25 買い物と突然の遭遇
ましろが人の姿をするようになってから初めての休日。
あれから特に変わったことなく、ただひたすらに晩ごはんが楽しみな毎日を送っていた。
すっかりキッチンの主導権はましろが握っており、今日は彼女から食材の買い出しを頼まれて、ショッピングモールへやってきている。
普通に食材を買うだけであれば近場のスーパーで十分なのだが、今日はそれ以外の目的がある。
それは、最近俺の精神を日に日に削っている……そう、ましろの普段着事情である。
彼女の格好は知っての通り毎日ワイシャツ一枚。
生足が常に視界に入ってくるのはもちろん、尻尾が動く度にワイシャツの裾口がめくれ、無防備なんてレベルではない。
今後のましろのため、何より俺の精神の平穏のために、なるべく早く彼女の服を買わないといけない、というわけだ。
とはいえ、そんなにおしゃれを意識して買うものでもないのだが、自分が着るものでないからか、変に迷ってしまう。
こんなことなら、あらかじめましろに服を買うことを伝えて、どんなものがいいか聞いておけば良かったかもしれない。
……まあ、ましろの性格上、それを言って素直に受け取ってくれるタイプでもない気もするが。
とりあえずいつまでも迷っていても仕方ないので、目に入ったマネキンが着ていた服装をそのまま揃えて何着か買うことにしてしまう。
安直にも程があるが、まず間違いはないだろう。勝手な想像だが、ましろのルックスを持ってすればどんな服でも似合う気もする。
マネキンの傍で売られていたその洋服を手に取り、残るは……そう、ましろの下着である。
……断じて、俺自らの意思で彼女に下着をプレゼントするとか、そういう変態的なことではない。
それはつい先日のこと。はっきり見た訳ではないが、おそらく彼女……ましろは、普段から下着を付けていない。
さすがに、ましろがずっとその状況はやばい。何がやばいかと言えば俺の精神が超やばい。
俺が年頃の女の子に下着を買っていくことも十分過ぎるくらいやばいのだが、今後のことを考えると今日を我慢すれば未来の俺は大いに救われるだろう。
「(胃が痛い……)」
下着売場を前にして、俺は思わず下腹部を押さえる。
当方、ごく普通の一般男性。彼女や家族を連れている訳でもない、ただの男。
それが一人で女性下着を買いに行くのである。……通報とか、されないよな?
俺は覚悟を決めて下着売り場に突撃する。
当然周りの客からの視線がこれでもかと刺さってくるが、仕方ないと割り切って下着を選ぶ。
さすがにこっちは迷ってる暇すら無いので、シンプルな生地とデザインのものを上下三枚ずつ手に取り、すぐにその場から脱出する。
幸いにもお会計はセルフレジだったため、二度目の攻撃を受けることは無かった。
そのまま逃げるように店を出て、モール内のスーパーへ向かう。ましろのためとはいえ、出来ればもう二度と味わいたくない胃の痛さだった。
その後モール内のスーパーへ入り、ましろから渡されたメモを見ながら食材をカゴに入れていく。
主婦のような食材の善し悪しを見分けるような目は身につけていないので、パッと見の色合いの良さで選ぶ。
「あれ、佐藤くん?」
ある程度のものをカゴに入れ終えたところで、不意に名前を呼ばれる。
あまり聞きなれない声だったが、その名前の呼び方から多少予想がついた。
「どうも、綾乃さん」
「偶然だね〜、久しぶり」
ほんわかとした声で、彼女はひらひらと手を振りながら近づいてくる。
彼女の名前は綾乃さん。俺の同僚である榊原の恋人だ。
榊原とは高校生のときからの付き合いらしく、今は二人で同棲してるとか。
あいつが毎日綾乃さんの手作りお弁当を食べているのはそのおかげだろう。
普段綾乃さんと会う機会はあまりなく、たまに榊原を含めた三人で遊ぶ時くらいだろう。
当然、いつもあの二人のイチャつきぶりを見せられている訳だが、いつの間にかそれにも慣れてしまった。
「珍しいな、今日は榊原と一緒じゃないのか」
「うーん……本当はさーくんと一緒が良かったんだけどね〜」
そう言って綾乃さんは後ろを振り返る。その視線の先には、少し離れてこちらを見ている女性が二人立っていた。
どうやら、今日は女友達と遊びに来ていたらしい。
「さすがにさーくん連れて女の子とは遊べないからね」
「ごもっともで」
ちなみに一応補足しておくと、さーくんというのは他でもない榊原のことである。
高校時代からずっと一緒に過ごしてきて、もう何周年かも分からないレベルだというのにこの甘々っぷり。
早く結婚してしまえばいいのにとも思いつつ、お互いそこはしっかりと考えているらしく、今は静かに見守っている。
「ところで佐藤くん、さっき服屋にいたよね?」
「え、ああ。それがどうかしたか?」
「その、見間違いだとは思うんだけど、女性下着売り場に入っていったように見えたから……」
「えっ……」
綾乃さんから発せられたその言葉に、思わず背筋が固まって嫌な汗が出てくる。
「……見間違い、だよね?」
「お、おう。そ、そうなんじゃにゃい……ないか」
「なにその可愛い噛み方」
思いのほか動揺が隠しきれずに不審にも程がある返し方をしてしまったが、綾乃さんは俺のネコ語にツボっているらしく気づいた様子はない。
社会的な死を免れて、俺はほっと胸を撫で下ろす。
綾乃さんはひとしきり笑った後「あ、そうだそうだ」と言って続ける。
「さーくんに見せてもらったよ、ましろちゃんの写真!」
「えっ……あ、ああ、ましろな。榊原から聞いてるよ」
その言葉に一瞬ドキッとするが、彼女の言うましろはネコ状態のときに撮っていたましろの写真のことだろう。
榊原の携帯に送った写真を綾乃さんも見ていたらしく、かなり気に入ってくれたとか。
綾乃さんは、かわいいだの羨ましいだのとマシンガントークを撃ってから思いついたように手を叩く。
「今度さーくんと一緒に、佐藤くんの家に遊びに行かせてよ」
「そ、それは……」
「ダメなの?」
「いや、まあ……ダメという訳ではないんだが」
もちろん人の姿をしたましろに会わせることは出来ないが、ネコの姿をしているときであれば大丈夫だろう。
しかし問題になるのは、ましろの同意が得られるかということ。
ネコの姿に戻ることは容易らしいが、ましろを知らない人に会わせることにはまだ少し不安がある。
「その……まだましろも人に慣れきってないところがあるというか……。だから、もう少しだけ待ってくれ」
「そっかぁ。まあでも、それなら仕方ないね」
「悪いな」
残念そうな表情を浮かべる彼女に、俺は一言謝っておく。
期待を裏切ってしまったこともそうだが、誤魔化して嘘をついていることの罪悪感も感じている。
「それじゃ、そろそろ戻るね。ましろちゃんの新しい写真、待ってるからね〜」
「ああ。また榊原に送っとくよ」
すぐに元気を持ち直して、彼女はまた手をひらひらと振りながら、後ろで待つ友人のところへ帰っていった。
今回は、ましろに関してなんとか誤魔化すことができたが、このままずっと嘘をつき続けるのも無理だろう。
いずれは何かしら穏便な形で報告出来れば、それに越したことはないのだが……。
そんな漠然とした考え事をしながら、俺は買い物の続けるのだった。




