27 ネコ様の寝顔
「えっ……」
食後の眠気に任せてソファで眠っていた、とある休日の昼過ぎ。
夢の世界から帰ってきた直後、自分が置かれていた状況に、思わず声が漏らして目を見開く。
ソファに座る俺のすぐ隣。もっと正確に言うのであれば俺の肩の上。
そこには、真っ白なネコ耳、艷めく銀髪、そして誰もが振り向くような可憐さを持ったましろの顔があった。
彼女のサラサラの髪ともふもふの耳、その両方が俺の肌をやさしく撫でる。
ネコ耳に触れたことはましろが人の姿になる前から数回ほどはあったが、髪に触れる機会は一度もなかった。
彼女の髪は、ほのかにぬくもりを感じる耳とは違いひんやりとしていて、そして驚くほどに滑らかだった。
ずっとその感触に触れていたい気持ちもあったが、現状確認のためにゆっくりと頭を上げて顔を離す。
ましろを起こしてしまわないように、なるべく体を動かさずに彼女の顔を覗き込む。
彼女はソファに座ったまま俺の肩に頭を預け、静かに寝息をたてていた。
その寝顔はとても安らかで、すっかり深い眠りに落ちてしまっている。
昼寝を開始した俺には釣られて、隣に座っていたましろもいつの間にか眠ってしまっていたのだろう。
完全に俺に身を委ねてしまっているので、軽率にその場から退くわけにもいかない。
仕方ないので、俺を肩枕として使っている対価……というわけでもないが、ましろの寝顔を観察させてもらうことに。
「 」
ましろは落ち着いた様子でゆっくりと呼吸をしている。寝ている時まで行儀が良いらしく、足を閉じて両手は太ももの上で重ねられていた。
少し頭を動かせば触れてしまいそうな距離にあるましろの顔は、近くで見ても本当に綺麗だった。
ネコの姿をしていた時は、まるでフィクションで描かれるような可憐で美人な白猫だと思っていた。
そして今、こうして人間の女の子の姿となった彼女を見て思う気持ちも、その時と同じ感情なのだ。
不思議なことに、見た目が変わってもましろに対して思う「かわいい」という気持ちのベクトルは何も変わっていない。
しばらくの間飽きることなく彼女を観察し続けるが、彼女が起きる様子はない。
前にましろが俺のベッドを占領していた時にも思ったことだが、彼女は一度眠りにつくと、外からの干渉ではなかなか起きないタイプらしい。
ここまで起きないましろを見ていると、少しだけイタズラ心が湧いてくる。
念の為、彼女の肩を軽く叩いて声をかけてみるが、やはり起きる様子はない。
俺は少しだけ迷ってから、まずは彼女の頭へ手を伸ばす。
……もふもふ。
言うまでもない。ましろのネコ耳は、実に見事なもふもふ具合だった。
そのまま手を動かして、彼女の髪にも触れてみる。子供をあやすように髪の向きに合わせて優しく頭を撫でる。
ネコ状態のましろの毛並みは撫でるのが止まらなくなるほどの触り心地だが、この綺麗な銀髪はそれをも超える感触だった。
すっかり俺はその髪の虜になってしまい、気づけば時間を忘れて撫で続け、窓の外はましろの瞳と同じ茜色に染まりはじめていた。
平日であれば、おそらくこのあたりの時間からましろは晩ごはんの支度を始めているだろう。
そう思い、頭を撫でるのを中断して彼女を起こそうとしたところで、ちょうど彼女が目を覚ます。
「ん……」
「おはよう、ましろ」
「おはようこざいます……」
ましろは眠たそうに目を擦りながら、ふにゃふにゃの声で答える。
その姿はまるでネコが毛ずくろいをしているようで……いや、実際ネコだったか。
「あっ……」
少しして意識が覚醒すると、ましろは俺の肩を枕にしていたことに気づき、小さく声を漏らす。
ましろが離れると、それまで触れ合っていた場所が妙に冷たく感じて少しだけ寂しく感じた。
「ご、ごめんなさい……」
「気にするな。俺も今起きたところだから」
嘘である。
ずっとましろが起きないことをいいことにネコ耳や髪の触り心地をたっぷりと堪能していたとはさすがに言えない。
「もう夕方だが、ご飯の支度するか?」
「はい。すみません、おまたせしてしまって」
「そんなことない。作ってもらえること自体、十分に恵まれてるさ」
現在俺は、ましろからの直々のお願いで、彼女にご飯を作ってもらっている、というなかなか変な状況にはなっている。
だからといって俺にとってデメリットになることは現状何一つない。
彼女が、健康的で味も申し分ない料理を毎日作ったくれているのだ。俺から口出しする事など何もない。
ましろが慌てた様子でキッチンへ向かっていくので、俺はその後ろから声をかける。
「そんなに焦らなくてもいいからな? 焦りは怪我のもとだ」
「で、ですけど……」
「ご飯が遅れるよりも、ましろが焦って怪我した方が俺は怒るからな」
「……はい」
どうにもましろには、俺に対する恩を強く持ちすぎているところがある。
それを不快に思っている訳では無いが、そのせいで彼女に無理をさせてしまっていると感じることが多くある。
俺からすると、もっと気軽に……彼女が望むのであれば、一緒に暮らす家族として接して欲しいと思っている。
俺のそんな思いが伝わったのかは分からないが、ましろはすぐにいつもの調子に戻ってくれた。
……今思えば、ましろに対して「怒る」なんて言ったのは今回が初めてだったかもしれない。
まあ、本当にましろが怪我をしたら、俺が怒るのは絶対に自分自身へだと思うが……。
ましろがご飯を作っている間に俺が出来ることは精々飲み物と箸の用意くらいなもので、後はすべてましろが一人でやってしまう。
遅れると言っていた割にはさほど時間はかかるらずに、いつもと同じ時間に料理の支度は終わる。
「「いただきます」」
今日のメインは豚肉の生姜焼き。しっかりと味付けながらさっぱりとした後味で、お米との相性は抜群。
その他には、新しい食材で作られた出来たての味噌汁。
素材、味噌、だし。その全てがバランスよく調和し、一口飲めばやさしい美味しさが口の中に広がる。
「今日もすごくおいしいよ」
「ありがとうございます。お口に合って良かったです」
毎日、ましろへの感謝は忘れない。
もっと言えば、味の感想はもちろん日頃の感謝も有り余るほどに言いたい気持ちはあるのだが、おそらくそれは彼女を困らせてしまうだろう。
言葉として伝えることも大事だが、それだけではなく自分の行動や形あるものとしてのお礼をしっかりとするべきだ。
「唐突ですけど、佐藤さんは好きな食べ物とかありますか?」
「好きな食べ物?」
「はい」
何かましろにプレゼントできるものを考えていると、その思考を止めるように彼女からそんなことを聞かれた。
「うーん……別に、ましろが作ってくれたものならなんでも好きだぞ?」
「にゃっ……そ、それは嬉しいですけど、そういうことでなくて……」
ちなみにましろは、こうして唐突に直球で褒められた時の照れた様子が、抜群にかわいい。
特に、いつもピンとした耳がふにゃっとなってぺたんとなるのがかわいい。擬音だけでもこのかわいさである。
「た、例えば、昼ごはんはいつも何を食べているんですか?」
「日によってバラバラだが、一番お気に入りなのはコンビニの唐揚げ弁当かな」
「唐揚げ、好きなんですか?」
「まあ、それなりに」
「……なるほど。分かりました」
それ以上ましろが何か聞いてくることはなく、この話題は終了。彼女は再びご飯を食べ始める。
彼女の意図はよく分からなかったが、心なしか彼女は機嫌良さそうな表情をしていた気がした。
俺は少し不思議に思いながらも、引き続きましろのご飯を食べるのだった。




