63 お互いの気持ち
ショッピングモールからの帰り道。歩いていくにはほんの少しだけ遠いが、無理をするレベルではない。
近所の人だとバスを利用する人も少なくないが、あえて俺たちは徒歩で行くことにした。
人や乗り物に慣れていないましろが、公共交通機関を使うにはまだ少しだけ早い気がしたのだ。
いずれはそういった経験もさせてやりたいとは思っているが、焦ることでもないだろう。
彼女自身もそのことに賛成してくれたし、いざ実際に歩いてみると大して疲弊することもなく、逆にましろとゆっくりと会話できる時間が増えてうれしいくらいだった。
「今日はたくさんお買い物しましたね」
「そうだな。ましろと行けて楽しかったよ」
「私も楽しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ」
手を繋いで俺の横を歩くましろは、一切お世辞のない笑顔でお礼を伝えてくれる。
……彼女と過ごす時間が増えれば増えるほど、どんどんと彼女の魅力が増していっている気がする。
前よりも自然な笑顔を見せてくれるようになったこと、身体的な触れ合いも気軽にしてくれるようになったこと。
彼女という存在に変化はないのに、そんな生活や距離感が変化していくだけで彼女への意識さえも変わってしまった。
ましろに対してはいつも紳士な気持ちで接することを心掛けているし、何よりも彼女を傷つけない、大切にすることを第一に考えてきた。
それなのに、ふとしたときに見える彼女の魅力に対して、俺の心は想像以上にひきつけられてしまっていた。
もちろん、年下相手……増してや未成年相手をそういった目で見るような趣味は持ち合わせていない。
だというのに、ましろを見てこんなにも胸騒ぎがするのはなぜなのだろうか。仮にも彼女は保護したネコで、守らなければいけない一人の女の子だというのに。
「佐藤さん、なんだか顔が怖いですよ……?」
「えっ。わ、悪い。なんでもない」
「なんでもないことはないと思いますけど」
「………」
ましろの言う通りなんでもないというのは嘘だ。だが、それを彼女に伝えるわけにもいかない。
心配そうに顔を覗き込んでくるましろに、俺は居心地が悪くなって目をそらす。
「私のこと……ですよね」
「そ、それは」
次に発せられたか細いましろの言葉に、俺はすぐに否定しようとして言葉を詰まらせた。
その反応を見て彼女も察したのだろう。軽快に歩いていた、彼女の足が徐々にスピードを落として停止した。
「や、やっぱり、ご迷惑でしたか……?」
「そんなことない! そうじゃ、なくて……」
ましろは今日の買い物のことで俺が何か機嫌を悪くしていると考えたのだろう。
断じてそんなことはない。そう伝えてすぐに訂正しようとして、そしてまた俺はその続きの言葉を喉に詰まらせた。
以心伝心なんて便利なことは現実にはない。俺が言葉に出来なければ彼女にとってそれはただの取り繕いにしか受け取れないだろう。
「ごめんなさい、わがままばかりで……」
ましろはうつむいて、か細い声で謝罪を口にする。
彼女は何を言っているんだ。……いや、そうじゃない。俺が、彼女に何を言わせてしまっているんだ。
ましろは悪いことなんて何一つとしてない。むしろ、しているのは俺のほうだ。
心が痛くなる。彼女の申し訳なさそうな、表情と言葉が俺の胸に刺さる。そんな彼女を見ることしかできない自分に耐え切れなくなる。
「ましろ」
「は、はい──えっ?」
彼女の名前を呼ぶ。彼女とつないでいた手を離す。そして、彼女を抱きしめた。
華奢な体を優しく包み込む。彼女の温かさや柔らかさを全身で感じる。当然先程とは比べ物にならないくらいに胸の鼓動は勢いを増した。
「さっ、ささ、佐藤さん……?!」
俺のいきなりの行動に、ましろはひどく動揺した様子で声を漏らす。
そのまま少し身をよじるような動きを見せるが、俺がそのまま動かないのを見てそれ以上抵抗しなくなる。
「ごめん、ましろ」
「ど、どうして謝るんですか」
「ましろに悪いことした。だから、ごめん」
「わ、私は何も……」
心当たりがないましろは、俺の腕の中で抱きしめられた状態で困惑した様子のまま。
ここまで彼女と密接に近付いたことは初めてだろう。せいぜい頭をなでたり手を繋ぐくらいのことしかしたことはない。動揺するのも仕方ないことだ。
「俺は決してましろのことを迷惑だと思ったことはない。今日だけじゃない、ましろと出会ってから一度もだ」
「で、でも私は……」
「何よりもましろのことを大切に思ってる。多分、ましろが思っている以上に。そして、俺自身が思っている以上にも……」
ましろに対して抱いてしまっているこの複雑な感情。それはきっと、彼女を大切に思いすぎるあまり少し先走ってしまっただけの気持ち。
今のましろとの関係を壊してしまうことは、今の俺にとって何よりも怖いことだと自覚している。だから、そんな朦朧とした状態の気持ちを無理に形にする必要はない。
「だから、ましろとの距離感がよく分からくなった。この気持ちが何か違う形になっていしまったように感じてしまった」
「それって……」
うまく言葉には表せないままでも、なんとかそれをましろに伝える。意味まで伝わったとは思っていないが、彼女はしっかりと俺の言葉を飲み込む。
「ましろが謝ることは何もない。迷惑だなんて思ってない。頼むから、そんなことは言わないでくれ」
「……はい。すごく、うれしいです。佐藤さんがそう思ってくれていることが」
俺の言葉を抱きしめるように優しくつぶやいたあと、ましろは俺にされていたことをそのまま返してくる。
彼女の細い腕が俺の背中に回されて、控えめながらもしっかりとした意志を持って俺の体を抱きしめてくれる。
「佐藤さんだけではありませんよ……」
聞こえるか、聞こえないかギリギリの微かな声で彼女はそう言う。
その言葉の意味をすべて理解できたわけではなかったが、聞き返すことはしなかった。彼女がそうしてくれたように。
しばらく二人で抱き合って、互いの思いを確認する。
俺がましろのことを何よりも大切に思っているのと同じように、彼女も俺のことを大切に思ってくれている。
これは決しておごり高ぶっていっているわけではなく、彼女のぬくもりと言葉の温かさから感じた確かなものだ。
……やっぱりこの気持ちは、そんなに単純な言葉で表せるようなものではない。
もっと、丁寧に育んでいってもっとお互いへの気持ちに整理がついてから、結論を出しても決して遅くないだろう。
──しかし、自分たちが今どんな状況に置かれているか気づくのには遅すぎたらしい。
ふと周りを見てみると、道行く人たちが例外なく抱き合った俺たちに視線を向けていた。
「っ……!」
慌ててましろの肩をつかんで体を離す。彼女は少しだけ寂し気な顔をするが、異変に気付いて周囲を確認し、すぐに顔を真っ赤に染め上げる。
さすがの俺も勢いに任せてとんでもないことをしてしまったことに気づいて、頬が熱くなるのを感じた。
穴があったら入りたいとはまさにこのことで、俺たち二人は耐え切れずにその場から逃げ出すように早歩きで帰路に就くのだった。




