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106 ネコ様と添い寝


 いつもと比べ物にならないほど一段と濃い休日を過ごした先週末。色々なことがあったが、それから俺たちの日常や関係性が変わることはなく。

 今日も仕事から帰ると、ましろがいつものように玄関で出迎えてくれる。


「おかえりなさい、佐藤さん」

「うん、ただいま」


 いつもと変わらないその光景。いつもと変わらない彼女の存在を前に、俺はあらためて幸せをかみしめる。


「なにかいいことでもありましたか?」

「そう見えるか」

「それはもう、帰ってきて早々に拳をにぎりしめていましたからね」

「なるほど、そう見えたか」

「一体それ以外何に見えるんでしょうか」


 家に帰ったら、世界一美味しいごはんと世界一かわいい女の子が毎日そこにいるのだ。

 それはもう拳の一つや二つ握りしめなければ、嬉しさが抑えきれないというもの。


「ましろがここにいることが幸せだなと」

「……もう、何回も聞きましたよ」

「何度でも言いたくなるものだからな」

「い、いいから早く手を洗ってきてくださいっ」


 いたって真面目な顔でからかう俺を、ぎゅうぎゅうと手で押して洗面台に押し込んでくるましろ。

 我ながら気持ち悪いとは思いつつ、こんなやり取りにも思わず頬がゆるんでしまう。


 我が家のネコ様の言いつけ通りしっかりと手洗いうがいを済ませリビングに戻る。

 エプロン姿の彼女が立つキッチンからは、今日も今日とて大いに食欲をそそられる匂いが漂ってくる。


「今日はスプーンもお願いします」


 いつも通り飲み物や箸などをテーブルの上に用意していると、ましろからそんな言葉を投げかけられる。

 言われるがままに追加でスプーンも用意した後、今日の献立を確かめるために彼女の肩から覗き込んでみる。


「今晩はミネストローネを作ってみました」


 俺が背後から覗き込んでいることを気にする様子はなく、ゆっくりと鍋をかき混ぜながら教えてくれる。


「今日の出来栄えはどうだ?」

「そうですね……まだ味見はしていませんが」


 彼女は少し考えた後、かき混ぜていた手を止め、そのおたまで少量のスープをすくう。

 口元に近づけ軽く息を吹きかけたあと、そのおたまを俺のほうに差し出す。


「はい、佐藤さん」

「大した舌は持ち合わせてないが……まあ、遠慮なく」


 ほんの少しだけ恥ずかしい気持ちを冗談めかした言葉でごまかしたあと、口を近づける。

 それに合わせてましろがおたまを傾けてくれる。


「こ、これは……」


 口の中に入れた瞬間、いっぱいに広がる野菜の酸味と甘味。その両方が酸っぱすぎず甘すぎず、完璧なバランスの味付け。

 軽く咀嚼して飲み込めば、やさしく包み込むような暖かさととろみが、口と喉、そして体の中にあたたかみをもたらしてくれる。

 文句一つない俺の好みを完璧に熟知した出来栄えに、あらためて完全に胃袋をつかまれているのだと実感させられる。


「ミシュラン、星三つです」

「大した舌ではなかったのでは?」

「少なくとも俺の好み検定は一級だな」

「ふふんっ、もちろんです」


 自慢げに胸を張るましろ。そのかわいらしい姿にほっこりしながら、なぜだか俺まで誇らしい気持ちになる。

 もちろん、料理に関して俺は何もしていないわけで、ましろの努力と月山さんの教えがすべてであることは理解している。

 それでも、親心とでも言うのだろうか。ましろが嬉しそうにしているのを見ると、不思議とそんな気持ちが生まれる。


 味見をしてからすぐに、食卓にはミネストローネをはじめとした洋食ベースの晩御飯が広げられた。

 二人で手を合わせ一礼し、何気ない話をしながら食べ進める。いつもと変わらない日常。


 その後、交代でお風呂に入ったあとは、二人でソファに座りテレビを見たり動画を見たり。

 お互いにスマホをいじりながら、特段の会話がなくても心地よい。ただ隣で同じ時間を過ごす、これもいつもと変わらない日常。


 ……でも、先週から一つだけいつもとは変わったことがある。

 それは、就寝の時間。二人で過ごすベッドの上のこと……。


「おやすみなさい、佐藤さん」

「………」


 ベッドで横になる俺の隣には、同じように横になり俺の体に身を寄せている彼女の姿。

 彼女が俺のベッドにいること自体は、これまで何回もあった。でも、それはあくまでネコの姿でのこと。


 今添い寝している彼女は、先ほどまで一緒に過ごしていた時と同じ人の姿をしているわけで。


「……佐藤さん?」

「あ、いや。おやすみ、ましろ」

「はい、おやすみなさい」


 俺からの返事がなかったことを不思議に思った彼女にもう一度名前を呼ばれる。

 慌てて言葉を返しながら、ごまかすために身体をましろのほうに向けたあと軽く彼女の頭を撫でる。

 ましろは嬉しそうに目を細めて返事をし、その表情を正面から見てしまい思わず息を止めて視線を逸らす。


 人の姿の彼女と同じベッドで寝ることも、決して初めてではない。美玖ちゃんと月山さんに会いに行く前にも同じように二人で夜を過ごした。

 でもそれは、あくまであの日が特別な日だったから。今日はといえば、もちろん何か特別なことがあるわけではない、いつもの平日。

 それなのに、こうしてましろは俺の隣で幸せそうな顔で目を閉じている。


「あの、佐藤さん……その、今日も……いいですか?」

「……はいよ」


 ましろのその言葉を受けて、俺は彼女の頭を撫でていた手とは逆の手を彼女の顔の前に差し出す。

 彼女は嬉しそうにはにかんだあと「ありがとうございます」と言って、俺の手を両手でぎゅっと包み込む。


 あの日以来、ましろは毎日こうして俺の隣で寝るようになった。

 始めは、まだ少しましろの中に不安が残っていて、それが理由で添い寝を求められたのだと思っていた。

 しかし、彼女にそんな様子はなく、それどころかそれからというもの毎日のルーティンのように彼女の添い寝は続いている。


「こうしていると、すごく安心します」

「安眠グッズとして役に立ててるなら光栄だが……」


 こうして手を繋ぎたがるのも、いつものこと。ましろ曰く、手を繋ぐと心が落ち着き安心して眠れるんだとか。

 俺はといえば、もちろんましろが傍にいてくれる嬉しさはあるものの、どちらかと言えば落ち着かないのが正直なところ。


「……やっぱり、こういったことは、迷惑……でしょうか?」

「迷惑じゃない。本当に嫌なら断ってる」


 すぐに否定するものの、どこか不安げに変わった彼女の表情はもとに戻らない。

 なんと伝えればよいものだろうか……と、少し沈黙したあと、もう一度彼女の顔へ向き直る。


「……その、なんだ。ただ慣れないってだけだ」

「手を繋ぐことが……ですか?」

「年頃の女の子と添い寝していることが」

「そういうものですか」

「そういうものです」


 ましろからすれば、添い寝なんてことはこれまで何回もしてきたことだろう。

 ネコ姿と人の姿の違いだって彼女にとっては些細なことで、俺たちにとっては服装くらいの違いなのだと思う。

 ……それに加えて、だ。


「その代わりといっちゃなんだが、頭を撫でさせてもらおう」

「佐藤さん、そればっかり」

「迷惑か?」

「迷惑じゃないです」


 了承を得たあと、やさしく頭を撫でながらあらためてましろの顔を見る。

 何度見ても整った顔立ちをしている。生まれ持ったものはもちろん、それに加えた普段からの努力の賜物でもあるのだろう。

 そのかわいさは、俺の心をざわつかせるには十分すぎるくらいで、どうあがいたって慣れないものは慣れない。


「こういったことって、普通ではないんでしょうか」

「添い寝のことか?」

「はい。美玖さんとは毎日のように一緒でしたし」

「まあ、なんというかな……決して変なことではないんだが」


 そう言われてしまうと返答に困る。

 もちろん添い寝すること自体は何もおかしくない。美玖ちゃんがましろを抱きしめて眠っている光景も想像にたやすい。

 家族という間柄であるなら、いたって普通のことだろう。


 だがしかし、知っての通りそれが家族の間柄ではない男女ともなれば、意味が変わってくるのは明白。

 多分……いや、確実に。ましろからすれば全くそんな意図はなく、純粋な家族に対する気持ちなのだと思う。


「あれだな、うん。俺の口からは言えない」

「そういわれると気になりますが……」

「とくかく、嫌でも迷惑でもない。それだけは絶対」

「……わかりました」


 まだ少し納得のいってない様子のましろだったが、懲りずに俺が頭を撫でていると目を閉じてそれ以上は追及してこなかった。

 とりあえず今のところは野暮なことは言わないほうがいいだろう。

 純粋なましろのことだ。ここで一般的な価値観を伝えれば、彼女を困らせてしまうことは考えるまでもない。


 そう納得してから、彼女に握られた手のぬくもりを感じながら俺もそっと目を閉じた。




 ……その後日。スマホに届いたとある人からのメッセージを見て、俺は思わず頭を抱え、この日の判断を少しばかり後悔することになった。 




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