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03 ネコ様の名前


 ネコ用品を腕いっぱいに抱えながら部屋の中へ入ると、ネコは朝と同じ部屋の隅で丸くなっていた。

 理由は分からないが、あのポジションが気に入っているらしい。


 俺が帰ってきた音に反応してゆっくりと顔を上げてこちらを見てくる。

 なんとも言えない圧のある目線。もしかしたら、睡眠を邪魔してしまったのかもしれない。

 俺が「ごめんな」とネコに向かって謝ると、しばらく見つめてきた後、再び夢の世界へ帰っていった。


 居候のネコに頭が上がらないのはどうかとも思いつつ、目の前でこちらを気にせず眠ってくれているのは、裏を返せば警戒を解いてくれているということなのではとポジティブに受け止めておく。


 両脇に抱えたレジ袋を下ろし、色々と中身を開封していく。

 すると、がしゃがしゃという音が気になったのか、ネコは起き上がって部屋の端からこちらに移動してくる。


 そして俺から一番遠い位置に置いてある用品に向かって、ちょんちょんとネコパンチし始める。

 そのあまりにもかわいい情景に目を奪われ、ネコ用品の整理もほどほどにしばらくそれを見守ってほっこりしてしまう。


 たっぷり堪能したあと、ネコを驚かさないように残りの用品の開封も済ませ、夕飯の準備を始める。

 今日は忘れずにネコの分のご飯も用意しないと……そう考えたところであることを思い出す。


 朝の段階では警戒していたのか、俺が家を出るまで用意したご飯を食べてくれなかった。

 拾った時の様子を考えるに、多分少しの間ご飯を食べれていなかっただろうし、かなり心配していた。


 おそるおそるテーブルの横を見てみると、そこには綺麗に真っ白な姿へ戻っているお皿が置いてあった。


 俺は思わずほっと胸を撫で下ろす。お口にあったかは分からないが、取り敢えずはしっかりと完食してくれたみたいだ。

 俺はその空のお皿を流しへ片付け、棚から新しいお皿を取り出す。


 そして、そこにスーパーで購入した刺身を適当なサイズに切り分けて入れていく。

 自分の好物である刺身だが、特に理由がなければ普段は買わない。ちなみに、買ったのはサーモン。俺の一番好きな刺身だ。


 もちろん今日は、自分のためではなく、他でもないネコのために買ってきた。

 もし、あの缶詰が口に合わなかった時のことを考えて、ネコの餌も含めて色々と買ってきていたのだが、なんとなく俺の一番好きな物を食べてみて欲しかった。

 さすがにそれだけではなく、キャットフード……いわゆるカリカリも買ってきた。



 刺身を切り分けたあと、自分用に少し残した刺身と他のおかず、ご飯と汁物を用意してテーブルに戻る。

 俺が用意してる間、ずっとネコ用品をちょんちょんしていたらしいネコは、俺が戻ってくると少し距離をとって様子を伺ってくる。


 俺は安心させるようにネコに微笑みかけて、自分の夕飯と一緒に、朝と同じくテーブル横の位置にカリカリと刺身が盛られた小皿を置く。

 すると、それを見て鼻をくんくんと動かし、俺の顔色を伺いながらゆっくりと近づいてきてくれる。


 テーブル横まで来て小皿を覗くと、じっくりと観察しながらしっぽを縦に大きく振る。

 ネコはしばらく刺身の観察を続けたあと、もう一度俺の顔を見てくる。なんとなく「食べてもええんか」と言っているような気がした。なぜ関西弁で脳内再生されたのかは分からない。


「もちろん。お前のために買ってきたんだからな」


 俺はそう一言ネコに伝えて「いただきます」と呟いて自分の夕飯を食べ始める。

 あまり見すぎるのも良くないかなとも考えて、出来るだけ見ない振りをしながら食事を進める。


 とは言うものの結局耐えきれず、バレない程度にチラッと様子を見てしまうが、本当に少しずつではあるがご飯を食べてくれていた。

 その様子を見て安堵してから、俺も刺身を一切れ食べる。スーパーで買っただけのものだったが、頬が緩むほどには充分に美味しかった。


 もう一度ネコの方を見て、しっかりと食べてくれているのを確認して、片手間にスマホを見る。

 最近よくネコのことを調べているせいか、開いたSNSサイトの画面にはネコに関する動画や写真が並んでいた。


 なんとなく気になった動画を押して再生すると、ネコがロボット掃除機と格闘するなんとも微笑ましい映像が流れる。

 そう思いながら動画を見続けていると、その動画の中で飼い主がネコに向かって名前を呼ぶ様子が流れた。


 そして、それを見て俺はふと大事なことを忘れてしまっていることに気づいた。

 俺は、いまだに少しぎこちない様子でご飯を食べるネコのほうを見る。


 そう、俺はこのネコの名前を知らない……それは当然だ。知るよしもない。

 前に飼われていた家でなんと呼ばれていたか、そんなものをネコから聞けたら苦労はしない。拾った時にも、生憎首輪も名札もついていなかった。


「なあ、お前の名前……」


 食事中に申し訳ないと思いながら、俺はネコに話しかける。しかし、その先の言葉が上手に出なくて詰まってしまう。

 俺がそのまま何も言えずにいると、その様子を見かねたように食事を中断してネコがこちらを見てくる。


 ご飯を食べていた時は少しだけ穏やかになっていた顔がどこか曇った不機嫌そうな顔になった。

 それが食事を邪魔されたからなのか、それとも別の理由なのか、それは分からない。


「俺は、お前をなんて呼べばいい?」


 俺は質問を変えた。

 もしこのネコに前の飼い主が付けた名前があったとして、その名前をこのネコが気に入っているとは限らない。

 少なくとも俺がネコの立場なら、そんなやつに付けられた名前は思い出したくもないだろう。


 もちろん、捨てられたのが単に無責任な飼い主のせいだとは思わない。

 何かしら理由があった可能性が高いに決まっている。もしかしたら、このネコに原因があるのかもしれない。


 ……だからといって。ネコだからといって。全てを投げだして、あんな風に放置することは許されない。何かほかにも手があったはずだ。

 だからなんなんだと言われればそれまでだが、そんなこのネコに、前向きになれるような新しい名前を付けてやりたかった。


「もし良ければ、俺が新しい名前を考えてもいいか?」


 そうしてしばらくネコと目を合わせる。

 俺の真剣な眼差しに、ネコも同じように紳士な瞳を向けてきた。


「……にゃぁ」


 ネコは、そう答えた。

 それが今の俺の言葉への答えなのかどうかなんてのはもちろんわからない。

 しかし、ネコのその瞳には確かな意思が感じられた。


 さて、問題なのはその名前。何か案を用意していた訳では無い。

 今更ではあるがこのネコは女の子だ。その整った顔と毛並みに合った、綺麗な名前をつけてやりたい。そう考えて思考を巡らす。


 とはいえ、当然ながらそんなものがぽんぽんと湧いてくることも無く、気づけばネコはご飯を食べきり、また部屋の隅へと帰ってしまっていた。

 俺を警戒しているのか、それともその場所が落ち着くのか分からないが、何も無い部屋の隅ではさすがに可哀想だ。


 暖房を付けているとはいえ、まだ朝方は冷え込む。

 そう考えて、気に障らないようにゆっくりと近づきネコの近くにネコ型クッションと電気ストーブを移動させておく。


 すっかり思考に詰まってしまったが、こんなときにはじっと考えていても仕方がない。

 俺は残りのご飯を食べ終え、まったりとお風呂に浸かりながら名前を考える。


 最初こそ、何個か候補を出してその中から選ぼうと考えていたのだが、その候補すらもなかなか出てこなかった。

 結局、のぼせるギリギリまで30分ほど考えていたが納得のいくものは何も思い浮かばなかった。


 もやもやとした気持ちのまま風呂場をあとにしてリビングに戻る。

 ネコの定位置を見ると、俺の置いたネコ型クッションをさっそく使ってくれていた。


 俺はそこから少しだけ距離を置いたところに腰を下ろす。

 気配に気づいたネコは、うっすらと目を開けてこちらを見る。そして、俺の目を見つめたあとまたすぐに瞼を閉じた。


 整った顔つき、スリムな体、そして真っ白に輝く綺麗な毛並み……。



「ましろ……」



 気づくとそんな言葉を零していた。

 その言葉が自分の耳に届くと同時に、ネコの耳もぴくんと反応する。

 そして、もう一度その目を開いて俺の顔を見る。


「ましろ……。ちょっと安直すぎか?」


 少しの期待と不安の混ざった感情を飲み込んで、語りかける。

 そんな俺に対してネコは、見つめた目をそらさずに「にゃあ」と一つ鳴いた。


「気に入ってくれたか?」

「にゃぁぉ」


 二回目の問いかけにも変わらずにかわいい声で返事をしてくる。

 ふとこぼれ落ちたその名前を、お気に召してくれたらしい。



「それじゃ、あらためてよろしくな。ましろ」



 夜空に三日月と星たちが輝くその日。

 とても小さな一歩。でも確実な一歩だけ。俺とネコ……ましろとの距離は近づいたのだった。




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