21 ネコ様の朝ごはん
窓の隙間から差し込む光と、耳元に鳴り響くアラームによって目が覚める。
ましろが女の子の姿になってから、初めての朝がやってきた。
ましろが人の姿になったことで、また俺がソファで寝る必要があるかもしれないと考えていたのだが、その必要はなかった。
昨晩に、二人で夕飯を食べ終わり俺が風呂に入り部屋に戻ると、ましろは再びネコの姿に戻っていた。
俺のベッド事情を知ってか知らずか、彼女はネコの姿になって俺のプレゼントしたネコ用ベッドの上で丸くなり眠りについた。
気の利く彼女のことだ、おそらくそれを分かっててしたことなのだろう。
そんなましろのお陰で今日も快適な睡眠から目覚め、まずはベッドから出ようと──
したところで、何やら香ばしい匂いが寝起きの鼻腔をやさしく刺激してきた。
俺がほぼ毎日のように嗅ぐこの小麦粉の焼ける匂いは……。
「ましろ……?」
「あ、おはようございます。佐藤さん」
寝ぼけた目を擦ってキッチンを見ると、パンを焼くオーブンの前にいたましろが、そう言いながらこちらに振り向いた。
相変わらず服はワイシャツ一枚しか着ておらず、すらっとした綺麗な足があらわになっていた。
それと並ぶように真っ白でもふもふな尻尾も、朝から優雅にのんびりと揺れていた。
「お、おはよう。何してるんだ?」
「朝食の準備をしてます。もう少しで出来るので、待っててくださいね」
「え、いやその……」
「? どうかしました?」
「……なんでもない。ちょっと顔洗ってくる」
「はい。どうぞ」
寝起きの頭の回転力では状況の把握がしきれないと感じ、俺は洗面所へ向かう。
冷たい水で顔にかけると、だんたんと頭も冷静さを取り戻してくる。鏡には冴えない顔の男が映っていた。
落ち着いたところでもう一度先ほどの光景を思い出す。
さすがに記憶喪失でもないため、昨日ましろが人の姿になったことを忘れている訳では無い。
俺が驚いているのは、その彼女の行動である。
タオルで顔についた水滴を拭きながら、リビングへと戻る。
食卓に使っているテーブルにはマグカップとお皿が二つずつ置いてあり、それぞれマグカップにはホットココアが、お皿はトーストが乗っていた。
「準備出来ました、佐藤さん」
「あ、ああ。ありがとう」
ましろに促されるがままに俺はテーブルに座る。
目の前に用意されているのは、俺が毎朝いつも変わらずに食べている、ホットココアとトースト一枚のセット。
ココアの量、パンの焼き具合まで、完璧に再現されている。
「えっと……い、いただきます」
「はい。いただきます」
俺がそう言うと、彼女も続いて手を合わせて復唱した。
なし崩し的にここまで来てしまったが、俺よりも早く起きたましろが朝ごはんを用意してくれていたらしい。
ましろの方を見ると、念入り息をかけて冷ましてからマグカップを口に当て……また息をふきかけて、といった行動を繰り返している。
口を当てる瞬間に、それに合わせて尻尾の先ががぴくんぴくんと反応していた。
こういったところだけはネコらしく、彼女はしっかりと猫舌らしい。
その様子がかわいいのでしばらく眺めていると、ぱちりとましろと目が合った。
「もしかして、ご迷惑でしたか?」
「いや、そんなことはないよ。ありがとう」
「それなら良かったです」
少し不安げだった表情が、安堵した様子で柔らかくなる。
そんな健気でかわいいましろを見て、俺も心が暖かくなるのを感じた。
彼女が再びホットココアと格闘し始める様子を眺めながら、俺も食事を再開する。
こんがりと良い焼き目を付けたトーストは、非常にココアとの相性がいい。
ジャムなどは特に付けずバターだけを軽く広げて、後はココアと一緒に食べるというのがいつものスタイル。
毎日俺の朝ルーティンを見ていたましろは、それを理解して用意してくれると共に、彼女も俺の食べ方に合わせてくれていた。
「ど、どうして笑ってるんですか?」
「え、そんな顔してたか」
「はい。私の顔に何か付いてますか?」
「ああ、いや。その……かわいいなと」
「か、かわいいって……。ほ、褒めても何も出ませんよ」
「朝ごはんは出てきてるが」
ましろの行動に対して俺は素直な気持ちを伝えているだけなのだが、ましろはあまり褒められるのに慣れていないのか、恥ずかしがっている様子。
……とは思ったものの、たしかに女の子に対して軽々しくそういったことを言うのは良くないのかもしれない。
ましろがネコの姿だったときには、口に出してかわいいと言うことはあまりなかった。
しかし、会話ができるようになった反動のせいか、ついつい口から零れてしまった。
「でも、良かったのか? 朝からこんなに気を使ってもらって」
「私のやりたくてやっていることですから、いいんです」
「気持ちは嬉しいが、無理はしないでくれよ」
「はい、大丈夫です」
これからも前と同じ関係性と約束した手前、ましろから気を使われてしまうのは少しだけ気になるのだが、彼女の意思であるなら止められない……。
実際俺もすごく助かったし嬉しい。迷惑だと思う気持ちなど一ミリもない。
しかし、やはりどこか心の中には少しだけ後ろめたい気持ちがある。
「その……こんなことしてくれなくても、俺はましろを見捨てたりしないからな?」
「そんなことは考えてません。私は佐藤さんを信頼してますから」
「本当か? それなら、尚更こんなことしなくても……」
「もう一度言いますが、私が好きでやっていることですから。遠慮しないでください」
「そう言われてもな……」
ただでさえ社会人が年下の女の子から世話を焼かれている状況がまずい絵面なのに、それが拾ったネコだなんて、それに関しては後ろめたい気持ちしかない。
そんなことをましろが何一つ気にしていないことは、頭では分かっているのだが……。
「それなら、何かして欲しいことや欲しい物はないか? 今回のお礼も兼ねて」
「大袈裟ですよ、朝ごはん一つくらいで」
「そういう訳にもいかないだろ。俺の気持ちとして、何かないか?」
「うーん、そうですね……」
困った顔をしながら、手を顎に付けてましろは考え始める。しばらくすると、閃いたとばかりに彼女は手を叩き、
「では、一つだけお願いしても大丈夫ですか?」
何故か機嫌が良くなったように口角を上げて、そう聞いてくるのだった。




