2-2 雪月亭
「全てっ!全てお前のせいだっ!、お前のっ!」
一時期は流石に週刊誌にワイドナショー、芸能ニュースは、あいつの不倫騒動と離婚で大賑わいを見せていたが、それも直ぐに落ち着いた。
あいつをTV画面で見る事が少なくなっていたけど、映画の撮影でもしているのだろうと、思っていた。私には関係のないことだ。離婚した相手が何をしていようが関係ない……と思っていたんだよね、さっきまでは。
「ふっ!ふははははっ!早く死ねぇっ!死ねぇっ!」
駆け付けた警察官に地面に押さえつけられてもなお、般若の顔を浮かべ罵詈雑言を叫び続けているあいつに刺されるまでは。
そして最初に戻り、やたらと時代がかった幼女とご対面している訳だ私は。
なんだろうね、この光景は?何ともはや、シュールな光景だなぁ。必死に私に蘇生処置をしてくれている通りがかりの看護師さんだろうか?お医者さんだろうかを横目で見つめつつ、やたらと時代がかった幼女と正座で体面して話をしているというのは。
「我がもっと早く気づいておれば、奴等の邪魔を防げた。そうしておればお主が性悪女に出会うことも、性悪女に殺されることもなかった」
殺される……ねぇ。だよねぇ、どう見ても助からないよねぇ。
「済まぬな。我も人を生き返らせる事は出来ぬ」
まぁ、これも人生。どうにもならないことをグダグダ言っても仕方ない。でも、もし輪廻転生があって生まれ変わるなら、今度は女性が良いなぁ。
正直、男の競争社会や妬み僻みの中で生きるのも疲れてたし、それに今みたいな普通の男だと、またあいつみたいな性悪女にコロッと騙されるから。
大体さ、冷静に考えたら私が女優のあいつと結婚してるの可笑しいんだよね。本当、男はもうこりごりかなぁ?あ、でも美人が良いなぁ。
「いや……。女子は女子で、男より激しい競争社会だからの?」
なるほどねぇ……。隣の芝生は青く見えるというやつか。そりゃそうだ、世の中ままならないもんだことで。じゃぁせめて生まれ変わるなら、またこの国が良いなぁ。
「ふむ……。ちと思い出したが、奴等に嫌がらせもできて、生まれ変わりが直ぐに出来る方法があったの」
いやぁ……それって、どうやっても禄でもないコース直行のフラグ立ってるんですけど?
「いや、今死んだばかりの、正確には今死にかけている人間に、お主の魂とその幸運を入れ込むだけじゃ」
なんちゅう、無茶ぶり。なんのファンタジー小説。
「安心せい、今の記憶もなければ、死んだばかりの者の記憶も受け継がん、記憶喪失とかいうやつじゃな。ただ問題があってのぉ」
ほらぁやっぱりフラグ立ってるじゃねぇかよ、おい。
「数年で天涯孤独になる可能性が大きいが、大丈夫じゃろ。行ってこい」
おい、おい、おい、おい!おいぃぃぃっ!
人生とは、何とかなるものかもしれない。ちょっとばかり前を見て冒険しなければならない時もある。今がそうなのか、違うのかはは私は分からない。
そろそろ1歩踏み出そうと思う。大間違いの1歩かもしれない。でも、もう前に進むべきだと思う。
思えば、ベッドで声をかけられてから色々あったなぁ。
「どなたですか?綾香って私の事ですか?」
ベッドに横たわった私に声をかけてきた祖母に発した第一声は、妙に大人びて、そして感情の抜け落ちた誰何と記憶喪失の宣言だった。
中2のゴールデンウイーク初日、家族全員で乗っていた車に、飲酒運転の大型ワゴン車が真横から突っ込んだ。あの日、両親は他界し、私は記憶と感情の一部を失くした。私の手を握ってくれるのは祖母だけになった。
それからの祖母との生活は、楽しくも怒涛の様な時間だった。高2になる前には、仮に祖母が居なくても、ひとりで資産を守れる知識を叩き込まれた。そりゃぁもう色々叩き込まれた。
「免許もバイクのお金もお祖母ちゃんが出します。その代わり、高2の間は、毎週土曜日、授業が無い時は藍郷さんのお店でアルバイトすること。それが条件です」
私は祖母との時間の方が楽しかったのもあって、苦労とは思っていなかった。けれど、祖母は自分が居なくなった後の事を、このどうしようもない孫を危惧していたのだろう。
どうかとすると、引きこもりがち。表面的な浅い友人付き合いだけで、深い付き合いが苦手。友人は居るに入るが、高校生とは思えぬ社会性の無さ。
これではいけない、無理矢理にでも社会との接点を作っておくべきと考えていた祖母にとって、私の要望は渡りに船だったに違いない。
無性に中型2輪に乗りたくて、高1の終わりころ、意を決して中型2輪の免許を取り、購入の為のバイトを始めたいと祖母に言った時、祖母に出された条件は、社会性を身に着けるならば、今すぐ費用を出してあげようというものだった。
バイクに乗れるようになるまでの時間が短くなるのだ、拒否する理由なんてなかった。どうにも、祖母の手のひらの上で転がされた様な気がするけど、それはきっと気のせい。
「表の隅にバイク止めても大丈夫だから、バイクでおいで。バイク乗りたいでしょ?」
藍郷のおじさんは、神だった。バイクを手に入れたのはいいけれど、乗る機会をどうやって増やそうか懊悩していた私にとって、藍郷さんの申し出は正に福音。
学校に下手にばれてエスカレーターがパァになるのを防止するために、祖母がノリノリで選んだ蒼い骸骨模様のバフを愛用しながら通った。
その実、後日、大学に入ってから暫くして祖母が学校に話をつけていたことを知った。バフは祖母の悪戯だった訳だけど、その頃には私のトレードマークの様になっていたので、変える気は更々無かった。
「客寄せにも使えるからね、私にも下心はあるよ。何せ綾香ちゃんお人形みたいだから」
後日そう言い訳していけど、照れ隠しだろうな、私の何処がお人形なのか理解に苦しむ。
雪月亭は、再開発が終わり、煌びやかな店が立ち並び、FM局やエンターテインメント系企業も入る高層複合商業ビルが立つ表通りから少し入った所にある。
そこそこの大きさ、それでいて気軽に入れる老夫婦と息子夫婦が切り盛りする洋食屋さん。それが藍郷さんのお店、雪月亭。
「お待たせしました。Aセットになります」
「此方テイクアウトの引換券です。番号でお呼びしますので暫くお待ち下さい」
お店で食べる洋食も美味しいけれど、お手軽なテイクアウトもある。土曜日だってランチタイムはそこそこに忙しい。
「少し前の平日のランチタイムとかに比べたら、天国よ、天国」
土曜日シフトの私とよく同じになるバイト仲間の摩利さんが言っていた。なんでも今売れているシンガーソングライターのなんだっけ?名前わすれちゃったな。芸能系はちょっと苦手。
ともかく、その人がデビュー前にアルバイトしてた店は、実はあのアイドルユニットのメンバーのひとりがデビュー前にバイトしていた所と同じで云々、今もメジャーデビューを夢見ているバンドメンバーがバイトしていて云々とこの店が紹介されたお陰で、平日、土日関係無しに大混雑。
そりゃあ、大変だったらしい。いやぁ良かった。そんな時期にアルバイト始めなくて。
言われたくても分かっている。日本が平和なだけで、贅沢な考えだって。外国では、変な化物みたいのが夜な夜な跋扈してて大騒ぎなっているのも知っている。
でも、実体験していない私達に、危機感を持てというのは無理な話。近い将来にきっと人ごとではなくなる可能性がある事も分かってる。
けれど、それまでは私達は前と変わらぬ生活をするだけ。例え、それがフリであっても。
「あんた本当に女子高生?中身おっちゃんとかじゃないのよね?居るんだよね。あんたと同じのウルトラ童顔で中身おっちゃんの知り合いが」
知り合いに中身が元おっちゃんの様な美少女が居るとかなんとか。中々変わったご友人をお持ちなんですね、摩利さん……。
私は、中身はおっちゃんじゃないと思う。思いたい?多分大丈夫。うん。きっと。
「小中どんなことしてたか、言って見て」
「お母さんとどんな話しているか言ってみて」
それもあって、余りに芸能ネタを知らない私を捕まえて、摩利さんに謂れの無い疑いを受けた。
迫力ある尋問に負けて思わず、事故で中学より前の記憶は失くした、祖母しか居ないと答えたら、もの凄く謝られ、そして思い切り抱きしめられた。
もし私の中身がおっちゃんだったら、涙を流して喜ぶシチュエーションだろうけど、如何せん私はおっちゃんではないので、何の感激も覚えない。
それよりも、なぜ、謝られるのかが分からない。ところで、これ以上忙しいって平日はどんな地獄?
1度目は偶然、2度目は奇跡、3度目も続けば、もう伝説。
「本当に、申し訳ありません」
「いや、謝る必要はないよ。だって夢に1歩近づいたんだから、頑張るんだよ?」
「は……い。頑張ります!」
今日は、先週バイトを辞めた摩利さんが挨拶にきた。なんでもメジャーデビューが叶ってからも暫くバイトは続けていたけど、バンドがうんちゃら、ツアーがうんちゃら、段々と忙しくなってきて殆どシフトに入れなくなったからうんちゃらら?
うん、良く分からないけど、おめでたい事です。はい。
「綾ちゃん、ここは伝説の場所だから、バイトを続けて、夢を掴むんだよ?」
とか言われたけど、なんのこっちゃい?
「はぁ……。来週は丁度、綾ちゃんがテスト休みだから助かったけど、募集したら壮絶な争いになるんだろうなぁ……やだなぁ……」
「だよなぁ……」
なにやら、おじいちゃんとおじさんが並んで頭を抱えている。そりゃ、バイトしていた子が3人続けてメジャーデビューしたからね。
表通りの商業ビルに入っている業界の人達が来店するから、他の店に比べて業界の人達の目に触れるチャンスは多い。
土日と比べて平日の方が業界の人達の来店数は多いから、平日シフト希望者が多いのは分かる。けれど、そこまで変わるもんなのかなぁ?
でも、どんなチャンスでも、チャンスはチャンス、掴めば勝ちだもんね。みんな頑張るよね。
雪月亭でアルバイトをすればデビューが叶う?!ってその界隈じゃ結構な噂になってるらしいし。確実に、殺到してくるよね。
ま、長期休みは連続で入る約束はしたけれど、基本的に週1回の私には関係ないけど。
『ジョージさん、またスタジオにテイクアウト持ち込んでぇって?それ雪月亭の?!ちょっと寄こしなさい!』
『やだよぉっ!スタッフに買ってきてもらったんだから』
『自分で買ったんじゃないなら、みんなのものでしょ!』
『そういえばさ、雪月亭にとんでもない子が居るよね?』
『あー、居る居る。本当、お人形さんみたいな子だっけ?あの子もデビュー前なのかな』
『普通は、週1で土曜日だけだけど、来週はテスト休みで連続出勤らしいよ。で、デビュー前の子じゃなくて、普通の子らしいよ』
『いつの間に何を詳しく調べてるんかなぁ!このセクハラ爺はぁ!』
人生なんて、本当に分からない。人生なんて、行先を決めていない旅みたいなもの。何処にどうやって行くは自分次第。
何も目的地まで一直線で行く必要もある訳でなし、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。あれやこれやと覗いてみるのも悪くないかもしれない。