もしも、この身を許すとしたならば…
前世における私の名前は菅田彩夏。平凡な人生を送りながら、わずか22歳という若さで命を落とした。
そして、生まれ変わって得たこの身には、その平凡であった前世の記憶があった。生まれたときから自我があったし、私は菅田彩夏であると自らを認識していた。
だからこそ思う。
この世界って、変だ、と。
幸いなことに私の父も母も兄達もとても優しく、そしてこの家庭は裕福だった。だから、特に苦労することもなく、私は育ってきたわけだ。文明は前世の私が生きた世界よりも遥かに遅れてはいるが、不満というほどではない。毎日ご飯が食べれて、洗濯したお洋服が着れて、お風呂にも入れる。テレビやスマホゲームみたいな娯楽はないけれど、小説を読んだり演劇を見たりという楽しみはある。
だから、大きな不満はないのだが、やっぱりこの世界は変なのだ。
まず、神様がバリバリ活躍している。魔法という力を持つものがいる。そして、各人には女神様から与えられた特別な力、ギフトという概念がある。まぁ、変ではあるけれどファンタジー世界にありがちだ。受け入れるのもやぶさかではい。
あとは、男女比が1:1ではない。4:1くらいだ。明らかに女の人が少ない。だから、女の人は男の人からとても丁重に扱われる。そして、この世界の唯一神である女神様により、その貞操は固く守護されている。つまり、女性が望まぬ性交渉は神の御技にて決して行うことができない。その禁を破ろうとした男性には烙印が刻まれ、二度そのような行いをすれば、女神様から死が与えられる。これはお伽噺でも何でもなく厳然たる事実である。人口は減っていかないようなのでそれはまぁ構わない。
だが、ここからだ。唯一、私の価値観で受け入れられない現実がある。それは、美醜の価値観が全く逆転しているという点だ。この世界での私は、醜い。いや、別に前世がそれほど良かったとは言わないが、少なくとも、毎朝鏡を見て悲しくなるほどではなかった。体型からして丸い。顔も丸い。そして、顔のパーツが小さい。特に目が本当に小さくて細い。丸く小さな団子鼻に、おちょぼ口。でも顔は大きいから余白が多すぎて明らかにバランスが悪い。だが、まぁそれは仕方ない。この世界の場合、女性の顔面の美醜はさほど重要ではないのだ。女性というだけで憧れの対象、庇護する対象となるのだから。けれど、ここに、私とこの世界との大きな隔たりがあった。
そうなのだ。こんな醜い私だが、何故かこの世界では、かなり可愛いと思われているのだ。家族の欲目、社交辞令、単なる口説き文句、初めはそう思っていたが、それが本当に違うのだと、私は理解してしまった。何故って、みんながべらぼうに可愛いと持ち上げるのは、私基準では正直全然可愛くない子ばかり。みんながそこまで可愛いわけじゃないけど愛嬌があるとか笑顔が素敵とフォローする子は、私基準ではめっちゃくちゃに可愛い子ばかりなのだ。どんなに不細工でもこの世界の人、特に男性は絶対に女性の容姿を貶すことがないので、上記の発言はかなり酷い評価だ。
おかしい。
こと男性に対して、美醜の評価は顕著だ。男性は、女性に愛されるため、自らの容姿や他の男性の容姿に非常に敏感であり、女性もまた男性を見た目で判断して好みだとかそうじゃないとか選ぶ事が多いから。私基準でのヤバイくらいの不細工は女性にはちゃめちゃにモテ、私基準での絶世の美男子は女性の視界にすら入れない、といった具合だろうか。
私は、頭がおかしくなりそうだった。そうなのだ、ここにきて大きな問題がある。私の今世でのスペックをお教えしよう。
まず、女性
父親は大陸随一の大商人
母親の実家は貴族
美人
これである。恐れ多いことに、この国の大貴族、果ては他国の王族からすらお声がかかるほどの、好物件なのである。つまり、声をかけてくる男、くる男、全員が容姿に自信がありながら異常に醜い者ばかりなのだ。お声がかかるのは有難いことだとも思うし、男性の外見よりも中身を見て判断すべきだとも思う。けれど、これが毎日続くと本当に気が狂いそうになる。この世界での美少女の私の元には、それはもう絶世の美男子ばかりが言い寄ってくるわけで、つまりそれはとんでもない不細工ばかりに言い寄られているということ。
はっきり言おう。私だって付き合うならイケメンが良い。
この世界では、女性は少しくらい男性を容姿で選り好みしたってバチは当たらない、けれど、私ほどの好物件ともなると、容姿に難のある相手はそもそも諦めが先にきて、あちらから私に声をかけてくる事がない。そうなのだ、私はようやくその事に気付いた。今までは信じ難すぎて受け入れられず、なかなか行動に移せなかったが、そろそろ私も成人を迎える。学校ですらそうだったのだから、今後社会人になってこの状況が変わるとは考え難い。今こそ、自ら恋人を探しにいくべきであると。
と、そういう理由があって、私は今まさに街を散策しているわけである。1人だが、昼日中のこの時間、裏路地などに行かなければ、女性だけで出歩いても問題はない程度の治安は維持されている。そう、そのはずだった。
ドンッと後ろから人にぶつかられた。私はぼてんっと前に倒れてしまう。気付けば手に持っていた小さな鞄を奪われてしまっていた。
キャーという女性の悲鳴。裏路地に逃げていく盗人の背を何人かの男性が追いかけていく。そして、男女のカップルが私を心配そうに起こしてくれた。
「大丈夫かい?」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です」
私は起こしてくれた二人ににっこり微笑みかける。擦り傷が少し出来たくらいだ。カップルはホッとしたように笑ってくれた。
「良かったわ。女の子にこんなことするなんて酷い盗人ね。女神様からバチが当たればいいのに」
私のために怒ってくれている心優しい女性に彼氏である男性も私もぽーっとなってしまう。いい人だなぁ。
鞄の中身は多少の現金とハンカチ、おやつが少し。盗られて困るようなものは持ってきていなかった。だから、追いかけていってくれた男性達には申し訳ないが、そこまで必死になってもらう必要はないのだ。そう思っていると盗人を追いかけていってくれた男性達が戻ってくる。残念ながら盗人は捕まえられなかったようだ。私は全員に丁寧に頭を下げ感謝の気持ちを伝えた。申し訳なさそうな彼らに私は再びお礼を言って、今日のところはもう帰ることにした。だって、もう、テンションはがた落ちだし。お洋服は土に汚れてしまったし。
そう思って帰宅の徒につこうとした私に声がかかる。キョロキョロと周囲を見渡すと、盗人が逃げていった路地裏から早足で歩いてくる男性が見えた。
その男の人は背が高かった。引き締まった肉体に程よく付いた筋肉。銀髪にエメラルドの瞳。精悍な顔立ちは非常に整っており、文句の付けようがない最上級のイケメンだった。
「待ってくれ。これ、君の鞄だろう?」
だが、私はそのイケメンの瞳の下。泣きぼくろのようでそうではない。禁忌の烙印を見つけてわずかに後ずさった。周囲には人通りがある。誰かに声をかけようか迷って、けれど、彼が私のために鞄を奪い返してくれたのは事実なので、止めておく。
「ありがとうございます」
「いや、いいんだ。悲鳴をあげないでいてくれてありがとう」
「いえ」
「じゃあ、行くね」
イケメンはほんの少し嬉しそうに笑って、そしてそれ以上にばつが悪そうに去っていこうとする。とっさに、私は声をあげていた。
「ま、待って」
「え?」
「あなた、本当に女の人に無理矢理手を出したの?」
実際に禁忌の烙印を見たのは初めてだった。けれど、彼は見ず知らずの私の奪われた鞄を取り返して来てくれるくらいには優しくて、その見返りを何一つ求めないくらいには紳士だ。だから、確かめたくなった。
「違うよ」
彼は間髪入れずに穏やかにそう答えた。その言葉に、嘘はない。私に与えられたギフト、それは他者の言葉が真か嘘か分かるというものだった。私のギフトは使おうと思わなければ効果がないので、今はそのギフトを使った。
「じゃあ、何で?」
「……不躾な質問だね」
押し黙った彼は、困ったように笑った。
「あなたのこと、気になるの」
「へぇ…。君のような美少女が俺に興味を抱く理由がよくわからないな」
彼は、嘘はついていない。そして、たぶんだけれど、彼は心根の優しい人だ。前世と合わせて40年以上の人生経験から、私は私の直感を意外と信用しているのだ。けれど、その左目の下には禁忌の烙印が確かに刻まれている。それは何故だろう。何かの間違いなら良い。そしたら、私は今運命の人に出会ったと、自惚れても良いのかもしれない。
「でも、ごめんね。俺、君と関わるつもりないんだ」
そう言ってくるりと背を向けた彼の腕に私は手を伸ばして掴んだ。あざとい、だとか言ってられない。私は、本当は、もう恋に落ちかけてる。
「どうして?私のこと嫌い?」
「っ!」
僅かに彼の口から漏れた噛み殺しきれなかった声。驚きに見開かれた瞳は、次の瞬間また困ったように伏せられた。彼の腕を掴んだ私の手は緩く振り払われた。
「からかうのは、やめてくれないか」
「貴方みたいな人、無防備に1人でからかうなんて、そんな愚かなことしないわ」
「ふっ。確かに、そうだね」
彼は陰ったままの笑顔を私に向けた。あぁ、本当に、綺麗な男の人だ。私が目を奪われているうちに、彼は紙に何かを書き付けてそれを私に差し出した。
「もし、本当に君が俺に興味があるというなら、明日そこに1人で来ると良い。じゃあね」
「え」
ぼんやりとしていた私は渡された紙を見る。その間に彼は去って行ってしまった。紙に書かれた地図を見て首を傾げた。女神像の噴水のある広場。それは、観光客が多く集まる人通りの多い場所だ。もしや、脅しとして彼の家に来いとでも言われるのかと思ったのだけれど、どうやらそんなつもりはないらしい。もしくは、ノコノコと広場に出向いた後に家に連れ去られるとかどこかに売られてしまうとか…。まぁ、悪い想像をしても仕方がない。何故なら、私は彼を気に入ってしまったのだから。
そして翌日、私はもちろん1人で、精一杯のお洒落をして、女神像のある噴水の広場にやって来ていた。お天気は絶好のデート日和だ。時刻は指定されなかったので悩んだけれど、昨日とおんなじくらいの時間に出向くことにした。人々の合間をすり抜けながら、取り敢えず女神像のある噴水のそばに辿り着く。待ち合わせなら、きっとここが一番分かりやすい。そう思って周囲を見渡すと、お目当ての人物はそこにいた。噴水を背に立った彼は分かりやすく誰かを探しているようだった。
キラキラと輝く銀髪がキラキラと輝く水の反射を受けてとても綺麗に見えた。まぁ、綺麗だなんて思っているのは、私くらいであることは明白で、人々で密集しているこの場にありながら、何故か彼の周囲はポカンと空間が広がっていて、その禁忌の烙印からかそこかしこで彼を非難する声が聞こえていた。それをいちいち気にしていられるほど私の神経は図太くはない。
私は、今、かなりの美少女だ。もちろんこの世界基準で。
めぇいっぱいおめかしをしてもらった。この世界でも、髪の毛はサラサラの方が良いし、肌はスベスベの方が良いし、頬や唇には血色があった方が良い。清潔感というのはこの世界でもあった方が良いとされる。けれど、それらがあろうと、美醜にはさほど影響は与えない。パーツやバランスが命なのだ。それはやはり前世でもおんなじだろう。
だから、何てことはないのだ。なんてったって、この世界でいう美少女の私がめぇいっぱいのおしゃれをしているということなのだから。前世ではお目にかかったこともないくらいのイケメンに声をかけるのだって、許される、はず。
「あなたの名前知らなかったから。何て声をかければ良いのかわからなかったわ」
「っ!びっくりした。君、本当に来たの?」
「あなたこそ、待っててくれたの?」
なんて声をかけようか迷って、声に出したのはそんな陳腐な台詞だった。彼は本当に驚いているようで、私のことを信じられないとでも言うように見つめていた。
「そりゃ…、万が一でも君が来たら悪いと思って…」
「万が一じゃないわ。あなたのお誘いだもの雨が降ろうが槍が降ろうが来たわ」
「ふ、ふふっ」
彼は私の言葉に初めて悲しげではない笑顔を浮かべてくれた。それが嬉しくて私はもう一度言葉を繰り返す。
「私は貴方になんて声をかければよかったのかしら?ねぇ、貴方のお名前、私に教えてくださる?」
「そうだね…。ルドルフと呼んでくれるかい」
「わかったわ。ルドルフ。私は、フローリア」
「そうか……。ねぇ、君って、あんまり周囲の雑音気にしない人なの?」
「まぁ、これでも数多の視線には慣れてはいるし。そもそも、今それどころじゃないもの」
「?どういうこと?」
「緊張してる」
「え、」
「デートは初めてだから」
「で、デート…?いや、俺はそんなつもりじゃ!」
「違うの?だってここって有名なデートスポットだって聞いたから?」
ちょっと期待していたのだが。だからこそ、こんなにもおしゃれをしてきたというのに違ったのだろうか。私はしょんぼりと肩を落とした。
「いや、え?君が、昨日、俺に興味があるっていうから」
「だから、デートなんじゃないの?」
彼は慌てたように首をブンブンと左右に振っている。まぁ、それも仕方ないのかもしれない。興味があるという、私の言葉は彼には好意としては伝わっていなかったのだろう。
「ごめん。まさか君が俺なんかに…」
俺なんか、ね。彼の整いすぎた顔に浮かぶ焦りの表情。私からしてみれば、その容姿は信じられないくらいに美しく、その禁忌の烙印も昨日の彼の言葉から何らかの間違いなのではと、思っている。けれどそう感じる人間は恐らくあまりいない。私の感性は前世に基づくものだし、ギフトがあるから信じられるだけ。周囲の反応からも、彼自信の反応からも、それは明らかだろう。
「貴方のその頬の烙印、どうして、と聞いてもいいかしら?」
デートではないのならと、私は昨日の話を続けることにした。これを確かめたかったのも本心なのだから。
「ほんとに…ぶしつけだよね」
「ルドルフが言ったのでしょう?理由が聞きたいならここに来てって」
「それもそうだね。あぁ。君のような人に聞かせられるような綺麗な話じゃないよ」
「そう。でも、知りたいと思うわ」
「…信じてもらえるか、わからないけれど」
そこで言葉を切った彼はどこか疲れたように遠くを見る。その横顔が綺麗で自然とその視線の先を追った。その先にある虚空には特に何があるでもない。
「俺はね、結婚をしていたんだ」
「えっ!?」
既婚者ですって!?その可能性を一欠片も考えてなかった自分に驚く。そして、自らもどこかで彼をモテない男と考えていたのかと戦慄した。この世界の常識に侵食された差別的な思考。醜い心を彼に見透かされたような気がした。
「ふふ、そりゃ驚くよね。こんな醜男が結婚できるなんて思わないものね」
「そんなことないわ!」
「いいんだ。真実、妻は俺を好きだった訳じゃなかった。色々理由はあったけど妻と妻の両親は俺に恩義を感じていたから、俺は妻と結婚することができただけなんだ。妻のことは愛していたけれど、俺の見た目はこんなだろ?彼女が望まないなら手を出すつもりなんてなかった。俺の思い込みでなければだけど、彼女も俺を嫌いだとは思っていなかった。けれど、彼女は俺を好きになれないことを思い詰めてしまった。そんな風に思い詰めていた彼女に気付かず、妻からの誘いに俺は乗ってしまった。その肌に初めて触れて、彼女も触れてくれて…愚かにも嬉しいと思ってしまったんだ。けれど、やはり、彼女は俺を受け入れられなかった。言葉で、体で、俺を受け入れようとしてくれても、その心だけはどうにもならなかった。だから、俺はこの烙印を捺された。バカみたいだろ?俺は妻からこの烙印を捺されたんだぜ。そうなってようやく俺は彼女を解放してやれた。今は他の男と結婚して幸せになってるみたいだぜ。はっ。本当に、どこまで馬鹿なんだろうな」
「…つまり、ルドルフは今独身なのね」
「そうだよ?」
挑発的な瞳。けぶるような退廃的な感情を押し隠してわずかな苛立ちを込めて見下ろされている。それを下から受け止め、私は無理やり唇を三日月型に歪めた。そうでもしなきゃ、泣きそうだったから。
「ルドルフのこと、バカだなんて思わない。貴方の奥さんだった人のこともバカだなんて思わないわ。言いたくないこと言わせてごめんなさい」
嫌いな訳じゃないのに、心が通い合わせられないだなんて。なんて悲しいのだろう。挑発的な瞳が揺らぐ。泣く寸前みたいに。
「俺こそ、ごめんね。やっぱり君に聞かせていい話じゃなかった」
「私が聞きたいと言ったのよ。ありがとう」
私はルドルフの手を掴む。その氷のように冷たい手を両の手で挟み握りしめる。慌てたように、怯えたような表情をする彼に、私は精一杯の気持ちを伝える。
「私が、この身を許すのは、それは真実心から相手のことを好きになったときだけと誓うわ」
「なに、言って…」
彼は嘘をつかなかった。嘘をついたって、いい加減なことを言ったって、何も話さなくたって良かったのに。ならば、ルドルフが私の運命だと自惚れたっていいだろう。けれど、まだ、それを告げても信じてもらえない気がしたから、とりあえずお互いのことを知っていくところから始めよう。
「お友達からでいいわ。どうかしら?」
「友達って…」
「貴方のガールフレンドになりたいって言ってるの。どうかしら?」
「…俺に、バカな俺に、拒否できるわけないだろう…」
「あら、良かった。もし断られたらどうしようかと思ったわ」
私はにこりと微笑んで、彼の手を放す。その手はじんわりと暖かくなっていた。
それは、一人の美女と醜男の恋物語。
その出会いの第一節。
ハッピーエンドは決まったようなものでしょう?