105 ネコ様と帰宅後
美玖ちゃんの家から帰る際、忘れていたことが二つありその要件を済ませることにした。
一つは、今後のために月山さんと連絡先を交換しておかなければいけないこと。
連絡先に関しては、俺と月山さんが電話番号を登録すれば十分だと思っていた。
しかし、こちらで交換している間に、美玖ちゃんとましろはスマホのSNSアプリで友達登録を済ませていた。
美玖ちゃんの歳でもすでにスマホを持っていることに多少ジェネレーションギャップを感じつつ、それ以上に安心もした。
いつでも会えるといっても、時間や距離など色々な問題がある。
スマホのチャットで頻繁にやり取りが出来るのであれば、それに越したことは無いだろう。
結局俺も美玖ちゃんと月山さんとの友達登録する流れになり、基本的に同級生か同僚の名前しかない友達欄に新しく二人の名前が追加された。
そしてもう一つは、あのリボンのこと。
それは、ましろが過去に居候していたとある家主からもらったもの。
彼が言うには、ましろを拾った時に一緒に拾ったらしく、それからずっと保存してくれていたらしい。
もともとはましろが月山さんの元でお手伝いをしていた時に身に着けていた服の装飾だったものだ。
ましろがそのリボンを見せると、月山さんはそれを手に取ってとても懐かしそうな表情をする。
「ごめんなさい。本当はすべてお返しすべきなんですが……」
「気にしないでください。あなたがここにいることに比べれば、本当に些細なことなんですよ」
穏やかな表情でそう告げる月山さんの言葉に、どこか胸が温まる感覚がした。
あらためて、ましろが何よりも大切に思っていたこの二人が、これまでずっと同じ気持ちでいてくれていたことを実感した。
「そうですね……。ルミさん、一度このリボンをお借りしてもいいですか?」
「え? いえ、そもそもお返しするつもりで……」
「また今度会える日に、お返ししますので」
動揺するましろを気にする様子もなく、月山さんは笑顔でそう返す。
ましろは首をかしげていたが月山さんのことだ、何か考えがあるのだろう。
「それじゃ、俺たちはこれで」
「はい。お二人とも、お気をつけてお帰りください」
「またね、ルミ!」
「は、はい。また」
丁寧にお辞儀をする月山さんと、元気よく笑顔で手を振る美玖ちゃん。
ましろは少し照れくさそうに手を振り返すのだった。
あらかじめ呼んでおいたタクシーに乗り込み自宅へ帰る道中、ましろは柔らかな表情で外の景色を眺めていた。
ましろにとっては、俺には想像のつかないほどの大きな感情が動いた一日だっただろう。
ただの保護者である俺でも言葉にせずとも、すでに胸がいっぱいになるほどの感情がそこにはあった。
家についてからは少し忙しい時間が過ぎていく。昨日出来なかった家事を終わらせなければならないため、二人で手分けしてやることに。
ましろに買い物に行ってもらい、その間に俺が家のことを済ます。
悲しいことにましろよりも手際は悪いが、掃除と洗濯を終わらせる。
ましろが帰ってからはすぐに夕飯の準備に取り掛かり、ようやく落ち着いたのは夕飯をとったあとだった。
「なんというか、忙しい一日だったな」
「はい、でもすごくうれしい日でした」
二人でソファに腰かけ、テレビをつけることもなく静かな部屋の中でゆったりとした時間を過ごす。
いつもと変わらないそんな時間も今日は少しだけ特別な時間に感じた。
「ありがとうございます」
ふと、ましろの口からそんな言葉を投げかけられる。
彼女のほうを見ると、それと同時にそっと手を握られた。
「今日、お二人に会うことが出来て本当に嬉しかったです」
こちらに視線を向けることはなく、遠くを見つめたまま彼女は語る。
「もう、会えることはないんだと思ってました。……会ってはいけないと思ってました」
「………」
「佐藤さんはいつも私を肯定してくれます。あのお二人もそうだったんです。私を受け入れ、信頼してくれていました」
懐かしむように、でもどこか自分を痛めつけるように。
いつしかましろの顔から目を逸らし、俺も彼女が見つめる先へ思いをはせた。
「私はそれを裏切りました。すべてを投げ出して逃げて逃げて、逃げ続けて……。そんな私が今更どんな顔をして、なんて言えばいいのか。考えることも怖かったんです」
彼女の気持ちを知らなかったわけではない。
すべてではないものの、彼女から伝えられたことやこれまでの言葉の節々から察しはついていた。
「……でも、佐藤さんに言われて、実際にお二人に会って。そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなりました」
「心からの大歓迎って感じだったな。特に美玖ちゃんは」
「はい。すごく嬉しい気持ちと、以前の私の卑屈さと恥ずかしい気持ちが絡まってしまいました」
あの家を出てから俺と出会うまでのましろのことを考えれば、卑屈にならないほうがおかしいというものだが。
でも、その心境に変化があったからこそ、こうして勇気を出して二人に会いに行くことが出来たんだ。
それは誇るべき彼女の功績だ。
「変わったな。ましろは」
今日の疲れと、今日までの疲れを労わるように彼女の頭を撫でる。
彼女はきょとんとした顔をした後、静かに目を閉じて俺の肩に体を預けてくれた。
「全部、佐藤さんのおかげです」
「いや、ましろの努力だよ。俺は何もしてない」
「いいえ。佐藤さんのせいです」
「……どういたしまして?」
「ふふっ」
いつもの笑い方で口元を緩めるましろ。
そんな彼女が今隣にいてくれることにあらためて安堵する。
もしかしたら、あの二人と再会したことをきっかけに、そのまま俺から離れていってしまうのではないか。
彼女がそんなことを言い出すことはないとはわかっていても、どこかそんな不安を抱えていた。
「……あのさ、ましろ」
「はい、なんでしょう」
「あー……その、なんだ。ましろは……」
『ポロン♪』
不意にスマホの通知音がなり、その先の言葉は遮られた。
鳴ったのはましろのスマホ。
彼女は言葉の先を尋ねるように俺の顔を見ていたが、俺は目線でスマホを確認するように促す。
「あ、美玖さんからです」
通知画面を見てそうつぶやいたましろは、すぐにロックを解除してアプリを立ち上げる。
彼女が俺にも見えるように画面を見せてくれるので、顔を傾けて横から覗かせてもらう。
『今日は会いに来てくれてありがとう!』
『また遊びに来てね!絶対だからね!』
年相応のチャットの内容に、思わずましろと目を合わせて笑いあう。
「ふふ、なんて返しましょうか」
楽しそうに返信を考える彼女の横顔には、いつかの不安は全く見受けられなかった。
その表情からは、あの二人に対する愛おしい気持ちが嫌でも伝わってきた。
スマホに遮られた俺の言葉の先。でも、その先を言葉にはできていない。
確かに何か伝えたい気持ちがあったが、その想いはまとまっていない。
「なんだって喜んでくれるさ」
そんな気持ちをはぐらかすように、もう一度ましろの頭をなでるのだった。




