14 急接近するネコ様
とある平日の、職場での昼休み。
いつも通り、俺と同じテーブルには榊原が座り、彼の彼女である綾乃さんが作ったお弁当を今日も満面の笑みを浮かべながら食べている。
「だから、そんな目で見てもあげないよ?」
「いらねえよ」
前にも言われたことがある煽りに俺が冷たくあしらうと、榊原は楽しげに笑った。
多少の憧れはあったとしても、羨ましいとまでは思っていない。
この歳にして、めっきり恋愛に関して無関心になってしまっているのも問題だが、無理にするものでないだろう。
「佐藤も、かわいい彼女に手料理作ってもらうとか、憧れたりしない?」
「お得意の惚気話か?」
「そ、そういうことじゃなくて、単純に気になっただけというか……」
「ないことはないが、今の状態だと現実的じゃないしな」
もし、学生の頃のように多少恋愛に興味を持っていた時期であれば、そんな理想をいだくこともあったかもしれない。
だが、今の環境と俺の心境を加味すると、まずそんな思考は湧いてこない。
「まあ、佐藤がそれでいいなら何も言わないけど……」
「そうしてくれると助かる」
変に人の価値観に突っかかってくることがないのが榊原の良いところだ。
しっかりと相談にも乗ってくれて何かとアドバイスをくれたりもするが、俺の意思を無視するような掘り下げ方はしない。
榊原のその距離感の掴み方はとても居心地がよく、だからこそ入社以来ずっと一緒にいるのだろう。
「最近はめっきりましろちゃんに付きっきりだもんね」
「それに関しては何も言えないかもな」
「ある意味、佐藤の今の恋人はましろちゃんなのかもね」
「大体合ってる」
榊原は冗談交じりに笑いながら言ってくるが、全く持って否定できない。
一緒にご飯を食べて、一緒にテレビを見て、同じ屋根の下で眠りにつく。それはもう、恋人を通り越して夫婦ではなかろうか。
「いつか機会があったら、ましろちゃんに会わせてね。写真見せたら綾乃も会いたがってたし」
「ああ、もちろん」
拾って間も無いころは、俺相手でもまだ少し警戒されている様子だったので、人を家に呼ぶことは避けていた。
そもそも家に誰か呼ぶこと自体あまりしないが、榊原や綾乃さんが遊びに来たことは過去に数回程度ある。
ましろも、かなり俺の家での生活に慣れてきたはず。そろそろ、信頼出来る友人であれば呼んでも構わないだろう。
俺は榊原とそんな約束を交わして、残りの唐揚げ弁当に箸を伸ばすのだった。
* * *
それから数日経ったある日。少しだけ春らしさを感じる、あたたかな日差しが射し込む昼下がり。
その日もましろと過ごす日常に変わったことはなく、まったりと休日を満喫していた。
最近は、ましろと過ごす日々の中で、これまで以上に彼女との距離感を気にするようになった。
その理由は、榊原と綾乃さんの二人の訪問を予定しているかだ。
ましろは、特段人懐っこい性格な訳では無いが、初対面の時の俺にも威嚇をするようなことは無かった。
だから、二人が来ても大きな問題にはならないと思うが、一応あらためてましろの様子を観察して、俺の家の中でどれだけ落ち着けているのかを確認している。
そんな中、雲ひとつない天気とその陽気な雰囲気な反して、俺はソファの上で身動きが出来ずに固まっていた。
体調が悪いわけではないし、どこか体を怪我している訳でもない。
それなのに全く身動きが取れなくなってしまったのは、膝の上に乗った白いもふもふのせいである。
いつものようにましろと一緒にテレビを眺めていた時、突然にそれは起こった。
何の前触れもなく、ましろが俺の膝の上に乗ってきたのだ。
俺の膝をまたいでどこかにある行くような中継地点ではなく、完全に終着点のように腰を下ろしていた。
これまで、俺の方からましろを抱っこして膝の上に乗せることはあったが、ましろのほうから来てくれることなどまず無かった。
ネコの気まぐれだとは分かっていても、あまりにも急なことに頭が追いついていない。
「ましろ……?」
どうしたらいいのかも分からず、ましろの名前を呼ぶ。
ましろは一度だけ俺の顔を見て、足元の座り心地を確認してからすっぽりと俺の懐の中におさまり丸くなる。
嬉しさと一緒に、これからどうすればいいか分からない気持ちが頭の中で渋滞を起こして思考が交錯する。
俺がおやつを持っていた訳でもない。何か、テレビに変な映像が流れた訳でもない。今、ましろが喜ぶようなことをした覚えもない。
もしただの気まぐれだとしても、これまでのましろであればそれを行動に移すなんてことはなかったはずだ。
色々な気持ちが心に渦巻くが、ただ一つ間違い無く言えることは、この瞬間が何よりも自分の心の幸福感を満たしているということ。
勝手ながら、自分の愛が少しはましろに届いていたのだと実感出来るようで、幸せな気持ちが溢れていた。
丸くなったもふもふの背中を優しく撫で回す。
つい昨日にお風呂で体を洗ってあげてから、ましろの毛の触り心地には磨きがかかっている。
そっとその背中に触れて手を動かすと、吸い込まれるようなふわふわ感に包まれ離せなくなる。
ましろの方も嫌がる様子なく、丸くなったその体勢のまま俺にされるがまま。
頭や喉を撫でてやれば、ゴロゴロと甘えるように喉を鳴らす。なんなんだろう、このかわいい生物は。
「何か嬉しいことでもあったか〜?」
「にゃぁ〜」
やはり、何かあったらしい。とはいえ家からは出ていないため、俺の行動が理由ではあると思うのだが、検討がつかない。
この間のお風呂上がりに、謝罪の気持ちを込めてあげたおやつを気に入ってくれた……とか?
そんな食べ物に頓着するタイプではないと思っていたのだが、そんなこともないのだろうか。
不思議な気持ちもあるが、この幸福感の前ではそんなものはどうでもよくなってしまい、ただひたすらにましろを撫で続けた。
……しかし、ましろとの距離感の変化はそれだけにはとどまらず、日を重ねるごとにどんどんと近づいていくのだった。




