50 ネコ様と油断
買い物を終えたあと、ましろと並んでアパートへ向かって歩く。
彼女の的確なアドバイスによって、いつもよりも充実した買い物をすることが出来た。
ましろが家に来てから俺の生活は一変した。その中でも特に変化したのは日々の食生活。
自分以外の誰かがいる生活が刺激になり、前まではコンビニ弁当ばかりだった食事は、少しずつ自炊と言えるレベルに近づいていった。
そして、ましろが今のような人の姿になったあとは、それはもう文句一つない食生活へと変わった。
ましろの作ってくれる料理は味良し見た目良しバランス良しと、三拍子揃った完璧なもの。
そんな料理を作るためには当然様々な食材が必要なわけで、普段の買い物で買うべきものの種類も増えていった。
しかし、買い物の機会が増えたといって、俺の知識は変化していないため、食材選びには少しばかり苦戦していた節があった。
もちろん売り場にある以上、食べられないものが売っているわけではないが、多少の善し悪しがあるのは承知している。
それを見分ける技術が乏しいというのは、実際に料理をしてくれるましろに対して申し訳ないと思う気持ちがあった。
だからこそ、今日ましろからそんな食材選びに関しての知識を教えて貰えたのは心から嬉しかった。
彼女のいつもとは違う一面も色々と見ることが出来て、今日はかなり収穫を得られた気がする。
「今日はありがとうな、ましろ」
手に持った買い物袋を見ながら、俺は横を歩く彼女にお礼を伝える。
買い物の件はもちろん、一緒に散歩してくれたことに対しての感謝の気持ちだった。
「はい、どういたしまして」
それこそいつものように、それはこちらのセリフです、なんて返ってくるかなと構えていると、今日は素直に気持ちを受け取ってくれた。
思えばましろとの会話には、お互いに対して感謝の気持ちが毎日のように飛び交っている。
ありがとうの言葉が聞こえない日は無いかもしれない。
「佐藤さんも、今日はありがとうございます」
「いや、俺は何も……」
いつもの癖で謙遜しながら受け応えると、ましろはムッと唇を尖らせて俺の顔を見つめてきた。
それがどんな理由かは、一つ前の会話からなんとなく察しが付いた。
「その……どういたしまして?」
頬をぽりぽりとかきながら応えると、ましろは「はい」と満足そうに小さく笑顔を咲かせた。
彼女に対して素直さを求めておきながら、自分に対しては全く思考が回っていなかった。それは、彼女が不服にも思うわけだ。
「ましろ」
彼女の名前を呼ぶ。あの雪の日に、俺が勝手に付けたネコの名前を。
俺がこの名前を口にする度に、彼女は俺を安心させてくれる。
ましろが、今ここにいてくれていること、俺のそばにいてくれていることを証明してくれる。
「ましろさえ良ければ、これからも一緒に買い物に付き合ってくれないか」
これまで、自分の都合で彼女の自由を奪ってしまっていた罪滅ぼしというだけではなく。
ましろと過ごす時間を少しでも増やしたい。彼女のそばにいたい、いて欲しい。
そんなふわっとしていて、取り留めない気持ちから、そんな言葉が口から零れ落ちた。
「はい。私で良ければ、よろこんで」
そう答える彼女の表情は、緊張していた心をそっと軽くしてくれる。
こんな風に、彼女が受け答えてくれるようになったのも変化したことなのだろうか。
それとも、出会った時からもっと積極的でも良かったのだろうか。
ましろ特有の、落ち着いた笑顔を見てそんなことを考えていると、自宅のアパートの近くまで来ていた。
そして、今日一日で色々な事がありすぎたせいか、そんな考え事をしていたせいか。俺は大事なことを見落としていた。
「あら? おかえりなさい、佐藤さん」
「えっ、あ……」
不意に横から声が掛けられ振り向くと、そこにはいつものようにホウキを持って掃除をする大家さんが立っていた。
「あらあら、見せつけちゃって。若いっていいわねぇ」
大家さんは俺とましろを見て、頬に手を当てながら表情を緩める。
その視線は、俺とましろの繋がれた手に向けられており、俺は思わず空いていた手で頭を抱える。
すっかり油断しきっていた俺は、買い物で帰りが遅くなったことで大家さんが帰宅しているという可能性をすっかり忘れてしまっていた。
それに加えて行きと同様にましろと手を繋いだままだったこともあり、すっかり大家さんはホクホクした顔をしている。
「もう、彼女が出来たのなら勿体ぶらずに教えてくれればいいのに」
「あぁ、いや……ははは」
とっさのことで言い訳も思いつかず、大家さんの言葉に流されて乾いた愛想笑いを返してしまう。
ましろはといえば、意外にも人見知りを発動して手をぎゅっと握ったまま俺の背中に身を潜める。
普段はしっかりしてるましろだが、こういうところはネコらしいなと、緊急事態ながらに考えてしまう。
大家さんには勘違いをされてしまっているようだが、ある意味これは好都合かもしれない。
ましろには申し訳ないが、ここは大家さんの話に合わせてましろと交際している体で行かせてもらおう。
「あのっ、大家さん。折り入って一つお願いがあるんですが……」
「あら、そんなにかしこまって何かしら」
「その……しばらくの間、彼女と同棲させて頂きたいと思っていて」
「何よ水臭いわねぇ。いいわよ、自由になさい。恋愛なんて若い時しか出来ないんだから」
もっともっと前から同棲をしていたことに関して嘘をついているのは心苦しいが、他に説明のしようも無い。
少し引き腰の俺に言葉に、大家さんはなんの抵抗もなくすぐに了承してくれる。……本当に、この人にはお世話になってばかりだ。
大家さんにお礼を伝えて、部屋へ向かおうとするとちょいちょいと呼び止められる。
耳を貸せと言わんばかりに寄ってくるので、その通りにすると、
「おばさんは止めないけれど、うちの壁は防音性少ないから、気をつけなさいね?」
「そ、そんなことしないですから!」
横で首を傾げるましろにその意味が伝わる前に、俺は彼女の手を引っ張って部屋の中へ逃げ込むのだった。




