15 ネコ様のモーニングコール
ある日、いつものようにスマホのアラームに起こされ目を覚ました時。
布団の中で半目開きのまま、アラームを止めようとスマホを探す。
そんな時、ベッドの中で手探りに動かしていた手が不意にスマホ以外のものに触れた。
記憶に新しい、触り心地。もふもふで、ふわふわな癖になってしまうこの感触。
まさかとは思いながら重いまぶたを開けると、そこにはこちらを見つめるましろの姿があった。
「……おはよう、ましろ」
俺が触れた手で頭を撫でながらそう話しかければ、その手に顔をすりつけて「にゃぉ」と返事をしてくれた。
思わずまだ夢の中なのかと疑ってしまうが、この触り心地は現実のはず。間違いない。
幸いにも、昨日に引き続き今日も休日。手に感じる柔らかさと温かさを感じながら、俺はまたまどろみの中へと落ちていき……
「にゃぁにゃぁ」
……そうになった俺の腕が、何かにぷにぷにと押される。
耳元からは、何かを訴えるようなかわいいましろの鳴き声が聞こえてくる。
片目だけ開いてチラッと見ると、伸ばした俺の腕をましろが控えめなネコパンチで叩いていた。
「にゃぉ」
「あ、あと5分……」
「ふにゃぁ〜」
俺が二度寝をしようとしても、ひたすら腕をぷにぷにして妨害してくる。
ある意味、その声と感触を睡眠導入剤にしても眠れそうな気もする。
しかし、普段はここまで激しく起こしてくることはない。そもそも、ましろが俺を起こそうとしてくることこそレアだろう。
もしかしたら、何か俺に早く起きてほしい理由があるのかもしれない。
すごくお腹がすいている、朝早くから見たいテレビ番組がある……さすがに後者はないと思うが、何か理由があるのであれば寝ているわけにはいかない。
少し寝ぼけながらも、布団を退けて体を起こす。ベッドから出てカーテンを開けてからましろの元へ向かう。
「おはよう、ましろ。何かあったか?」
ましろの前に腰を下ろして、頭を一度撫でてからそう問いかけてみる。
しかし、当のましろはきょとんとしており、朝の挨拶が済んだと分かると、日向ぼっこをしにカーテンを開けた窓の方へ歩いていった。
……俺は何のために起こされたのだろうか。
昔から早起きは三文の徳とはよく言ったものだが、俺はそんなお母さんみたいな理由で起こされたのだろうか。
ましろに起こしてもらうという珍しいイベントに出会えたことは嬉しいが、なんとも腑に落ちない気持ちになる。
休日なので焦ることは何も無いが、とりあえず平日通り朝ごはんの用意を始める。
自分のご飯とましろのご飯、両方ともの準備を終えてから窓際に寝転ぶましろを呼ぶ。
朝食はいつもと変わらないトーストとホットココア。ましろのご飯もいつもと一緒のもの。
俺の場合はすっかり習慣になってしまったことだが、ましろは飽きずに食べてくれているだろうか。
頻繁に残すようであったり食べるのに躊躇があるようであれば、色々と変えてみるつもりだったのだが、かれこれ一度もましろはご飯を残していない。
しっかりと俺と同じサイクルで出された分のご飯を食べきり、間食の時間に空腹を訴えてくることもほぼない。
ネコを飼うというのは、もっと振り回されたり苦労のかかったりするものだと思っていたのだが、案外そうでもないらしい。
ネコの性格に大きく左右されるものだとは理解しているが、ましろの場合は世話のかからない典型的なタイプなのかもしれない。
最近ましろとの距離が近づいたのでは、と思っていたこと。それ自体は間違いではないだろう。
しかし、甘えてくれるようになったというよりかは気兼ねなく話せる仲になったと言う方が正しい気がしている。
ましろと言葉を理解して会話しているなんてことは当然ないが、お互いに相手が考えていることを察せるようになってきたという感覚がある。
まあ、そんな気持ちを叩き折るかのように先程は朝からいいパンチをもらったが……。
それでも、日々を過ごしている中でそれは特に実感している。
「ごちそうさまでした」
「にゃ〜」
俺が手を重ねてそう口にすれば、それに合わせてましろも鳴く。つくづく礼儀の正しいネコだな、ましろは……。
いつもながらに人間離れならぬネコ離れした行動をするましろ。すっかりこんな様子にも慣れてしまった。
俺が頭で思い描くネコ像を基準にましろと過ごしていると、ギャップの変位が大きすぎてついていけなくなる。
そんな調子のましろも、ご飯をしっかり食べたあとはネコらしく毛繕いに勤しんでいる。
食器を片付けて、ソファに座る。テレビを付けようか迷ったが、ましろの様子を見てやめておく。
今日のましろは日向ぼっこな気分らしく、毛繕いが一段落すると再び窓際へ戻っていった。
俺もテレビを見る気分にはなんとなくならず、読み途中だった本の続きを読むことにする。
ましろがココアをこぼしてしまった時この本とスマホにかかったのだが、幸いにもダメージは少なかった。
スマホは防水だったこともあり、軽く水洗いをするだけでなんとかなったが、本に関してはそういうわけにもいかず少し跡が残ってしまった。
しかし、何度もいうが元々の原因は俺にある。だからこそ、その戒めとして捨てることもなく続きを読んでいる。
しばらく読んでいると、ひとしきり日向ぼっこにして満足したらしいましろが俺の隣にやってくる。
しかし、俺の持つ本を見て表情を固くして足を止めた。
俺が本を閉じてぽんぽんと膝を叩くと、おそるおそる近づいてきて、俺の顔を見つめる。
ましろが感じる責任なんて何も無いのだが、性格上そう考える気持ちも理解出来る。
「そんなに気にすることじゃない。俺は本のことより、ましろに怪我が無かったことに安心したよ」
ましろの頬に触れる。
優しく撫でて、ゆっくりと安心させるように笑いかける。
「だからそんな顔するな。俺は、大切なましろがただ幸せに生きていてくれれば他には何もいらないんだよ」
ましろがどんな過去を抱えているのかは知らない。
もっと裕福で、暮らしやすいところにいたかもしれない。必ずしも裕福とは言えない、静かな暮らしをしていたかもしれない。
あの雪の振る日、ダンボールの中でましろは何を思っていたのだろうか。
これから自分がどうなってしまうのかを考えて、どうなることを望んでいたのだろうか。
俺はあの日、ましろが受けたその時の寒さすべてを忘れさせるくらいの、目一杯のあたたかさをあげると決めた。
この家が、ましろに「これまで生きてきて、ここが一番幸せだ」と思わせるような場所になろう。そんな野望を胸の奥底に潜ませてましろとの日々を送っている。
「良ければ、これからも俺の側にいてくれ」
ましろは真摯な目で、俺の言葉を聞いてくれる。
そして、するりと頬に触れた手から抜け出すと、俺のすぐ横にくっつくようにして寝転がり、静かに目を閉じるのだった。




