2-6 混沌と誤解
「セクシーなお姉ちゃんに付いていったら駄目よ?あと、人より腰を低くして、10倍感謝の言葉を言いなさいよ?そうやって始めて、人より少しだけ多い程度の妬み僻みを受けるだけ済むから」
ただでさえ狙われて、そして色眼鏡で見られるんだからと、卒業前に綾香に言われた言葉だ。
好き好んで色眼鏡で見られたくもないし、爪弾きにもされたくはない。忠告通りに腰を低く、派手な女遊びもせず、平穏無事な社会人生活を過ごしている。
考えたら失礼な奴だな。媚びた笑顔で擦り寄って来る人間は碌なものじゃない。それを身を以って体験している自分が、派手に遊ぶ訳がないだろうに。
「お疲れ様でした」
週末の午後、売れ筋の音楽の合間に、気になった物や、お店を紹介したり、この世界に入ったばかりのミュージシャンの曲を流す、緩いラジオ番組。
多くもないが、少なくもないTVに愛想笑いを浮かべながら出ているより、見つけた誰かや何かを紹介するこの番組を少し気に入っている。
相も変わらず、誰と付き合う訳でも、そんな経験をしたこともないけれど、卒業後は引き籠りの予定だった私が社会生活を営むとは、人生とは分からない。
「じゃぁ、水曜日の夕方にいつも通りに前打ち合わせで。お先に失礼します」
番組を戴けた切っ掛けは、些細なこと。気になり、頭から離れないストリートミュージシャンの動画をマネージャーに転送したのが事の始まり。
最初は小娘の戯言と無視された。そりゃそうでしょ。でも、別のレーベルからデビューしたそのミュージシャンは、時を置かずして新進気鋭の注目アーテイストになった。
2度目は疑い半分、そして放置。当然よね。今、そのお店のスィーツはあちらこちらで何度も取り上げられている。
3度目はマネージャーが飛んできた。本当の地下アイドルに墜ちる寸前だった彼女達は、バラエティが多いけれどTVで活躍している。
「私の名刺をばら撒いても良いから」
そして懇願され、チャンスを逃したくない云々という謎理論に押し切られ、私は他人の、マネージャーの名刺をひと箱持っている。
それで良いの?と思ったけど、それで番組も貰ったし、細かい事を気にしては駄目よね、うん。長い物にはグルグル巻かれるべきよ。
「やはり大学時代からの友人は、恋人という意味だったんですね?友人とは恋人と言う意味で取って良いんですね?!」
「申し訳ありませんが、私は今、日本語を喋っていると思っているのですが、あなたの仰っている意味がわかりません。
先ほどから申し上げている通り、単なる友人です」
昼食には遅く、夕食には早過ぎる時間に週1回、番組終了後の綾香と軽い食事を、綾香の昔のバイト先の雪月亭で共にする。俺の心が休まる時間だ。
最初からそうだった訳じゃない。最初の頃は、雪月亭に綾香と現れた事で、恋人同伴などと騒動になった。
もっとも、記者会見での綾香のリポーターに対する一切ぶれない回答。リポーターに対する、こいつの頭は大丈夫か?という動揺の欠片もない表情。それらが功を奏したのだろうか、マスコミの必死の世論誘導にも関わらず、炎上も何もせず、俺達の捏造された恋人騒動は沈静化した。
本当に何も無いので、沈静化もなにもないのだが、今じゃ只の笑い話だ。
お笑いと言えば、今のこいつの食事な訳だが。
「やっぱり、体形を気にして肉が多いのか?Cカップ程度はあるんだろ?肉食っても今更Dにはならんと思うぞ?」
「殺……すよ?後さ、私以外に言ったら、セクハラ事件だからね?」
ところで、別にこれが無くても料理として成り立つだろうに、つけあわせに人参やらいんげんが多いのは何故だろう?
さては無言で俺の皿からそれを取る、目の前の様な人間のためなのだろうか?まてこら、ブロッコリーは止めろ。
「人参や、いんげんをちゃんと食べないと体に良くないよ?」
その人参やいんげんを食べているのは貴様だ。
「今日はいつもより人が多いねぇ」
綾香に言われて外を見てみれば、心地良い日差しの中を歩く人達がいつもより多く見える。視界の隅で何かが動いているが、いつもの事だろう。
よそ見をさせた間に、えっちらおっちらポテトフライや、ポテトサラダを俺の皿に移植。
「ふぅ……」
ひと仕事終了!今回もばれずにポテトを人の皿に移植出来たじゃないからな?
全部ばれてるからな?まさかと思うが、本気でばれてないと思っているんじゃないよな?
が、しかしだ。
「本当に、死んでも食べないな?お前……」
「じゃが芋は、人類の食べ物じゃないから」
お前さ?全世界のじゃが芋農家さん達に謝れ。
食後、飲み物を傾けながら何を話すでもなく、ふたりで通りを眺める。その姿がデートに見えるなら、真剣に病院に行く事をお勧めする。
喋らずとも、緩やかな時間を過ごせる相手。それくらい誰でも居るだろう?それとも何か?世の友人達というものは、四六時中喋っているものなのか?
「納車された?Roadsterだっけ?」
通りを眺めていた綾香が、此方を向き唐突に聞いてきた。その問いに短く答える俺の姿を見て、周りの人間は阿吽の呼吸とでも思っているのだろうか?
俺達には当たり前の風景なのだが、何をしても邪推してきたり、嘘の報道で自分の方がもっと深い関係だとマウントを撮ろうとしてきたりする人間は居る。
普通の若造ならこれで陥落するのだろうが、如何せん俺もこいつもそこまで青くない。ご苦労なことだ。
「このブルジョアジーめ。ま、外車じゃないだけ良しとしましょう」
人を金持ち扱いしない、集って来ない、気を緩めても大丈夫。ステレオタイプの金持ちの坊ちゃんみたいな行動を取ろうとするのを咎めてくる。
気持ち的に静かな時間、これをそういうのだろう。
「今日はバイクじゃないのか?」
「ん。街を歩いてから帰ろうと思ってるからね。だからバイクじゃないよ?」
「目星でも付けたのでもあるのか?」
「うんや。何かある様な気がするから。それだけ」
得難い友とのひと時が楽しみじゃない、と言えば嘘になる。
「じゃ、その帰りに車乗っていくか?家まで送るぞ?」
「ん?慣らし運転に付き合えと?」
デートとかそんな色気のある話じゃない。単にゆったりとした時間を過ごしたいだけだ。
「何を買ったら良いのか分からないんだ。助けてくれ」
何故、男と言う生き物は、プレゼントをぎりぎりに買おうとするのだろうか?例えそれがケーキと言う生物だからギリギリまで買えないという事を割り引いても、事前に調べてから予約するという言葉を知らないのか?
このまま何も手を打たなければ、非常に拙い状況に陥いる。それは絶対に避けなければならない。そこで、私に電話してくるだけの知能があるだけマシかもね。
暇の多い私が居なかったらどうする気だったの?あの馬鹿は?取り置きの予約が出来て良かった。最後のワンホール……危なかった。
これで明日の夕飯はあいつの奢り、ふふん。
さて……と、角の向こうに見えた良い音を出していたあの子達を覗いてから帰ろうかな。今日は何となく幸せのおすそ分けが出来そうな気がするんだよね。
「うへへへへへへ」
この酔っ払いをどうにかしないといけないが、此処に放置していくのは論外。そしてひとりで帰すのも論外。
お礼の楽しい南欧料理の夕食が、その最後に惨劇を連れて来るなどと誰が予想できただろうか?
どうしてこうなった?いや理由は明確だ。俺のウォッカを多めのブラッディ・マリーもどきを、この虚け者が自分のトマトジュースと間違えて飲んだのが発端だ。
子供じゃないんだからさぁ……普通さぁ……最後のひと口で喉詰めて、飲み物を一気飲みするかぁ?
飲み終わった後に「うぇうえぇ?!私にアルコール飲ませて酔わせて何をする気?!」じゃねぇよ。お前のトマトジュースは空だったろうが。
追加オーダーしたトマトジュースと俺のウォッカ多めブラッディ・マリーが来た途端、また間違えてて俺の飲んでるんじゃねぇよ。
「なんか味が変だよこのトマトジュース」じゃねぇよ。30分も経たないうちに不思議生物に変身すんなよ。
「雅史!あんたこんな若い子に!?」
このままタクシーに乗せて連れて帰るのは、世間体的に非常に拙い。
今の状態は、どう見ても酒で酔い潰した女性を持ち帰る屑男。その烙印が押されるのは必定。それは避けねばならない。
緊急脳内会議の結果、今日は確か姉貴が実家であるうちの家に帰ってきている事を思い出し、呼び出すことにした。
それが更なる混沌と誤解、そして叱責を連れて来るとは誰が想像出来よう?
「母さん。犯罪者を見る目でこっちを見るのを止めてくれないか?」
とりあえず家に連れて行きましょうと、母親と姉があいつを抱きかかえる様にして車に乗せた。
その車中で、あいつは高校生じゃないと説明したが、今ひとつ信用されていないのは何故だ?
なぁ母さん?さっきから「ああ……どうしましょう。こんな幼気な娘にお酒を飲ませて酔い潰すような子に育てたつもりはなかったのに」って何度も念仏のように唱えるの止めてくれないかなぁ?
なぁ姉ちゃん?さっきから「どうやって、相手先の御両親に言い訳したら良いのかしら」って遠い目で車を運転しながらぶつぶつ言うの止めて欲しいんだけど?ね?事故起こすからね?
「それ、綾香だぞ?」
「嘘も大概にしなさい。どう見ても高校生1・2年生でしょう!」
店から家までは数分もかからない。なのに何と長い時間だろうか。誰も味方の居ない空間が、これ程までに辛いとは。
「おもひかひぇりだら~。ひぇひょがっぱー、すへこまひぃー」
「お名前は何ていうの?」
「あひゃか!」
「あひゃ……か?」
だから綾香って言ってるだろうに、何故信じないのだろうか? いや……だから、あんた、あの綾香さんと同じ名前の高校生に手を出そうってどういうこと?じゃないからぁ!
「おうちに連絡したいのだけど、電話番号教えてくれるかな?」
「ひろりくらしらから、らいじょうふ」
ひとり暮らしの高校生を狙うなんて!?そんな子に育てた覚えは!?じゃないからぁ!冤罪だからぁっ!
「らましうひー」
「「雅……史、家に帰ったら話があります」」
母さん、姉ちゃんハモるなよ。怖いわ。
「ひぇひょひぇひょがっぱー」
そこの不思議生物、鼓動を強制停止させてやろうか?あん?
「いつもは気を張って生きているのかしらね?」
到着後、不思議生物は搬送後、母さんと姉ちゃんがパジャマに着替えさせて客間のベッドで寝ている。
その時に鞄から零れ落ちた顔写真付きの入館証で、我が冤罪は晴れたが、気分は晴れない。
あいつの寝顔は車の中より更に幼気だった。お前……本当の顔はあんな感じだったのな。誰にも隙を見せないように頑張って生きているのな。食事や歩いている時に時々幼く見えていたのは、俺の気のせいじゃなかったんだな。