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66 榊原の思惑


 複雑な気持ちでましろのフレンチトーストを完食した俺は、いつも通り準備をしていつも通り彼女に見送られて家を出た。


 ましろの言う通り外は雨が降っており、忘れないようにと彼女から受け取った傘をさして最寄り駅までの道を歩く。

 当然太陽は雨雲の中に隠れてしまい朝から辺りは薄暗く、不意に寒気が感じた。

 そんなに薄着なわけではないのだが、妙に嫌な感覚がして少し違和感を覚えながら出勤時間を過ごした。




 会社について、軽く同僚に挨拶をしながら自分の席に着く。その隣には俺の一番の付き合いの長い友人が座っている。

 毎日のように顔を合わせているので特に気にすることなく挨拶を投げかけたが、その返答はかえってこなかった。


「えっ……ど、どうかしたのか」


 もう一度榊原のほうを振り向くと、これまで見たことのないような顔をしていた。

 榊原はいつも温厚で、優しい表情を崩すことはなかなか無い。彼の恋人と一緒にいるときだとしても、だらしなく頬を緩めるところすら見たことがない。


 ポーカーフェイスというほどではなかもしれないが、とりあえず感情を表にさらけ出すことは珍しい。

 そんな榊原が、現在俺の顔を凝視しながら難しく考え込むようなしかめっ面を浮かべていた。


「そんなに見られても困るんだが……」


 思わず自分の姿に何か異変があるのかと思い、髪や顔を確認してみるが特におかしいことはない。

 寝ぐせはしっかりと直してましろに確認してもらっている。洗顔も済ませて、髭も剃った。

 考えつくところでは何もおかしなところはない。だが、榊原のその視線はそらされないまま。


 あまりにも居心地が悪く、おちおち仕事の準備すら進められない。

 榊原の異変に周りの人たちも気づいたらしく、榊原とは反対側に座る人から小さい声で話しかけられる。


「佐藤さん、何か榊原さんを怒らせることを……?」

「そんなことはないと思うんですが。今日の俺、何か変なところありますか?」

「特にないとは思いますが……強いて言えば、何かいいことでもありました?」

「え? そんな風に見えますか」

「なんとなく、でもそれが原因ではないですよね」


 思わずその人から言われたことにドキッとする。いいことがなかったと言えば、それは嘘になる。

 今日も朝からましろと幸せな時間を過ごせたことが、何にもかえがたい「いいこと」であることは確かだ。

 普段関わりの少ない人から見ても分かるくらい顔に出ていてしまったのだろうか……。それは、ちょっと気が抜けすぎているかもしれない。


 とはいえ、この人が言うようにそれが榊原の不審な態度につながっているとは考えにくい。

 何かもっと他の原因……それも、かなり大きな何かがあるはずなのだが。


 結局朝の段階では榊原のほうから声をかけらることはなく始業となり、それ以上考えることはできず午前中の仕事に取り組んだ。

 その途中でも時折隣の席からの視線を感じるものだから、仕事には全く集中できなかった。


 そんな息苦しい雰囲気は昼休みにまで続いて、その緊張が解けたのは榊原をいつものように昼食へ誘おうとした時だった。


「ねえ、佐藤」


 こちらから声をかける前に、隣のデスクから名前を呼ばれる。

 顔を上げてそちらを振り向くと、そこにはいつになく真剣なまなざしをこちらに向けてくる榊原がいた。


「ど、どうかしたか?」

「一緒にお昼、食べない?」

「お、おう。もちろん」


 異様な雰囲気を醸し出しつつも、その口から発せられたのはいつも通りの言葉だけ。

 榊原に言われるがままいつもの昼食食べる場所へ向かい、二人でお弁当を広げる。


 榊原は彼女である綾乃さんのお弁当、俺はましろから手渡してもらったお弁当。

 どちらもパートナーの手作り弁当であることに変わりはないが、俺のものに関してはご近所さんのご厚意ということで誤魔化してある。

 少々無理やりな理由だとは思うが、他人からはネコとしか知られていないましろの秘密を離すわけにもいかない。


「今日も、例のご厚意弁当なのかな?」

「あ、ああ」

「……佐藤、何か僕に隠してるでしょ」

「えっ……な、なんでそう思う」

「旦那ぁ、証拠はあがってるんですぜぃ?」

「誰なんだお前は」


 いきなり刑事ドラマのような子芝居を始めた榊原に思わずツッコミを入れる。

 が、その内心はかなり焦りがあふれてきていた。榊原に隠していること、それはもちろんましろのことだ。

 さすがに毎日のお弁当を作ってもらうというのは怪しまれても仕方ないことだったかもしれない。……でも、なぜこのタイミングで?


「でも、本当に理由があるんだよ」


 そう言うと榊原はまた真剣な眼差しに戻り、じっと俺の目を見つめてきた。それを見て思わず俺は息を飲む。


「先週末、綾乃と遊びに行ったんだ。久しぶりのデートでね」


 弁当箱の中を見つめながら榊原は話を進める。何かの予兆に話し始めたのかと思いきや、詳しいデートの経緯や内容まで話して始めた。

 なぜここまで緊張させられた挙句に惚気話を聞かされているのだろうか。そんな風にため息を吐こうとしたとき、俺はある一言でぴくりと体が強張る。


「少し遠出して、ショッピングモールまで出かけたんだ」

「……それって」

「うん。たしか佐藤の家が近かったよね。そこのショッピングモールだよ」

「………」


 ここにきて榊原の言う「証拠」の意味が分かってしまう。先週末のショッピングモール、その単語は俺の記憶の中にも鮮明に残っている。

 だって、彼の言うその日付と場所。そこには俺と彼女がいたはずだから。


「見間違いではないと思うんだけど、佐藤もあの日来てたよね?」

「……そう、だな」

「じゃあ、隣に女の子がいたことも見間違いじゃないよね」

「見られてた……のか」


 急激に冷えた頭、それが予想していた言葉を榊原は口にして質問してきた。

 ……ましろのことに関しては、いつまでもひた隠しにしようとしていたことでない。いずれ何かの形で伝えるべきだとは思っていた。

 しかし、それはもう少しあとでもいいのではと自分に言い訳をしていた。そして、それは今突然めぐってきてしまった。


「いきなり毎日お弁当を持ってくるようになって、最近は前よりも一層幸せそうな顔をしてる」

「そ、そんなことは……」

「あるよ。それこそ、ネコを飼い始めたときよりも……ね。そして極めつけに休日には女の子と一緒に歩いていた」

「………」

「さすがにこれだけ集まればね」


 榊原の言う通りだ。さすがにここまで言われて、誤魔化すことはできないだろう。

 さすがにその彼女がましろの人の姿……なんてところまで気づかれたことはないだろうが、どっちみち説明は求められる。


 わざわざましろのことまで説明する必要はないだろうが、以前大家さんに勘違いされてしまったときと同じ状況になってしまうことは避けられない。

 それで問題なのはましろに負担をかけてしまうことだ。これ以上ほかの人からの勘違いの関係を押し付けることは避けたい。

 榊原から次に求められることによっては、かなり慎重に答えなければ──




「だから、今週末はダブルデートにしようよ!」




 …………えっ。





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