16 お出迎え、そして。
茜色の空がゆっくりと暗くなり始めた頃。
俺は、仕事を終えて帰りの電車に揺られながら、一人スマホを見てニヤニヤと笑みを浮かべていた。……客観的に見るとシンプルに気持ち悪い。
何故そんな奇行をしているのかと言えば、もちろんそれはスマホに映る愛すべきネコの写真が原因である。
ネコを飼い始めた時あるあるだと思うのだが、ましろが家に来てから俺のスマホの写真フォルダはネコで埋め尽くされている。
カメラの存在を知ってのことなのか、恥ずかしがり屋なのか、なかなかましろは写真を撮らせてくれない。
しかし、寝てる時や後ろ姿をおさめた写真だけでも充分に癒されるほどにうちの子はかわいい。
移動中の電車の中はもちろん、勤務中もスマホを机に立てかけて癒されながら仕事をしている。
まるで子供の産まれた新婚夫婦のようだが、理解してくれる人も多い……はず。
ましろを拾ってからは、基本的に生活の中心にはましろがいるようになった。
前までは仕事の進み具合によっては残業もしていた。今どきは珍しいかもしれない超ホワイトなこの会社でも、たまにはそういう事もある。
だが、最近では定時になった瞬間、俺は誰よりも早く退勤するようになった。
それに嫌味を言われるようなこともなく、みんな明るく見送ってくれるのだが、何故か最近その視線が生暖かいものに変わっている気がする。
特にこの間なんて、定時のタイミングで仕事が残っていた時に「後はやっておくから」と言われたあげく、ネコ用おやつを手渡された時もあった。
これまで仕事を教えていた後輩にまでそんな風な気遣いをされることも増えてきて、一周回って気まずくなってくる。
その見返りなのか同僚にましろの写真を見せてくれないかと言われることが多く、気づけばましろはうちの部署の愛されキャラになっていた。
ましろの可愛さを理解してくれて共感してくれる人が増えていくのは嬉しいことだが、心の底の独占欲が少しだけもやもやする。
コミュニケーションの輪が広がった分、ネコに詳しい同僚から色々と教えてもらったりネコ用品を頂いたりと有益なこともあるので、何も言えないのだが……。
ましろしかいない写真フォルダをひとしきり遡りきって、最新の写真の場所に戻ってくる。
一番最近に撮ったのは、珍しくカメラ目線のましろが写っている写真。
撮った場所は、自宅の玄関。数日前に仕事から帰ってきた時に撮ったものだ。
その日家に帰り玄関の扉を開けると、そこにはましろがぽつんと座っており「おかえりなさい」とでも言うように、俺の帰りを出迎えてくれたのだ。
動画の中でしか見たことの無い夢のような状況に、その時俺は遭遇したのである。
その時は嬉しさでましろをひたすら撫で回すことしか出来ず、写真が撮れなかったことを酷く後悔した。
そんな、初めてしてくれたましろのお出迎え。もう二度と巡り会えることはない、そう思っていたのだが……。
それからというもの、ましろは毎日のように俺の帰りを玄関で待ってくれるようになったのだ。
毎日欠かすことなく、何か諸事情があり帰りが遅れてしまった日であっても、ましろはそこに座っていた。
それからは、毎日仕事からの帰宅が一日の一番の楽しみになった。
とはいえ、必ずしも甘えてきているという訳では無いらしく、俺が頭を撫でて「ただいま」と伝えると、自分の仕事は終わったとばかりにリビングへ帰っていく。
ましろらしいクールさではあるが、結局何がましろの行動のきっかけとなったかは分からない。
お出迎えをしてくれることは、俺からすれば毎日電車の中で頬をゆるゆるさせるくらいには嬉しいことだ。
しかし、ましろにとってメリットは特にないはず。ましろ特有の礼儀の正しさがここにも出ているということだろうか。
真相は分からないが、確実にましろとの絆が深まっていることは確かだ。
ましろと暮らす未来を選んだこと。それを選んだ過去の自分に、そして俺を選んでくれたましろに、俺は何よりも感謝を伝えたい。
これからも少しずつ、自分たちのペースでゆっくりと歩いていければそれだけ充分だろう。何も焦ることは無い。
ましろの写真を見ながら長々とそんなことを考えていると、電車は自宅の最寄り駅へ到着していた。
電車から降りて改札をくぐって外に出ると、夜空には綺麗に星たちが輝いている。
先月までは白い息が出るほどに冷え込んでいた夜も、春の訪れとともに少しずつ暖かくなってきた。
とはいえ、この時間はまだ防寒着を来ていないと肌寒い気温だが、昼間であればそよ風を涼しく感じる過ごしやすい季節になった。
ましろと出会った季節はもう終わり、新しい季節が始まる。
ましろと過ごす日々は、あっという間に過ぎていった。一日一日は充実していたのに、気づけばこんなにも時間が経っていた。
改めて出会った頃を思い出すと、ましろとの距離もかなり縮まったことを実感する。
最初は撫でられることさえ嫌がっていたましろが、今では向こうから近づいてきてくれることも増えてきた。
名前を呼べば、いつもかわいく返事を返してくれて、ご飯も残さず食べてくれる。
それに加えて最近では、モーニングコールや帰宅時のお出迎えまでしてくれるときた。
日々が充実するのと同時に、俺はどんどんましろに依存していっているかもしれない。
榊原によると、ネコの気まぐれ具合は到底予測できるものではなく、数日間外に出かけていることもあるそうだ。
大体はお腹を空かして帰ってくるというのがいつものパターンらしいが、もしましろがそんな状況になったら俺は気が気ではなくなって確実に仕事にも手がつかなくなる。
ましろに限ってそんなことがないとも言いきれない。
いつも戸締りはしているつもりだが、ましろが外の世界に興味を持っていることは事実でもある。
何か、安心してましろを外に出せるような環境が出来たら、その時は心置きなく遊ばせてあげたい。
密かに心の中でそんな決意をしていると自宅のアパートのすぐ側まで来ていた。
鍵を開けて、その先にあるであろう光景を思い浮かべながら扉を開いて、電気を付ける。
「おかえりなさい、佐藤さん」
「ああ。ただいま、ましろ」
今日も健気に俺の帰りを出迎えてくれたましろの頭に手を伸ばす。
そして、目一杯のお礼の気持ちを込めて、そのさらさらの髪をやさしく撫で──
「…………え?」
俺が手を伸ばした先にいたのは、触り心地の良い真っ白な毛並みをしたネコ……ではなく。
──ぺたんと床に座って上目遣いで俺を見つめる、ワイシャツ一枚姿のかわいい銀髪の女の子だった。




