29 ネコ様のエプロン
「おかえりなさい、佐藤さん」
「ただいま、ましろ」
玄関で出迎えてくれたましろに笑顔を返して、思わずまた彼女の頭を撫でようとしてしまい、ギリギリで踏みとどまる。
飼っているネコの頭を撫でること自体は普通なことかもしれないが、こちらとしては全く状況が違う。
たしかに、ましろがネコの姿をしていた時は、最初こそ拒否されていたが次第に頭を撫でても許してくれるようになった。
だが、今俺の目の前にいるのは、人間年齢的に見て高校生くらいの見た目の女の子だ。
ましろは、前と変わらない態度で接してくれとは言ってくれていたが、さすがに年頃の女の子の頭を軽々しく撫でるのは倫理的にどうだろうか。
今朝は成り行きで思わず撫でてしまったが、彼女が実際どう思っているかは分からない。あとは、完全に俺がヘタレなだけである。
「お弁当、ありがとな。すげー美味しかった」
「いえ。それなら良かったです」
忘れずに今日作ってくれたお弁当の感謝を伝える。
リビングに鞄を置き、キッチンに立つましろのすぐ横でお弁当箱を洗う。
洗い物をしながら今度は一つ一つの細かい感想を伝えていくと、ましろは照れくさそうにしながらお礼を言ってくる。
むしろお礼を言うべきなのは俺の方なのだが、確かに作り手からしても嬉しいことなのかもしれない。
俺自身、人のためにご飯を作ったことはないが、作る側も食べる側も嬉しいというのは、まさにウィンウィンの関係だろう。
「気に入ってもらえて嬉しいです。明日も作るので、楽しみにしておいて下さい」
「ありがとな。でも、無理はするなよ? 朝も夜も作ってもらってるんだし」
「いえ、私は大丈夫です。毎日コンビニ弁当の人の健康のほうが心配なので」
「返す言葉もございません……」
あらためて第三者の口から言われると、なかなかに心に刺さる。
健康のためには睡眠と食生活が最重要項目だが、これまでの俺の食事はお世辞にも健康的とは言えないものだった。
「でも、このままだと俺がどんどんダメ人間になってしまう気がするんだが……」
「? 佐藤さんは真面目で優しくて、全くそんなことはないと思いますけど」
「い、いや、そう言ってくれるのは嬉しいが、そういうことじゃなくてな……?」
「どういうことですか?」
「まあ、その……最近はましろに甘えてばかりで、いつかましろ無しでは生きて行けなくなりそうだなと……」
自分でも言っていることが情けなくなってきて、ましろから目を逸らしながらそう答える。
最初こそ、できる限りましろが不自由なく幸せに過ごせるようにと頑張っていたはずなのだが、今では食事はおろかその他の家事まで彼女に頼ってしまっている。
もちろん、俺が強制しているわけではない。ましろの察しの良さや仕事の早さ故に、俺がやるよりも早く彼女が終わらせてしまっているのだ。
家に帰ればご飯があり、お風呂は掃除されお湯が張ってあり、洗濯物すらも畳んでタンスに戻されている。
「そ、そう、ですか……」
「……ましろ?」
俺の発言に彼女は黙り込み、料理する手も一時停止していた。
何か彼女の気に触ることを言ってしまったのかと不安になるが、しばらくすると彼女は振り向き俺の目を見つめてきた。
「私がこの姿になった日、この家に居てもいいと言ってくれましたよね」
「ああ。ましろがそれを望むなら、俺も嬉しい……そう伝えたな」
「はい。そういうことであれば、安心してください」
「え?」
「心配しなくても、私が居なくなることは無いですから」
彼女は、微かに口元を緩めるいつもの笑顔ではなく、どこか小悪魔じみたイタズラな笑顔を向けてきた。
その言葉が指す意味は、彼女がこれからもずっと俺を甘やかす気満々ということで……。それはもう、実質的に……。
「い、いいのか? ましろはそれで」
「何がですか?」
「その、もっと他にやりたいことがあるなら出来る範囲で対応するし……」
「ごはんを作るのも家事をするのも、私がやりたいことです。それをさせてもらえるのであれば、他には何もいりません」
普通では考えられないほど俺にとって都合のよすぎることを淡々と述べるましろ。
もうその堂々とした態度には、俺に対して恩を返そうとするような意思はあまり感じられず、彼女の本心からの意志を感じた。
覚悟が出来ていなかったのは俺の方で、ましろの真っ直ぐすぎる謙虚さを正面から受け止めることが出来ていなかった。
どこかでまだ彼女に対しての遠慮があり、彼女を幸せにしようとするあまり、結局は自分の頭の中でしか考えることが出来ず視野が狭くなっていた。
「明日からもめいっぱい甘やかしますので、覚悟してくださいね」
「お、お手柔らかに頼む」
ましろは、これまでで一番自信に満ちた顔で、あまりにも贅沢すぎる宣戦布告をしてくるのだった。
ましろと晩ごはんを食べ終わったあと、まったりと二人でテレビを見る。
今日は特に見たい番組もなかったのだが、適当にバラエティ番組のチャンネルを映してくつろいでいた。
「明日のお弁当、何かリクエストはありますか?」
「唐揚げだな」
「ほんとに好きですね……まあ、いいですけど」
試しに冗談で即答してみると、彼女は少しだけ呆れたような顔をするがすぐに了承してくれる。
「冗談だ。ましろが作ったものならなんでも食べるさ」
「では、明日はタコさんウインナーと甘だれミートボールにしますね」
「子供じゃないんだが……いや、美味しそうではあるが」
「決まりですね」
たしかに、今思えば食材を買いに行った時、買い物メモにはそれらしいものが含まれていた気がする。
最初からそこまで考えて準備を進めていたらしい。一体どこでここまでの主婦力を身につけてきたのだろうか……。
「そういえば、ましろにプレゼントがあるんだ」
主婦という単語を聞いて思い出して、俺はソファから立ち上がり、それを取りに行く。
昨日思い立って、ちょうど今日買いに行ってきたものだが、先程のことも相まって渡すタイミング的には今日が最適だろう。
リビングに置いた鞄からそれを取り出し、ソファに戻る。
しかし、そこに居た彼女は何故か既に微妙な表情をしていた。
「……佐藤さん」
「えっ。ど、どうかしたのか?」
「佐藤さんは、私に対して気軽に色々と与えすぎだと思います」
「そ、そんなことはないと思うが……」
「そんなことあります。佐藤さんは知らないと思いますが、実はお金って有限なんですよ?」
あれ、俺今怒られてるのか? それともただバカにされてるのか?
「とにかく、無駄遣いはダメなんです」
「ましろのために買うものが無駄なわけないだろ」
「そ……それは、佐藤さんからしたらそうなのかもしれませんけどっ」
「ましろが俺を甘やかしたいと思っているなら、俺だってそれは同じだ。ほら、これ」
このままだとらちが明かないので、強引にましろにプレゼントを押し付ける。
これで彼女が気に入ってくれなかったら甚だ迷惑な話だが、今回の物も比較的実用的なやつなので、おそらく大丈夫だと信じたい。
「これは……エプロンですか?」
「ああ。今思えば、いつも服のまま料理してるなって。せっかく服も買ったことだしな」
もともと料理なんてほぼほぼしてこなった俺が料理用のエプロンなんて持っているはずもなく、せっかくの新しい服が汚れてしまうのも、ということで買ってきたのだ。
デザインは、あたたかみのある木材のような色合いの生地に小さくネコの刺繍がされている可愛らしいもの。
「️……かわいい」
少しご機嫌ナナメのましろお嬢様にもなんとか気に入っていただけたようである。
自分で選んで買っておきながら、ネコにネコの飾りがついたものを渡すのはどうかと思っていたのだが、案外ましろは普通の女の子と変わらない感性を持ってくれていた。
「……私だけ貰ってばかりなのは不服ですが、ありがとうございます。大事に使わせてもらいますね」
日頃の感謝なんて言うのはもちろん、これから毎日食事を作ってくれるというましろに対して、お礼としてのプレゼントだ。
これから先、毎日キッチンに立つネコエプロンをつけたネコの女の子の姿を思い浮かべて。
俺は、高鳴る嬉しさや幸せの感情をかみ締めながら、未来の情景に思いを馳せるのだった。




