが高い。
だがしかし……そんな目で見つめられるとそうも言ってられない気持ちになってくる。
俺の服の袖をつかむましろの手は微かに震えていて、顔だって初めてましろと会った時よりも不安そうな顔をしていた。
そんな顔をされてしまったら、男として逃げるわけにもいかない。
彼女だって「格好いい」と伝えてくれたんだ。俺だけしっかり言わないなんてズルいだろう。
「か、かわいいよ。いつもと違う印象ですごくいいと思う」
「本当、ですか?」
「嘘じゃない。建前でこんなにドキドキするわけない」
「ど、ドキドキ、してるんですか?」
「当たり前だろ。悲しいことに、俺だってそんな経験豊富なわけじゃないんだ」
異性とかかわることに全く経験がないということではないが、お世辞にも豊富とは言えない。
ましろとの関係ですら、最初はどうするべきか悩みに悩んだのだ。いまでこそ互いに信頼し合えていると自負できるが、異性であることには変わりない。
デートという名目で、おめかしをして普段以上に魅力が増した彼女相手に平然としていろというほうが無茶な話だ。
「……佐藤さん、少しいいですか?」
俺の言葉を聞いたましろは、少し考えたあと一歩俺のほうに踏み出してそう聞いてきた。
思わずそれに合わせて一歩下がろうとするが、それを背中にあたる玄関の扉が妨げる。
「ま、ましろ?」
そのままましろはどんどんと俺への距離を縮めて、最後に俺の胸元へとゆっくりと手を伸ばす。
その次の瞬間、俺の胸に体重をあずけるようにしてぴとっとくっついてきた。




