102 謝罪と感謝
「ほ、本当に、ルミ……なの?」
到底信じられないといった様子でそう言葉を落としたのは、目を丸くしてましろを見つめる美玖ちゃんだった。
美玖ちゃんにましろの正体を明かすために一度部屋の外に出て、人の姿となって再び部屋に戻った。
もちろん初めはいきなり知らない人が入ってきたことに驚いていたが、子供とはいえ見た目の違和感にはすぐに気づいただろう。
今のましろの姿はただの人ではない。髪色と同じぴんと立ったネコ耳が生えており、背中からも同じようにネコのしっぽが見えているのだから。
「信じられないかもしれないが嘘じゃない。彼女は、さっきまで美玖ちゃんが抱っこしていたネコと同じ存在だ」
あらためて、俺は美玖ちゃんに対してましろを紹介する。
美玖ちゃんの視線はもちろん、月山さんからも温かな視線を受けてましろは少し恥ずかしそうにしていた。
「で、でも……ほ、ほんとにほんと?」
美玖ちゃんは一度月山さんの顔を見て、再びましろを見て、と何度も視線を動かしながら目をぐるぐるさせていた。
自分以外が全員ましろの存在を平然と受け止めているのに理解が追い付いていないらしい。
その様子がいつかの俺とそっくりで、思わず笑いがこぼれてしまう。
「確かめてみるか?」
俺が端的に問いかけると、状況が分からないながらも黙って頷く美玖ちゃん。
ましろの背中をぽんと押して視線を送れば、彼女は同じく視線で答えて美玖ちゃんの元へ近づいていく。
そして、美玖ちゃんに目の高さを合わせるようにしゃがみ込む。
「触ってみてください。美玖さん」
「い、いいの?」
「もちろんです」
対照的な表情の二人がそうやり取りしたのち、美玖ちゃんがおそるおそるましろの頭に手を伸ばす。
そしてその手が彼女の耳に触れるとぴくんとその耳が動き、そして同時に美玖ちゃんの目が大きく見開かれる。
「ほ、ほんもの……ルミとおんなじ耳だ」
「はい。手品ではないです」
優しい笑顔をしながらましろは少しだけこちらに視線を向ける。
そういえば初めて俺がましろの今の姿を見たときは、良くできた手品か何かだなと口走っていたんだったか。
ましろのやつ、未だに根に持っていたのか……?
「しっぽもおんなじだ……!」
だんだんと美玖ちゃんの好奇心もくすぐられ始めたのか、何度もましろのネコの部位に触れる。
未知の物に触れる子供の姿はなんとも微笑ましく、月山さんと二人そろってその様子を見守ってしまう。
しばらくすると見守っていたはずの月山さんも美玖ちゃんの隣に並び、一緒になって触れ始める。
「これはなかなかに良い触り心地ですね。美玖様が虜になってしまうのも頷けます」
うんうんと感心するように頷く月山さんと、独り占め出来なくなって少し不服そうな美玖ちゃん。
「月山は、もう知ってたんでしょ?」
「知っていただけです。触ったことはありません。ですのでもう少しだけ……」
「あー! 私が先なのにっ」
いつの間にか、ましろを取り合うように言い合いを始める二人。
当のましろとはいえば、困ったような表情をしながらも、その内側には隠しきれないほどの嬉しさがあるように見えた。
「美玖ちゃん、信じてくれた?」
「うん! びっくりしたけど、ルミとおんなじだもん」
「そっか。ありがとうな」
俺がお礼を言うと、美玖ちゃんは首を傾げていたが、月山さんとましろはとても優しい表情をしていた。
そのあとは、ここまでは月山さんと美玖ちゃんには話せていなかったこの姿のましろと過ごした日々の話をした。
いつ、どこで初めて人の姿を見たのか。どのような生活をしているのかを説明した。
俺からではなく、ましろからも話をしてもらい、面白いくらいに二人は食い入るように耳を傾けていた。
美玖ちゃんは興味津々に目をキラキラさせていて、月山さんはどこか満足そうな笑顔を浮かべていた。
そして、ある程度の言葉を並べたあと、ましろは二人に向かって深々と頭を下げた。
「月山さん、美玖さん。ごめんなさい」
ましろの口から述べられたのは謝罪。それは、今日の一つの目的でもあったこと。
ましろが人の姿を打ち明けたのは、直接二人に伝えたいことがあったからだ。
「何も言わずに出て行ってごめんなさい。たくさん心配をかけてごめんなさい」
ましろがそう述べた直後、月山さんがそっと彼女の肩に触れる。
その様子を見て美玖ちゃんも同じように近づいてましろの手を取る。
「頭を上げてください。ルミさんが無事でいてくれただけで十分です」
「そうだよ! またルミに会えて、すっごく嬉しいの」
二人がましろに声をかける。
その声色はとても優しく、それだけで二人のましろに対しての気持ちは十分に理解できた。
たとえ、姿が変わろうともましろは二人の中での存在として変わりはなく、それどころか関係性はより深いものになっていた。
「……ありがとうございます。お二人のおかげで、私は今とても幸せだと感じています」
ましろは月山さんと美玖さんの手をそれぞれ握る。次に出た言葉は感謝だった。
そして、一度こちらに視線を向けてほほえみをくれる。
不意に向けられたその表情に、どきっと胸が締め付けられるような感覚がした。
「佐藤さんは誰よりも優しく、何よりも私を大切にしてくれます。こんなにも素敵な人と出会うことが出来ました。だから今、私は本当に幸せなんです」
二人に会う事を決意したとき、二人に俺のことを紹介したいと言っていた。
しかし、やはりあらためて第三者の前で言葉にされるのはどうしても恥ずかしさが込み上げてくる。
それに加えて、美玖ちゃんはさらに目を輝かせ始め、月山さんが口角を上げながら「にまにま」という擬音がとてもしっくりくる顔をする。
誰がどう見てもその光景は、身内の惚気を聞かされる子供と親にしか見えないわけで。
話している本人にそんな自覚は一切なく、さらにその話題を広げ続ける。
どんなことをしてもらったのか、どんな言葉をかけてもらったのか。一つ一つの出来事を事細かく二人に伝えている。
だんだんと聞かされている二人の視線は俺にも向き始めて、さらに肩身が狭くなっていく。
一通りましろから話を聞いたあと、月山さんはお腹がいっぱいとばかりに胃をさするしぐさをする。
「ごちそうさまでした、ルミさん」
「……? ど、どういうことですか?」
「いえ、お気になさらず。でも、驚きました。花嫁修行をさせてるつもりはなかったのですが……」
「は、花嫁っ?」
ましろが声を裏返すと同時に、思わず俺も咳き込んでしまう。
「月山、花嫁しゅぎょーってなに?」
「お嫁さんになる女の人が、料理や掃除を勉強することです」
「ルミ、お嫁さんになったの?!」
「な、なってませんから!」
三度キラキラと輝く瞳をする美玖ちゃんに、珍しくましろが声を上げて否定する。
ましろからは家政婦としての仕事を叩き込まれたと聞いていたが、ある意味内容としては近いかもしれない。
「佐藤さん、うちのましろはしっかりと家事が出来てますか?」
「はい、もちろんです。ましろと暮らすようになって毎日がすごく充実してて。これも育て方あってのことだと思います」
「いえいえ、そんな。これからも娘をよろしくお願いしますね」
「はい、お義母さん」
「勝手に話を進めないでくださいっ!」
勢いよく俺と月山さんの間に割って入り無理やり会話を中断させるましろ。
美玖ちゃんの純粋な勘違いに慌てる姿が面白く、月山さんのノリの良さもあり思わずからかってしまった。
「ルミは、うちにいたときからしゅぎょーをしてたの?」
「はい。実はですね……」
月山さんは美玖ちゃんに対して、ましろがこの家で人の姿をしていたことをあらためて説明し始める。
いつの間にか美玖ちゃんの興味はそちらに傾いてしまい、後には部外者の俺とむすっと不機嫌そうなましろが残された。
「わ、悪かったよ。ちょっと悪ノリだった」
「まったくです。佐藤さんと月山さんが気の合う人だとは思っていましたが、ここまでとは思いませんでした」
「ご期待に応えられて光栄だ」
「褒めてません。反省して下さい」
計算外だったと言わんばかりに溜息をつくましろ。
そういえば、初めて二人のことを教えてもらった時にそんなことを言っていたな。
ただの悪ノリと言えばそれまでだが、確かに気が合うともいえるかもしれない。
性格や価値観がどうなのかはわからないが、少なくともましろに対して親バカになってしまっているのは間違いなく同じだろう。
俺を除いた中では、一番ましろのことを理解している人物のはず。
……もしかしたら、これまで知らなかった新たなましろの一面を知るチャンスかもしれない。
「佐藤さん、顔が反省していないように見えますが」
「さすがだな。よく俺のことを理解してくれてる」
「…………ばかっ」
ふいっとそっぽを向く彼女はどこか照れたように小さくつぶやく。
それを懲りずに「かわいい」と思ってしまった俺は、彼女を抱きしめたくなる衝動を頬を染めた横顔を見ながら強く自制するのだった。




