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02 報告と決意


 カーテンの隙間から差す光が俺の瞼をノックして、ゆっくりと目を開く。

 いつもの朝。しかし、今日は──今日からは、少しだけ違う朝だ。


 ベッドから起き上がり、カーテンを開く。

 朝日を取り込んで明るくなった部屋の真ん中には、ちょこんと丸くなったネコがいた。


「おはようさん」


 俺がそう声をかけると、ネコはぴくんと耳を動かす。

 そして、昨晩は動くことのなかった体をもそもそと動かし、顔だけを上げてこちらを見てきた。


 その体は真っ白な毛に覆われていて、思わず撫でてしまいそうになるほど触り心地の良い毛並みをしている。

 というか、もうすでに触ってしまっている。


 しかし、昨日会ったばかりの人にべたべたと撫でられるのはさすがに気に触ったのか、低く喉を鳴らして不機嫌そうな目で見られた。

 俺は手を離し「ごめんな」と一つ謝罪をして、すぐに朝の支度を始める。


 着替えを済ませ、顔を洗って寝癖をとかし、リビングに戻って軽めの朝ごはんを食べる。

 今日のメニューは、ホットココアとトースト一枚。いつも通りの朝ごはんだ。


 トーストをかじりながらふと部屋の端を見ると、そこで丸くなっていたネコが、じっとこちらを見つめていた。

 昨日は弱っていたこともあり、近くにいて撫でてやっても小さく鳴くだけだったが、どうしても警戒されている様子だった。


 最初は俺が食べているトーストの香ばしい匂いが気になるのかと思っていたが、なんとなくそれ以外の意思がその目には宿っているような気がした。

 その凝視してくる目線は、まるで俺に何かを訴えているように……。


「あっ……」


 そこまでされてから、ようやく俺は一番大切なことを忘れていることに気づいた。

 どうやら、ただ単に気になっていた訳ではなく、自身の空腹を訴えてきていたようだ。


 俺は急いでキッチンに向かい、棚や冷蔵庫を漁る。すると、ちょうどそこには昨日の帰りに買った缶詰が置いてあった。

 すぐに蓋を開けネコの顔の近くにスっと置く。

 一応スマホでネコに食べさせてはいけないものを調べてみるが、問題はなさそうだ。


 しかし、警戒しているのかなかなか食べてくれない。俺がいることを気にしているのかと少し離れてみたりするが、くんくんと匂いを嗅ぐだけ。

 何が原因だろうと考えるが、気づけば通勤電車の時刻が迫ってきていた。

 俺は、横目にネコを見守りつつ朝食をかきこみ、食器を片付ける。


 本当はずっと様子を見ていたいし、心配で仕方がないのだが仕事を休むわけにはいかない。

 会社がブラックなわけでないし、かなり環境のいい会社だと思っているが、社会人として急な休みを取るのは避けたい。


「嫌なら、無理して食べなくてもいいからな」


 俺は最後にそう一言伝えてから、家にいたい気持ちをグッと噛み締めながら玄関を出た。




 会社には無事遅刻することなく着き、さっそく仕事に取り掛かる。

 ……だが、案の定俺の頭の中は、あのネコのことでいっぱいだった。


 必要事項の検索のためにインターネットを見ていても、ふとしたネコの写る広告を開いてしまったり、完全に集中出来ていなかった。

 そんな状態のままいつもよりゆっくりと時間が過ぎ、お昼時。いつものように同僚の榊原と一緒に昼食をとる。

 独り身の俺とは違い、高校時代からの彼女の手作り弁当を幸せそうに食べる榊原をなんとなく眺める。


「佐藤、そんな目で見てもあげないよ?」

「いらねえよ」


 自分の弁当を守るように腕で隠す榊原に投げ捨てるようにそう言ってから、自分のコンビニ弁当を取り出しやけくそ気味に割り箸を割る。割れ目は斜めになり、俺の箸はかなり不格好になった。


「そんなに羨ましいなら、綾乃(あやの)の友達くらい紹介するよ?」

「いらんいらん。そんな情けにはくだらん」

「もう。そんな変なプライド、早いところ捨てなよ」

「うるさい」


 妙に心に刺さる痛いことを言う榊原を無視して唐揚げを口に放り込む。うん、今日も唐揚げ弁当が美味い。

 ちなみに榊原が言う綾乃というのは、言わずもがなあいつの彼女の名前だ。

 数回会って話したことがあるが、温厚な榊原に比べて結構甘えん坊な印象だった。


 何かと榊原にくっついていて、榊原と一緒に遊びに行く時も必ずと言っていいほどの確率で彼女も付いてくる。

 決して悪い奴ではないし優しいやつなのだが、たまに俺のことを泥棒猫を見るような目で見てくるのは勘弁して欲しい。


 俺だって彼女がいたことはある。高校の時には、そこそこ長く付き合っていた彼女もいた。

 専門学校に入ってからは、会う機会も減ってしまいいつの間にか自然消滅といった感じになってしまったが……。


 それ以来、この会社に入ってからは出会いもなく、仕事一つで生きてきた。

 彼女のいる榊原を羨ましいとは思いつつも、今更恋愛をする気にもなかなかなれず。結局ずるずると入社から三年が経った。


「そういえば、榊原。一つ報告があるんだ」

「え? もしかして本当に彼女があたたたっ。ご、ごめんって!」


 まだそんな生意気な言葉を出す榊原を、頬をぐにっとつねって黙らせる。

 普段はにへらとしていて害のないやつなのだが、こう天然で煽られるとなんだか腹が立つ。


「そ、それで報告って?」


 しばらく頬を引っ張って遊んだあと離してやると、赤くなった頬をさすりつつ聞き直してくる。


「突然なんだが、ネコを飼うことになった」

「ほ、本当に突然だね……。もしかして、拾いネコ?」

「ああ、昨日の帰りにな。今どき、路地裏でダンボール箱に入った捨てネコだったよ」

「へえ……ふふっ、なんか佐藤らしいかも」

「どういう意味だよ」

「そういうところをアピールしていけば、彼女だってすぐに出来ると思うんだけど」

「まだ言うか」


 懲りない榊原にもう一度つねってやろうかと手を上げると、すぐさま謝罪が飛んできたので広い心で見逃してやる。

 少年漫画じゃあるまいし、今どき捨てネコを拾ったことから始まる恋なんてあってたまるか。


「ところで、昨日はかなり冷え込んでたけど、そのネコは大丈夫だったの?」

「かなり弱ってたけど、今朝には元気そうにしてたよ」


 朝の段階でご飯を食べてくれなかったのだけが気がかりだが、それ以外は問題なさそうに見えた。

 帰りに、何か食べれそうなものや美味しそうなものでも買っていってやろうか。


「でも大丈夫なの? ペット飼うのって簡単なことではないと思うんだけど」

「それは俺だって分かってるさ。調べながらやってくつもりだ」

「綾乃は実家でネコ飼ってるけど、何か聞いておこうか?」

「何かあったらその都度頼らせてもらう。ありがとな」


 結局は何かと頼りになる榊原にお礼を言って、お弁当に入っていた食べかけの唐揚げを一つ榊原の弁当箱に放り投げておく。

 愛しの彼女の手作り弁当の上にコンビニ唐揚げが乗り上げ、何やら複雑な顔をしていたが榊原を無視して俺は帰りに買っていくものを考えていた。




 普段は行かないスーパーや薬局に寄り、買い物をして家に帰る。

 スーパーでは今日の夕飯としてお惣菜と好物の刺身を購入。薬局ではネコの身のまわりの必需品を色々と買い揃えた。

 もちろん何が必要かなんて知っているわけがないので、スマホとにらめっこしながらの買い物だった。


「あら、佐藤さん。おかえりなさい」

「あ、大家さん。ただいま戻りました」


 駐車場を横切って部屋に向かおうとしたところで、外で掃除をしていた大家さんに声をかけられた。

 そして大家さんは、俺の両脇に抱えられた大量のレジ袋を見て目を丸くする。


「まあまあ、今日は随分とたくさん買い込んだわねえ」

「少し色々とありまして……。あ、そうだ。大家さんにお話があるんですが」


 本当なら今日の朝にでも大家さんに話を通しておこうと考えていたのだが、今朝はネコのことで頭がいっぱいで忘れてしまっていた。

 俺は、あらためて大家さんにペットの飼育についての話をする。

 昨日と今日に関しては無断でネコを連れ込んでいたことも謝罪したが、大家さんは笑って許してくれた。


「本当は申請書とかもあったりするけれど、佐藤さんのことは信用してるし大丈夫よ」

「いいんですか?」

「いいのいいの。それより困ったことがあったらすぐに相談しなさいね? おばさんでもネコのことくらいなら少しは知ってるから」

「ありがとうございます」


 俺は深々と頭を下げて感謝を述べる。大家さんには三年前今の会社に入社しときからの付き合いだが、その三年間で一番お世話になっている人だ。

 大家さんの優しさで心を温めながら「おやすみなさい」と挨拶をして自分の部屋へ向かう。


 正直に言えば、ネコを拾った正義感の後ろには不安が隠れていて、それが顔に出てしまっていたのだろう。

 だが、榊原や大家さんだってあれだけ気遣ってくれている。心配することは何も無い。


 それに、俺がそんな心配をしていては、ネコのためにもならない。

 人間の子供が親の感情に敏感なように、動物も同じようにそれが伝わってしまうものだと俺は思っている。


 だから大きな自信と愛を持ってネコに接しよう。きっと、それが一番大切なことだ。



「ただいま~」



 そうして俺は、部屋の扉を開けていつよりも大きな声でそう帰りを告げた。




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