31 ネコ様からのアプローチ
「ただいま〜」
「おかえりなさい、ご主人様」
「えっ……ご、ご主人様?」
いつもと変わらず家に帰り帰りを告げると、ましろにとんでもない出迎えをされた。
ついでに、ネコ耳をぴょこぴょこと動かしながら、ネコの真似をするように腕を動かしていた。……いや、まあネコなのだが。
たしかにフィクションであるようなネコ耳の女の子がこういったポーズでかわいく動いているのはよく見るが、まさかそれをましろの姿で見れるとは思わなかった。
「ど、どうかしたのか?」
「いえ、特に深い意味はありませんが」
「えぇ……?」
余計に俺の頭には疑問符が生まれるばかり。
普段、あまり冗談なども言わないタイプのましろだからこそ、意味もなくそんなことをいうとは思えない。
俺のそんな気持ちに気づいたのか、ましろは少しだけ考える素振りを見せる。
「ご主人様は、こういったのにぐっときたりしないですか?」
「は、はぁ?」
「女の子のこういったポーズに、男の人はぐっとくるものだと聞いたので」
「どこソースだそれ……」
思わず俺は頭を抱える。
そう言いつつも、ましろの情報源と言えばテレビくらいしかないので、そこからの影響である事は分かりきっている。
彼女が素であんなことをしてくることはさすがに無いと思っていたが、そんな理由だったらしい。
「違いましたか?」
「いや、一概にも違うとは言いきれないが……」
言葉を濁しながら俺は視線を逸らす。
ましろの言葉通り正直に言えば、彼女のネコのポーズにぐっときてないと言うのは嘘になる。
誰が見ても美人と認められるだろう彼女の容姿で、ぐっとこない方が逆におかしいのではないだろうか。
「じゃあ、ご主人様っていうのは……」
「はい。それも、男の人はそう呼ばれるのが嬉しいと感じるものらしいので」
「………」
お昼から、なんて教育に悪い番組をやっているのだろうか、あのテレビは。
いつもましろの暇つぶしのためにしっかりと働いてくれていると思っていたのに、こんな形で裏切られるとは……。
「嫌でしたか……?」
「そ、そんなことは……ないです」
ここまできたら察しがつくと思うが、俺も一人の男としてその呼び名に心が揺らいでいた。
そういった願望があったわけではもちろんないが、実際に言われるとやはり惹かれてしまうのが一般男性の悲しいサガである。
前提として、いつもクールでさん付けをしてくるましろがご主人様なんて非現実的なことを言ってくるギャップがずるいのだ。
特殊な性癖を持ち合わせていなかったとしても、そんなもの簡単にねじ曲げられてしまうほどに彼女のそれは破壊力抜群だった。
「でも、出来ればやめてもらえると助かる」
「嫌ではないのにですか?」
「なんというか、ほら。心臓に悪いというか……」
「? どういうことですか?」
「……とにかく、ダメなものはダメだ」
ましろは不思議そうな顔をしながら「そうですか……」と残念がる。
いまいち彼女は自分の容姿の良さに気づいていない気がする。
彼女がそんなことを考えるタイプでないことは分かりきっているが、もう少しだけある程度男に対しての危機感を持って欲しい。
当たり前だが、俺はましろに対してどうこうしようなんてことを考えたことは一度も無い。
一時の感情や思い込みで、今の関係を壊してしまうようなことは絶対にしたくないし、それで彼女を傷つけてしまうなんて言語道断だ。
とはいえ、性別的に言えば俺とましろは異性なわけで、俺自身も並の人間と同じだけの、そういう感情だってもちろん持ち合わせている。
俺が何かするかもということではなく、もしましろが他の人と関わることになった際にという話だ。
「ましろはもう少しだけ危機感を持った方がいいぞ」
「危機感……ですか?」
「軽々しく男にそういうことしたらダメだってことだ」
「……?」
きょとんと首を傾げるましろ。いまいち言葉の意味を理解していない様子だった。
「佐藤さん以外の人に、こんなことしません」
そして、何も変わらないケロッとした顔で淡々と告げてける。
思わず変な意味に捉えてしまいそうになるが、どう転んでもそういう意味ではないだろう。
おそらくだが、ましろは俺にかなりの信頼を寄せてくれいる。
だからこそ、ああいった発言をしても、悪い言い方をすれば害がなさそうといったところなのかもしれない。
「佐藤さんこそ、色々と優しすぎると思いますよ」
「え、そんなことないだろ。普通だ、普通」
「少なくとも私が会ってきた中では、一番優しい人です。優しすぎて引くレベルです」
「そ、そんな風に思われてたのか……」
「ふふ、冗談ですよ」
到底冗談とは思えない口調で言っていた気がするが、気のせいだろうか。
俺だって無条件に優しい聖人のような存在ではない。時には人に腹が立つことだって、並程度にはある。
優しくあろうと意識はしているが、それが周りからどう見えているかは知らなかった。ましろの発言が本当なら、悲しいことに引くレベルらしい。
「佐藤さんは私に対して女性としては興味ないみたいですし」
「……いや、まあ」
「だから、そこに関しては信頼しているので」
どこか突っかかる言い回しだったが、理由はどうあれ彼女から信頼されているということ自体は嬉しいことだ。
思わず言葉は濁したが、ましろに対して興味がゼロというわけではい。
だが、彼女が魅力的な女性である以前に、彼女は俺の大切な家族だと思っている。
彼女が俺のことをどう思ってくれているかは分からないが、少なくとも無害で優しい人という認識ではあるらしい。
「ということで、ご飯出来てますよ。ご主人様」
「勘弁してください」
相変わらずの少しイタズラな笑顔をするましろに、俺はまだまだ敵わなそうだなとため息をつくのだった。




