62 幸せな帰り道
「その……ありがとうございます」
ましろに希望で訪れた生活用品店にて買い物を済ませたあと、俺の横を並んで歩いていた彼女がおずおずとお礼を伝えてくる。
その店ではましろが興味を持っていたお菓子作りの調理器具をいくつか購入した。
相変わらず彼女は俺に遠慮して面と向かって「欲しい」とは言ってくれなかったので、少しだけ強引に俺が購入を決めたのだ。
「どういたしまして。でも、これが欲しかったのはましろだけじゃないからな」
もちろん、ましろが欲しいものがあるなら財力が許す限りなんでも買ってあげたいというおじいちゃん思考ではあるのだが、今回は別の理由がしっかりとある。
これを買うことによって、ましろは興味を持っているお菓子作りをすることができる。そして、俺はその恩恵にあやかっておいしいお菓子を食べることができる。
これこそウィンウィンの関係。それに投資しないほうが、多大な機会損失というものだろう。
「佐藤さんもお菓子作りしたいんですか?」
「いや、ましろのお菓子が食べたいだけだな」
「正直な人ですね……」
それが些細なことだとしても、嘘をつくのは昔から好きではない。嫌いといってもいいだろう。
人間関係の中で、どうしても誤魔化すことが必要になることは理解しているが、それでもできるだけ正直に生きていくことをモットーにしている。
「それに、俺からすれば何もしなくても家事が完璧にされていて、おいしいご飯が毎食出てくるんだぞ。これがどれだけ素晴らしいことか、ましろは分かってない」
「そ、それを言うなら私だって、この家に置かせてもらうだけじゃなく、色々なことをさせてもらってます。これがどれだけありがたいことか、佐藤さんは分かってません」
「いや、俺のほうが恩恵を受けてるから」
「いえ、私のほうがっ」
お互いに譲れない妙なプライドのせいで、だんだんと言い合いはヒートアップしてくる。
しかし、冷静に考えればなんて不毛なことで意地を張っているんだという話で、本当に意味のない言い争いだということに気づいて笑いがこぼれる。
「何の話をしているんだろうな」
「ふふ、全くです」
ましろとの関係は今考えてみても本当に奇妙な関係だと思う。
はじめは、ほんの出来心か些細な親切心から捨てネコを保護しただけだった。
それが気づけば大切な存在になっていて、今では本当の家族のように欠かせない存在になってしまっている。
それに付属して思うことは、社会人として……いや、人間としてどんどんダメ人間になってしまっているのではということ。
もちろん家のことすべて任せているわけではないのだが、どうしても何をやらせても俺よりも手際がいいというのが悲しいことに現実である。
結果として、俺はすっかり彼女という存在に依存していまっているのだ。
……もし、ましろがいなくなってしまったら、俺はどうなってしまうのだろうか。
いや、普通に考えれば元の生活に戻るだけのことだ。彼女と出会う前と言っても、そこまで廃れた生活を送っていたわけでもない。
だというのに……いつしか俺は、ましろがいなくなった生活が想像できなくなっていた。
「佐藤さん? どうかしましたか?」
「あっ、いや、なんでもない」
「本当ですか? 何か考え込んでいるように見えましたが……」
「些細なことだ。気にするな」
そんなことまで見抜かれてしまっていたことへの動揺を隠すように、俺は荷物を持っていないほうの手で彼女の頭を撫でる。
さっきはこれが原因で大変な目にあってしまったが、彼女の頭を撫でていると何とも言えない幸せな気持ちになる。
ましろも、今回はいつも通りの反応を見せてくれるので安心して撫で続けた。
「あの、佐藤さん」
「ん? どうかしたか?」
「……その、今日最後のわがままを言っても、いいですか……?」
ましろは俺に頭を撫でられた状態のまま、上目遣いでそんなことを聞いてきた。
そんな姿に、思わずドキッと胸の内が飛び跳ねる。たまに彼女は、素でこういうことをしてくるものだから、不意打ちされてしまう。
「まず、今日わがままを言ったことなんてほぼなかった気がするが」
「そんなことありません。たくさん叶えてもらっています」
全般的に俺が連れ回していたと思っていたが、ましろに言わせるとそんなことはないらしい。
それに、何度も考えていることではあるが、ましろのわがままを言ってくれるのは俺にとっては何よりもうれしいことなのだ。迷惑になんて、一度たりとも思ったことはない。
「それで、そのわがままっていうのは?」
「ええと、その……」
自分から切り出しておきながら、ましろはその先の言葉を詰まらせて、もじもじとこれまた珍しい行動をする彼女。
しかし、恥ずかしそうにしながらも彼女目には確かな意思があるように見えたため、俺は返答を焦らせることなく、静かにその続きを待った。
すると彼女は、次の言葉を発する前に、不意に俺の右手を両手で包むようにぎゅっと握ってきた。
「ま、ましろ?」
「あのっ、このまま……手を繋いで、帰りませんか?」
「……えっ?」
「だ、だめですか……?」
「い、いや、もちろんそれは構わないけど」
動揺する俺に対して再び上目遣い攻撃をしてくるましろに、少し言葉を詰まらせながらも肯定する。
俺の返答を聞いたましろは、ぱぁっと表情を明るくして最初よりも強く俺の手を握ってきた。
最近では手を繋ぐことはかなり日常の一部となってきているというのに、なぜか俺の心臓はバクバクと激しく波打っていた。
これまでは……そう、子供とはぐれないようにというような気持ちだったのに、今はまるで……恋人同士、のような。
そこまで考えてしまってから慌てて思考を振り払って冷静になる。な、何を考えているんだ、柄でもない。
ましろとは、そういう関係ではない。それとはまったく違う意味で一切の下心無く大切な存在なんだ。
彼女だって、そう思ってくれてるからこそここにいてくれているんだ。それなのに俺は……いい大人がみっともない。
俺は今一度呼吸を整えてから現実の世界に帰ってくる。
「わがままって、こんなことでいいのか?」
「はいっ。さあ、帰ってさっそくお菓子を作りましょう!」
「はは、そうだな。楽しみだ」
気分の上がった様子のましろに先導されるように、二人で手を繋いでまたショッピングモールの中を歩いていく。
さっきよりも彼女との距離を近く感じてしまうのは……気のせいだろうか。先程、変なことを考えてしまったせいかもしれない。
ましろとの関係は何も変わらない。もちろん、昔に比べれば心の距離感に変化はあったかもしれない。
だが、根本のところでは何も変わっていない。彼女は捨てられていたネコ、俺はそれをたまたま保護した一人の一般人……それだけ、だ。
……そんな風に、自分の心に言い聞かせるようにつぶやきながら歩いているとき、不意に人の視線を感じた。
心なしか奇妙な胸騒ぎがして、視線を感じた方向に振り向く。しかし、他にも手を繋ぐカップルや家族連れがたくさんいるだけで特別こちらを見ている人はいない。
……気のせい、だろうか。
こうして人目の多いところで手を繋ぐというのはあまり経験のないことだ。そのせいで妙に視線が気になってしまっているのかもしれない。
「佐藤さん? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。早くお菓子食べなきゃな」
「ふふ、楽しみにしててくださいね」
口元を無防備に緩ませて、可愛くはにかむましろ。その表情を見ると、そんな些細なことはすぐに気にならなくなった。
せっかく買った調理器具だ。早く帰って目いっぱい味わわないとな──。




