10 変化と謝罪
「ましろ、そろそろご飯にするぞ〜」
「にゃぁ〜」
俺の声に反応して、間延びした声を出すましろ。俺のすぐ近くまで歩いてきて、おすわりをして俺の顔を見つめてくる。
「ちょっと待ってろよ。今日はちょっといいモノがあるんだ」
いつものネコ用カリカリをお皿に入れたあと、冷蔵庫からあるものを取り出す。
今日仕入れてきたのは、スーパーで見かけた新鮮なタイの切り身。
最近の密かなマイブームは白身魚。あっさりと淡白で、それでいてしっかりとした旨みがある。
俺もましろも食べられる美味しいものを探すとなると、やはりスーパーの生鮮食品売り場に勝るものはない。
そのおかげなのか、最近は外食やコンビニ弁当を食べる頻度が少なくなってきた。
もちろんすべて料理しているわけではなく、冷凍食品などに頼っているところも多いのだが、明らかに食生活はよくなってきている気がする。
前まではほぼ使っていなかったフライパンも、このところ出番が多い。
「お待たせ。それじゃ、いただきます」
ましろが食べ始めるのを確認してから、俺もさっそくタイをいただく。
丁寧に箸で骨を取り、一口サイズに切り分けて口へ運ぶ。
「ん、うまい」
凝った味付けはしていない……正確には出来ないだけなのだが、やはりあっさりしていてシンプルに美味しい。
ましろもいつも通り、ゆっくりながらもしっかりと食べてくれている。
ましろとの生活が始まってからの時間はこれまで以上に充実した日々だった。
自分一人ではない生活は何かと刺激があり、ましろを支えなければならないという勝手な意気込みも相まって、習慣も改善された。
例を出すのであれば、休日の過ごし方は大きく変化したところだと言える。
これまでであれば、特に趣味を持ち合わせていないことを言い訳にして、昼過ぎまで惰眠の日々を過ごしていた。
しかし、ましろが来てからそうはいかない。
俺とは違い基本的にましろの睡眠リズムは整っており、いつも俺より早く起きて俺が起きるのを待っている。
さすがにベッドに乗り上げて叩き起こしに来るようなことは無いものの、目を覚ましてましろを見つけるといつも必ず目が合う。
朝にお腹を空かしているのは当然だが、毎朝そんな視線を感じながら起きるのはある意味緊張感がある。
したがって、ましろの無言の圧力に屈した結果、休日の午前中の寝坊は必然的に出来なくなってしまった。
変化したのは生活習慣だけではない。休日の時間が増えたことをきっかけに、最近は元々趣味であった読書を再開することにした。
学生の頃には毎日のようにしていたのに、今ではめっきり出来ていなかった。
ご飯を食べ終わったあと、ましろのためにテレビの電源を入れてから俺はダンボール箱から本を一冊取り出す。
ここに入っているのは、実家からこちらへ引っ越す際に少しだけ持ってきていたものたちだ。
少しといっても、そこそこのサイズのダンボール箱丸々詰め込んであるので、引越しで一番重量物だった思い出がある。
過去に読んだことがある作品でも、久しぶりに読むと、なんとも言えない楽しさや嬉しさがあった。
テレビの音をBGMにして、優雅に食後のココアをすすりながら本を読み進める。
しばらく読みふけて、テレビの番組が切り替わり聞き覚えのある音が聞こえてきたので、一旦本を閉じて大きく背伸びをする。
一度読み始めるとなかなか区切りが付かなくなるのは昔からのことだが、気づけば一気に半分以上読み進めてしまっていた。
テレビに映っているのは、ましろがいつも欠かさず見ている番組。
内容はごくごくシンプルで、自然の風景や野生動物などにスポットを当て、落ち着いたナレーションとともにその映像が流れるというもの。
何か特別な面白みがあるわけではないが、ましろと過ごすのんびりした夜には最適な、まったりしていて落ち着いた番組だ。
ましろが興味を持って見ているものは色々とあるが、こういった自然に興味を持っているのを見ると少しだけ考えさせられることがある。
それは、ましろが外の世界に出てみたいと思っているのではないか、ということ。
俺が拾ってから、ましろはずっと家の中で過ごしている。
普段の様子を見ていると、テレビで自然を好んで見ていたり、窓から外の景色を眺めていたりと、思い当たることはたくさんある。
ネコを外に出すと逃げてしまうという話はよく聞く。ましろの性格的にはあまり想像が出来ない事だが、心配なことに変わりはない。
所詮そんなものは飼い主の勝手な思いであって、もしましろの意思で俺の元を離れたいと思うのであれば、それは仕方がないことだ。
だが、少なくとも俺は、そんな簡単に今の関係を捨てられるほど軽い気持ちでましろと過ごしてはいない。
そして、ましろからもそう思って貰えるような飼い主でありたいとも思う。
ましろが、この家に来てよかったと心から思えるような、欲を言えばそんな場所でありたい。
実家のように庭のひとつでもあれば心置き無く外に出してやれるのだが、このアパートには残念ながら駐車場くらいしかない。
ましろが望むこと、やりたいことはすべてやらせて上げたいというのが今の俺のモットーだが、こればかりはどうしようも出来ないことなのだ。
熱心にテレビへ視線を送るましろの姿に、少しだけ胸が痛んだ。
テレビの中では小鳥が心地よいさえずりを披露して、それに反応してましろの耳がぴくぴくと動く。
俺はやさしく一度だけましろの頭を撫でる。
「ごめんな」
伝えたかったことはそんな謝罪ではないはずなのに、自然とそんな言葉が口からこぼれる。
ましろは振り返って、俺の目をそのつぶらな瞳で見つめてくる。
俺は心の中のもやもやを隠すようにましろに笑いかけて、机に置かれたココアを手に取り一口だけ飲む。
ずいぶんぬるくなったココアは、いつもより甘く感じた。




