37 ネコ様とおやつの時間
オーブンのタイマーの音がキッチンに鳴り響き、それを合図に中に入れていたクッキーたちを取り出す。
その瞬間、オーブンの中からは香ばしい匂いが溢れ、おやつの時間の食欲を掻き立ててきた。
「いい香りですね。おいしそうです」
「こんなにうまく作れるもんなんだな」
「問題のハリネズミも上手に出来てますね」
もちろん香りではなく、その見た目も予想していた通りの綺麗な形で出来上がっていた。
元々市販品の型で作ったものはもちろんのこと、手作りした動物たちも文句なしにこんがりと焼けていた。
「予定通りちょうどいい時間ですし、おやつに食べましょうか」
「おう」
ましろに促され、さっそくおやつの時間にすることに。
数時間前にはたっぷりとおいしい昼ごはんを食べたはずなのだが、その後クッキー作りに集中したせいか、すでにお腹は空腹感で満たされていた。
「それじゃ、いただきます」
飲み物とクッキーをテーブルに並べ、二人で手を合わせてこら食べ始める。
まずは、シンプルな丸型のクッキーから手にとり、香ばしい匂いに包まれたそれを口の中へ放り込む。
サクサクとした食感を楽しむように口を動かせば、パサパサ過ぎずほんのり甘い味が口の中に広がる。
「ん、うまい」
「本当ですか、それなら良かったです」
素直に感想を伝えると、ましろは小さく微笑んで彼女も続いてクッキーを口にする。
俺は十分においしく感じたのだが、ましろは少しだけ納得のいかない顔になった。
「思ったより優しすぎる味付けになってしまいましたね」
「そうか? 俺はましろらしい感じがして好きだけどな」
「そ、そうですか?」
ましろの料理は一言で言えば「おいしい」以外の何物でもないのだが、自分で作るご飯や実家の時の親のご飯と比べると「優しい」という味を大きく感じる。
味が薄いわけでもなく、シンプルすぎるわけでもない。だが、確実にましろの料理には彼女の優しさが詰まっている。
「……佐藤さんって、たまにそういうところがありますよね」
「? どういう意味だ」
「分からないならいいんです」
何故か照れくさそうに目を逸らすましろ。
その様子を不思議に思いながら、俺はクッキーをつまんでいく。
次に手に取ったのは、例のハリネズミクッキー。
愛らしい見た目のものを口に入れるのは少しだけ気が引けたが、いざ食べてみると他に比べても特別おいしく感じた。
「やっぱり手間がかかってる分、ハリネズミクッキーが一番おいしく感じるな」
「それなら、頑張った甲斐がありました」
ハリネズミクッキーは、体が元の生地、背中の針の部分がチョコ味になっており、バランスの良い甘さがかなり美味しかった。
「ましろはどれが一番お気に入りだ?」
「そうですね……このネコクッキーは焼き加減が一番上手くいっているのでおいしいです」
そう言いながらましろは、お皿からもう一枚そのネコのクッキーをつまんで、俺に見せてくる。
型は市販品だが、顔はましろがデザインしたもので、彼女に負けず劣らずのかわいい顔をしていた。
そんな、かわいい顔をしたネコは、それよりも大きなネコの口の中へ入っていった。
「……共食い」
「何か言いましたか?」
「共食いって言いました」
「知ってますからっ。そんな縁起でもないこと、二回も言わないでください」
「悪い悪い」
俺のちょっとしたからかいに、珍しくぷんすかと感情をあわらにして怒るましろ。
そのかわいさに、思わず俺は彼女をなだめるように頭を撫でてしまう。
「にゃ……」
さらさらのその髪に触れると同時に、彼女が小さく声を零す。
「い、嫌だったか?」
「い、いえ。嫌ではないです。その、佐藤さんなら……」
俺の問いに対して彼女は首を横に振る。
言葉通りましろは俺の手を避けたり嫌がる様子はなく、されるがままになっていた。
俺は彼女の意思に甘えて、そのまま本能のままに手を動かす。
「んっ……」
ましろは時々くすぐったそうに声を漏らしながら、俺の手に抵抗することなく目を閉じていた。
彼女のほうから嫌がられることがないため、終わり所が見つからず、結局俺の方が恥ずかしくなってしまい手を離した。
手が離れたとき、一瞬彼女は寂しそうな顔をするのでいたたまれなくなって俺は目をそらす。
そのまましばらく、お互い無言の時間が続く。前にも思わず彼女の頭を撫でてしまったことがあったが、そのときと同じく何も言えなくなってしまう。
その長い沈黙を先に破いたのはましろのほうからだった。
「……佐藤さんって、女の人を撫でるのが好きなんですか?」
「ご、誤解を招くような言い方はやめてくれ」
「違うんですか?」
「いや、その……当たらずも遠からずというか……」
たしかにましろを撫でるのは好きだ。もちろんいかがわしい意味ではなく、純粋にかわいいものを愛でるように自然と撫でたくなってしまう。
それはましろがネコの姿であったときからの癖でもあり、彼女が許してくれるのであればなるべく多く触れていたいというのが本音だ。
……もちろん、そんなことは口にしないし実際にやろうとも思ってはいないが。
「佐藤さん。もしかして、髪フェチとか……」
「どちらかと言えば遠くなったからな、それ」
どこで覚えてきたのか、とんでもないことを言い出すましろにしっかりと否定しておき、俺はそのまま言葉を続ける。
「……女の人がとか、髪がとか、そういうことじゃないんだ」
そんな、単純な理由や浅はかな気持ちでましろと過ごしている訳では無い。
しかし、それを上手く伝えるのに適当な言葉が見つからずその先が出てこなかった。
ましろは首を傾げて俺のその先の言葉を待っている。
その真っ直ぐすぎる視線を向けられて何も返さない訳にもいかず、俺は無理やりに口を開く。
「だからその……こ、こんなこと、ましろ以外にはしないってことだよ」
「えっ……」
苦し紛れに出たそれは、予想以上に恥ずかしい告白になってしまった。
当然のようにましろは固まってしまい、その言葉が指す意味を探すように目を泳がせていた。
そんな彼女を見ていれば余計に居心地が悪くなり、口の中に残ったクッキーの甘ささえ分からなくなっていた。
「わ、私だって……」
「え?」
「……いえ、なんでもないです」
ましろの意味深なその言葉を最後にして再び沈黙が訪れ、二人して目も合わせられなくなってしまう。
……結局そのあとは、そんなぎこちない雰囲気のまま、二人してクッキーを食べ続けるだけの時間が過ぎていくのだった。




