32 もふもふ欲求
「あれ、今日はそっちの気分か」
「にゃぁ」
お風呂からあがってリビングに戻り、そこにいたましろに話しかける。
ソファに寝そべりテレビへ視線を向ける彼女の姿は、全身が真っ白な毛に包まれた綺麗なネコだった。
慣れ親しんだましろのこの姿。
どちらの状態も素だという言葉通り、たまに彼女はネコの姿になつて過ごしている時もある。
話を聞くと、意外にも俺が仕事に言っている間はネコの姿でくつろぐことのほうが多いとか。
どうしても、家事をやるとなると人の姿でないと無理があるらしいが、言われてみればたしかにそうだろう。
実際、家事はかなりの重労働だ。当たり前だが、小さいネコの姿でやるようなものではない。
それにプラスして、どちらかと言えばネコの姿の方が気楽ならしく、休憩したり寝たりする時はそちらの状態にしているそうな。
こちらに関しては体の小さいほうが適材適所と言うべきだろうか。意外にもそういった面では便利に見えるが、実際はどうなのだろうか……。
しかし、休日はともかくとして、平日ましろと合う時間は朝と夜しかないわけで、その間ましろは料理などで忙しく人の姿から変わることは少ない。
俺としては、ネコの姿をしたましろももう少し見ていたい気持ちがあるのだが、俺からそんなワガママを言う訳にもさすがにいかない。
だからこそ、こうしてお風呂に上がった時にネコ状態のましろがいると少しだけ心が踊る。
「俺がいない間、何か面白いシーンあったか?」
「にゃぉ」
ふるふるっと首を横に振るましろ。特に見逃して損するシーンは無かったらしい。
俺はそのことに安堵してから、彼女の横に腰を下ろしてまたテレビを見始める。
もともと、ましろが人の姿になってから会話の量が格段に増えたわけでもないので、彼女の返答がネコ語になったところで特に支障はない。
もちろんネコ語が理解出来る訳でもないのだが、なんとなくフィーリングで伝わってくる。
そのまま大した会話をすることも無くテレビを見続けるが、いつの間にか俺の視線はましろのほうを見るようになっていた。
今では週に数回程度しか見ることの出来なくなってしまたこの姿。思わずじっくりと観察してましまう。
俺自身、どちらの状態のほうが好きだとかそういった気持ちはないが、やはり人類でネコのかわいさに勝てる人などいないだろう。
ただ寝転がっているだけだというのに、耳をぴくぴくとさせたり尻尾をくねくねと動かしたりする動作だけで全く見飽きることは無い。
そして、すぐ近くでそんな姿を見せられてしまっては、撫で回したくなるのがネコを飼うものとして当然の欲求なわけで。
俺はそのまま、ましろへゆっくりと手を伸ばしていき……ギリギリのところで理性が働き思いとどまる。
人の姿になる前でこそましろを撫でることは日常的にしていたが、今となってはどうなのだろうか。
人の姿になったからと言って彼女が別人になったわけでもないが、撫でられることに関して彼女の口から気持ちを聞かされたことは無い。
普通に考えれば、女の子の体を撫で回すなんて一歩間違わなくてもただの犯罪である。
そう考えてしまうとさすがに軽々しく前のように撫でるのはためらわざるを得なくなってしまう。
「なあ、ましろ」
……だが、だからといってまだましろの気持ちを聞いたわけではない。
諦めが悪いようだが、結論から言えばもし彼女から許可を貰うことが出来れば何の問題もないのである。
「にゃん」
「その、ちょっとだけ、触ってもいいか?」
自分の気持ち悪さを自覚しつつも俺はましろにその言葉を口にする。
案の定彼女はきょとんとした眼差しを返してくる。
「い、いや。前に撫でてたことがあったから、その時嫌だったかどうかを知りたいだけというか……」
「………」
「だから、それ以外に他意があるとかではなく……」
「………」
「すみません。ただもふもふの毛を撫でたいだけです」
ましろの無言の圧力に負けて、本音が口から零れ落ちていった。
さすがにこれは嫌われても仕方ないレベルのことだと反省して俺はましろに謝る。
すると、ましろは何も言わないままゆっくりとこちらに近づいてくる。
思わずネコ特有の制裁の一撃が来るかもと身構える……が、彼女は俺にネコパンチをお見舞いすることはなく、ひょいっと膝の上に乗ってきた。
「ま、ましろ?」
「にゃん」
「撫でても……いいのか?」
ましろは何も言わずにそのまま膝の上で丸くなる。
先程までように彼女は無言だったが、そこから伝わってくる意思は先程までとは違うものだった。
ましろの寛大な心の広さに感謝しながら、俺はゆっくりと彼女の体に手を添わせる。
久しぶりに触ったその感触は、前に触ったときと変わらない、吸い込まれるような手触りだった。
真っ白な毛並み越しに彼女の体温が伝わってきて、やわらかく且つもふもふしており、撫でているだけで幸せになれた。
その日はそのまま思う存分ましろを撫で回した後、ほくほく状態で俺は眠りについた。
目が覚めると、そこにはいつもどおりワイシャツとエプロンを着たましろがキッチンに立っており、あらためて昨日の行為が恥ずかしくなってくる。
「お、おはよう、ましろ」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おかげさまで……その、昨日は悪かった」
「いえ、気にしてませんよ」
てっきり少しは機嫌を損ねてしまっているかとも思ったのだが、案外ましろはけろっとしてた。
もし機嫌を損ねてしまった場合、最近の生きがいでもある彼女のごはんが無くなってしまう可能性もあるので内心ほっとする。
「その、撫でられるのって、不快になったりするか?」
確認のために、昨日結局聞けなかったことをらもう一度ましろに質問する。
昨日に限った話ではなく、過去にましろを撫でたことは何回もある。
もし、それがか彼女のストレスになっていたのであれば、誠意を持って謝らなければいけない。
「そんなことはないですよ。もちろん、知らない人からいきなり触られるのは嫌ですけど」
「まあ、それはそうだよな……」
「でも、佐藤さんのことは信頼してますから」
「そ、そうか」
「はい」
彼女は淡々とそう言ってくるので、気の利いた言葉の一つも返せなかった。
そんな、あまりにも真っ直ぐすぎる視線を向けられ、俺はましろに目を合わせることも出来ずに寝癖をいじるのだった。




