26 ネコ様の服、そして下着
玄関の扉を開けると、部屋の中から漂う香ばしい匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
俺がドアを閉めると、その香りと一緒に俺の帰りに気づいたましろの声が帰ってきた。
「おかえりなさい。佐藤さん」
「ああ、ただいま。この匂いは炒飯か?」
「はい。正解です」
キッチンへ向かいながらそう聞くと、ましろは少し声を弾ませて機嫌良さそうに答えてくれる。
家に残っていたお米と卵を使い、今日のメニューは炒飯になったらしい。
昔からの好物であるため、外出していたのも相まって一気に空腹感が増してくる。
せっかく作ってくれたご飯を冷ましてしまうのは勿体ないので、買ってきた物の報告は後回しにすることに。
ましろの作ってくれた、はじめての昼ごはん。いつもはバランスの取れた和食がメインなので、こういった一品料理のメニューも初めてだ。
「なんでも作れるんだな、ましろは」
「なんでもということはありません。料理に終わりはありませんから」
料理に関して、俺にはまったく理解出来ない領域まで達してしまっているましろは謙遜した様子でそう語る。
俺からしてみれば、もうこの時点で料理をマスターしているといってもいいと思うのだが、彼女のハードルはそんなものではないらしい。
昼ごはんの完成までさほど時間は掛からず、俺が手洗いうがいをしている間にすでにテーブルの上には出来上がった炒飯が二つ置いてあった。
ましろと一緒に手を合わせてあいさつをして、綺麗に盛り付けられた炒飯を食べる始める。
先程ほんのりと嗅いだ香ばしい匂いが直に伝わってして、嫌でも食欲が高められる。
口に入れて一口噛めばその味が口全体に伝わってきて、すぐにまたもう一口、二口と口の中へ運んでしまう。
「うまい……」
「ありがとうございます」
まるで息をするように口からその言葉がこぼれ落ちた。
コンビニや外食の炒飯など比べ物にならないほどに美味しく、俺の口の中は幸せで満たされていた。
「佐藤さんは本当に美味しそうに食べますね」
「そりゃあ、本当に美味しいからな」
「そ、そうですか」
少し照れくさそうに視線を逸らすましろ。
毎日彼女のご飯を食べさせてもらっている俺の立場からすれば、もっと彼女の自分に自信を持っていい。
一人暮らしの普通の男が、こんなにも美味しいものを大した見返りもなく頂いているのだ。
それに、美味しいものに対してしっかりと感想と感謝を伝える。それはもう、食べる側の義務と言っても過言ではない。俺はそう思っている。
米粒一つ残さずに食べきり、しっかりと食後の感謝をましろに伝えて、いつも通り皿洗いを担当する。
その間暇を持て余したましろは、俺が買ってきた袋に興味を持っていた。
「今日は何を買ってきたんですか?」
「あー、えっと……そ、そう。ましろから頼まれてた食材買ってきたんだよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
お礼を述べるましろになんとなく後ろめたい気持ちになる。いや、嘘は言っていないのだが、なんとなく洋服のことを言い出せない空気になってしまった。
どう切り出そうかと考えながら引き続き皿を洗っていると、後ろからガサゴソと袋を漁る音が聞こえてきた。
咄嗟に振り返ると、そこには俺の買ってきた女性用下着を手に取るましろの姿があった──
「………」
ましろは特に感情のない顔で、それをじっと見つめている。
よりにもよってそれを一番最初に手に取ってしまうとは……。あまりの事態に俺はその先の言葉が出ない。
「これは……佐藤さんが使うのですか?」
「んなわけあるか!」
思わず持っていた皿を投げ捨てそうになる勢いでツッコミを入れる。
なんでも興味津々というようなネコとしての本能が疼くのか、そのまま止まることなく袋の中を漁り始めるましろ。
どうしようもなくなった俺は皿洗いを中断し、一旦ましろの手を止めさせる。
「き、今日、ましろのために買ってきたんだよ」
「私のため……ですか?」
「ああ。ほら、いつもそのワイシャツしか着てないだろ」
とりあえず下着は置いておき、買ってきた洋服をましろに手渡す。
ましろは不思議そうにしばらく洋服を見つめてから、しばらくするとそれを広げてぴたっと今の服の上から合わせる。
「どうでしょうか」
「似合ってるぞ。ましろの可愛さが引き立ってる」
「そ、そうですか。でも……いいんですか?」
「ああ。もちろん」
いつかましろを外に出せるようになった時、ワイシャツ一枚のような格好ではさすがに出歩かせられない。
まあ、俺の日々の精神を安定させるというのが一番大きい理由なのだが……。
「では、この下着も、私のために?」
「……ま、まあ、そんなところだ」
ましろはまた手に取った下着をじっと見つめ、そして俺の顔と見比べる。
ほんの少しいたたまれない気持ちになりながら、そんな彼女を見守る。こんな時にかける言葉など到底見つからない。
「……佐藤さんは、下着を付けた私のほうが好きですか?」
「い、いや、そういうことじゃなくてだな。そ、そのほうが俺が安心するというか……」
「そうなんですか?」
「そ、そりゃあ、まあ……」
平たく言ってノーパンの女の子と、ひとつ屋根の下にいる状況なんて不安なんてものではない。
固く誓ってましろに手を出すなんてことはしないが、少なくとも俺の心はとてもとても落ち着かない。
「分かりました。佐藤さんがそう言うのであれば」
「お、おう……助かるよ」
一時はどうなることかと思ったが、なんとかましろも納得してくれたらしい。
これで、少しはこれからのましろとの生活も平穏なものになりそうだ。
俺が安堵のため息を吐く中、彼女はおもむろにその下着を足先へ持っていき……
「ではさっそく」
「おい待て! ここで履くんじゃない!」
……平穏な日々は、まだもう少し先のようである。




