33 ネコ様の興味
「佐藤さんって、好きなお菓子とかありますか?」
ある日、夕食を食べ終わりまったりしていた時、不意にましろからそんな質問を受けた。
「好きなお菓子?」
「はい。少し聞いてみたくて」
そう言われてあらためて考えてみると、案外お菓子という単語が自分の中でピンと来なかった。
小さい頃はよく家でゴロゴロしながらお菓子を食べていた微かに記憶があるが、いつからだったかそれほど食べなくなってしまっていた。
「どうだろうな。普段あんまり食べないから」
「たしかにあまり見かけませんね」
「別に嫌いって訳でもないんだけどな」
彼女の指すお菓子がどんなものかは分からないが、俺自身甘いものが苦手というわけではなく会社で貰い物で食べる態度はよくある。
ただ、自分用に買っておいて家で食べるようなことは、考えてみれば最近はほぼしていなかった。
「しかし、どうしたんだ? いきなり好きなお菓子だなんて」
「いえ、大したことではないんですが、実は最近お菓子作りというものに興味を持ちまして」
「ほう、テレビで特集でもしてたか?」
「佐藤さんにはお見通しですね」
ましろは少し恥ずかしそうに笑う。
彼女が情報を得られるものは今のところテレビしかないわけで、それくらいは予想がつく。
それに、あれだけ料理が上手なのだ。たくさんの番組の中から、お菓子作りというのに興味を持つのも頷ける。
「この前たまたまそういう番組がやってて。そこでちょっとだけ気になったんです」
「なるほどな」
理由や対象などは関係なく、ましろが何か興味を持ってくれるというのは、俺からするとすごく嬉しいことだ。
彼女の過去を見てきた訳では無いが、少なくとも楽しい記憶だけではないだろう。
だから、その分俺が出来ることであれば好きなことを好きなだけやらせてあげたいという気持ちがある。
しかし、不意にましろは「でも」と言って声のトーンを落とす。
「佐藤さんが甘いものが好きということであれば作ろうかと思ったんですが、そうでもないみたいですね」
「えっ……」
そんな俺の気持ちはつゆ知らず、いきなりそんなことを言い出すましろ。
失敗した。そう、彼女はそういうやつなのだ。自分の意思よりも他人の気持ちを優先してしまう。
「いや、そんなことない。好きだぞ、お菓子。最近よく甘いものが食べたくなるというか」
「……さっきと言っていることが違うんですが」
俺は慌てて言葉を並べてなんとか軌道修正しようとするが、ましろはジト目で疑いの視線を向けてくる。
さすがにそんな諸刃の剣では無理だったらしい。俺は思わず「ははは……」と乾いた笑いをしながら誤魔化しておく。
「ま、まあ、冗談は置いといても、別に俺が好きか嫌いかなんて関係なくましろがやりたいと思うなら自由にやってくれていいんだぞ」
「……そう言っていただけるのはありがたいんですが、生憎そういう訳にはいきません」
それ以外にそこまで障害になるようなことがあるのだろうか。
俺が聞き返すと、彼女は困った顔で言いにくそうに視線を逸らす。
「その、お菓子作りとなると、それなりの材料や調理器具が必要になるので……」
「なんだそんなこと。気にしなくても、頼まれればいくらでも買ってきてやるさ」
「そう言うと思ったから止めようとしたんです……」
ましろは大きくため息をつく。
俺がましろの思考パターンを読めるのと同じように、だんだん彼女も俺の思考を読めるようになってきているのかもしれない。
だが、そうだとするなら遠慮なく言ってくれればいいのに。俺がましろの頼みを聞かないことなどないのだから。
まあ、ましろがそんなタイプではないこともわかっているが……。
何度も彼女には伝えているのだが、もっとワガママを言ったり自由に生活をしてほしい。
もっと、"人に頼る"ということを覚えて欲しい。
「一応言っておくが、お金の心配は無用だからな。一人暮らしで無趣味のエンジニアを舐めるなよ」
「違う意味で色々と心配ですけど……」
そういう意味ではこの肩書きは最強だ。
ましろが言うような生活水準の話は一旦置いておき、無駄を省いていけばお金はどんどんと溜まっていく。
お金がすべてではないことは理解しているつもりだが、とりあえずあって困るものではないことは確かだ。
「とりあえず今必要なものはなんだ? 今度の休日にでも買いに行くから」
「もう決定事項なんですね……」
「もちろんだ」
ノリノリな俺とは裏腹に、彼女は何やら疲れた顔で額に手を当てている。
最初はどうなるかと思ったが、俺の無理やりな外堀埋めがうまくいったようである。
いまいちましろは納得がいかない様子だったが、今更逃げ道はないことを悟ったのか腰を据える。
「まず作るものが決まらないことには始まらないので、佐藤さんの食べたいものを教えてください」
「そうだな、ましろが作るものならなんでも食べ……お、おい。そんな怖い顔するなよ」
俺の言葉をそれ以上続けさせまいと、ましろはさらにトゲのある顔をする。
どうしても俺のために作るというスタンスを崩したくないらしい。
まったく、この頑固さは誰に似たのだろうか……。
「佐藤さんが好きなものを聞いているんです。早くして下さい」
「悪かった悪かった。そうだな、無難なとこかもしれないが、クッキーとか食べてみたいかもな」
「……初心者向きだからとか考えていませんか?」
「ぅ……ま、まさかぁ。そんなわけないだろ?」
バレバレである。
いや、本当にクッキーが初心者向けなのかは分からないが、とりあえずお菓子作りと言えばクッキーみたいな風潮で言ってしまったことは間違っていない。
なんのことやらと口笛を吹いていると、ましろはもう一度大きなため息をつく。
「……まあ良いです。それでしたら必要なものは──」
それからましろから必要なもの一式を教えてもらい、その週の休日にさっそく俺は買い物に出かけるのだった。




