23 ネコ様の晩ごはん
「ただいま〜」
「あ、おかえりなさい。佐藤さん」
俺が玄関を開けてそう告げると、キッチンからましろが顔を出して出迎えてくれた。
その手にはおたまが握られており、ましろの方からは何やら良い匂いが漂ってきていた。
「もしかして、料理してたのか?」
「はい。今ちょうどお味噌汁が出来たところなので、もう晩ごはんにできますよ」
「……えっ?」
まさかとは思いつつ靴を脱いでリビングへ向かうと、テーブルの上にはおかずが盛り付けられた皿やコップ、箸などが並べられていた。
ご飯とお味噌汁はもちろん、焼き魚をメインとして、だし巻き玉子や納豆など、様々なものがバランスよく作られていた。
「こ、これ、全部ましろが……?」
「はい。久しぶりだったので、美味しく出来たかは分かりませんが」
ましろは軽く謙遜するように言いながら、お味噌汁を盛り付け始める。
俺は呆然と立ち尽くして、その背中とテーブルの上のご馳走を何度も交互に見返す。
今思えば、今朝にキッチンと冷蔵庫を使わせて欲しいと言っていた。
ましろもこの家に住む家族だと俺は思っているので、もちろん許可したのだが。
まさか、この晩ごはんを作るために彼女はそのようなお願いをしてきたのだろうか。
今朝の朝ごはんだけでも衝撃だったというのに、ましろには驚かされ続けている。
というか、あまり料理をしない俺のようなやつの冷蔵庫の中身なんてたかがしれていると思うのだが、こんなにも豪華なものが作れるものなのだろうか。
「お味噌汁も出来ましたが、先に晩ごはん食べますか? 一応お風呂も沸かしておきましたが」
「い、いつも通り先に晩ごはんにするよ。ありがとう」
冷静を装って返事できた自分をほめてやりたい。
それとなく普通な返しをしているが、内心は全くもってこの状況についていけていない。
朝起きたら朝ごはんが用意されていた、そんなことで驚いている場合ではない。
家に帰ったら、温かくて豪華な晩ごはんが出来上がっており、お風呂まで沸かしているという。
本当に、今ここで何が起きているというのか。
「い、いただきます」
「はい。いただきます」
今朝と全く同じ流れで、食前のあいさつを済ませて箸を持ち、あらためて目の前の光景に目を向ける。
白米やお味噌汁を起点として、焼き魚とだし巻き玉子、サラダと漬物、そして納豆。
これぞ家庭料理の和食といった、お手本のような献立となっている。
まずは、帰宅時からずっと俺の鼻に呼びかけてきているお味噌汁からいただく。
茶道で高級な抹茶を飲むかのように、茶碗を持って火傷しないようにゆっくりと飲む。
「うま……」
特に意識する事もなく、自然とその言葉が口から出ていた。
朝ごはんと同じく、家に帰って晩ごはんが用意されていること自体実家にいたとき以来だが、手作りのお味噌汁を飲むことも実家いたときぶりだ。
「お口に合っていたなら、良かったです」
ましろは、数年ぶりの手作りお味噌汁の味に感動している俺の様子を見ながら安堵している。
こんなに手間のかかっているものが、口に合わないわけが無い。
朝ごはんのことと言い、例えるなら娘から親孝行をされる父親のような気持ちになり、思わず涙が出そうになる。
「食べ始めてから聞くことじゃないが、本当にいいのか? こんなに作ってもらって」
「もちろんです。佐藤さんのためですから」
「ま、ましろ……」
すでに色々な感動でいっぱいだった心に、ましろはさらに追い討ちをしかけてきた。
彼女を拾った最初の時から、賢くて礼儀の正しいネコだと思っていたが、本当にその通りだった。
「ましろからもらってばかりでごめんな。何もしてやれないけど、ありがとう」
「何言ってるんですか、私こそ佐藤さんから、返しきれないくらい大切なものをたくさん頂いてます」
「そんなことないだろ」
「そんなことあります」
お互いに譲らずに見つめあって、途中でなんだかおかしくなって笑ってしまう。
「な、なんで笑うんですか」
「ああいや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
ましろが、あまりにもムキになって言ってくる様子が微笑ましかったなんて、そんなことを伝えたら余計に怒られてしまいそうだ。
触ったり撫でたりしても、基本ましろは温厚で、爪を立てたり鳴いたりすることもない、大人しいネコだった。
だが、こうして実際に言葉を交わしてみれば、意外にもしっかりと自分の意見を曲げない、頑固な性格をしているようだ。
「それに、料理に関しては私自身結構好きなので」
「そうなのか?」
「はい。ですから、気にせず食べてください」
なるほど、好きだからこそ出せるこの美味しさなのだろう。料理好きのネコとは、また面白い属性だ。
一度こんな料理を味わってしまったら、もうコンビニ弁当生活には到底戻れなさそうだ。
ましろレベルとまではいかなくても、もう少ししっかりと自炊が出来るようにならなければ家主としての尊厳がなくなってしまう。
いっその事、ましろに料理を教えてもらった方が手っ取り早いだろうか。……いや、それは本末転倒か。
俺が頭を悩ませていると、ましろが箸を置いて姿勢を正す。
言葉を出さずとも何か大事な要件なのだと察し、俺も橋を置く。
「佐藤さん。もう一つだけ、お願いを聞いていただいてもいいですか?」
「もちろん。なんでも言ってくれ」
「ありがとうございます。その……佐藤さんさえ良ければなのですが……」
ましろは小さくを息を整えたあと。
「これから、毎日ご飯を作ってもいいですか?」
そう、お願いをしてきた。
朝の件を除けば、これがましろと出会ってから初めて俺にしてくれたお願いだった。
俺にとってマイナスになることなどひとつも無いのだが、彼女は真剣な眼差しで俺の瞳を見つめていた。
「そ、それって……」
それは言葉通りの意味。このおいしいご飯を、これからもずっと食べることが出来るということ。
しかし、一般的に言うその言葉が持つ意味は、それだけの意味ではない。
ましろ本人としては、そんな意思はなく言っているのだと思うが、どうしても胸がドキドキしてしまう。
そもそも、自分で料理をしようと思っていた直後に言われてしまい、なんとも出鼻をくじかれた気分になる。
まだ彼女のことをよく知らないというのにそんな迷惑をかけてしまってもいいのか、そんな漠然とした理由の遠慮があった。
……とはいえ、それは紛れもないましろの意思だ。だとするならば、すでに答えは決まっているだろう。
「……分かった。ましろさえ良ければ、これからよろしく頼む」
俺はましろの目を真っ直ぐに見つめ返して、そして、深く頷いた。
彼女がやりたいことを拒むことは何があってもしない。これはもう、自分の中で決意したことなのだから。
「はいっ」
俺の言葉を聞いたましろは、珍しく弾んだ声で返事をして、目を細めて可愛くはにかむのだった。




