約束
人の世は儚い。妖の私と違い、人の世の何と短いことか。
「約束するぞ。お前の子孫累々の繁栄を約束するぞ」
「それは駄目。それだけは駄目」
「何を言う!お前の恩義に報いてはいけないと言うのか!お前は我を子ども扱いしなかった!お前は私を妖の私を私欲にのみ使わなかった!お前は私を友として扱った!」
「だからこそ、だからこそ。繁栄が約束されてしまえば、根が腐り、畜生道に堕ちてしまう。だからこそそれは駄目」
時は、私を誓約、戒めから解放してくれる希望だった。そして、時は、私から友を奪う絶望だった。
前の輩は、最低だった。戒めの呪いを受けている私は、主の望みを拒絶できない。それがどれだけ、周りを不幸にすると知っても、主の望みを叶えねばならなかった。
前の輩の富のために、どれだけの女子供が泣いたか、どれだけの女が楼閣に売られて行ったか。あいつは屑だった。丁寧な言葉使いと裏腹に、人の絶望した顔を見るのが大好きな、性根から腐りきった、本当の屑だった。
あの日、あいつが山崩れに巻き込まれ死ぬまでは、血の涙を流すほどの悔しい思いをしてたとしても逆らえなかった。
「旦那?麓の村に戻りませんか?ちょっと嵐がきつ過ぎまさぁ」
「馬鹿を言わないでください。あの峠を越えれば、半刻程度であの村に到着するんです。いまさら麓に戻るなんて無駄な事、するわけがないでしょう?それに私はこれがありますからね。大丈夫なんですよ」
「なんですかい?それは?何かのお守りですかい?」
「ええ、私の幸運のお守りですよ」
「そりゃ、よござんした。しかし、旦那。村に着いても休める様な場所なんてあるんですかい?」
「あります。ああ、ちょうどあと3人ほど余分に借金の形に受け取りますから、貴方達で味見してもかまいませんよ?ああ、あの女子は、私のものですけどね」
「へっへっへ。そうまで言われちゃあ、帰れませんやね」
数年前に宿場町で見かけた山奥の寒村の童が忘れられなかったあいつは、その童が|年頃の女子になろうかという頃、その女子を奪うために、偽の借金の証文を作った。
事のついでとばかりに、村の同じような年ごろの女子が居る何軒かの家もまとめて借金をしたことになっている嘘の証文も作った。
どれだけそれが嘘だとお役人に泣きついても、役人は聞く耳を持たなかった。あいつから袖の下をたんまりと、時には借金の形として連れてきた女子を、いの一番に味見をしていた役人が、耳を傾ける訳がなかった。
あいつと、あいつの手下は屑で、畜生だった。けれども、あいつに騙され、戒めで縛られた私には何もできなかった。
街の外れのそれ用の屋敷の庭に、涙も枯れ絶望して座っている女子達を縁側から見下ろす。その瞬間こそが至福だった。その日の獲物と、連れてきた者達用の味見とに仕分けする。仕分けの後、半刻もせずに屋敷の中に泣き叫ぶ声が響き渡るその時は、無上の喜びを感じていた。そういう男だった。
今回は何故か女子だけではなくて、女子の家族の絶望した顔も見たかった。そういう気分だった。そうとしか言いようのない感情を抑えきれず、今回は屋敷で待たず、自らが出向いていた。
日頃の行いか、近場の宿場町に到着した途端に雨が降り出した。他の客と同じように、この雨では山間の道を行くのは危ないと宿で待っていたが、雨は一向に止む気配を見せなかった。
宿では湯女で憂さをはらしていたが、流石に7日目ともなると辛抱堪らず、未だ雨は止んでいなかったが、女子の居る山間の寒村に向けて出発した。
膨れ上がった欲望の前には、危ないからやめておけという宿の者達の声は届かなかった。
「何か、後ろの山が、ゴロゴロと変な低い音を出してやせんか?」
「雷……?にしては稲光がどこにも見えませんし、山鳴りかもしれませんね。少し急ぎますよ、あと少しで峠の上の広場です」
「うへぇ!山鳴りは、山崩れの知らせって言いやす。峠の上に急ぎやしょう」
雨の中、峠に這う這うの体で、峠の上に辿り着き、ほっと一息。目の前に見える、峠を少し下った場所にある寒村を眺め、全員の欲望が胸一杯に広がったとき、足元の峠が、背中側に向かって一気に崩れた。
あっという間に、あいつ達は死んだ。人の身が山崩れに抗えるわけもなく、崩れる土石に巻き込まれ皆死んだ。
あいつは咄嗟に私の憑代を掴み、何かを言おうとしていたが、それも間に合わず、落石に吹き飛ばされ死んだ。
下手に願いでも言われれば、助けなければならかったし、それか下手な遺言でも残された日には、死んでもなおあの畜生に縛られるところだった。今から思えば、ここの山の神が、私を憐れみ助けてくれたのかもしれない。
あいつとの戒めが解けたその夜、何故かあいつの屋敷と倉が焼け落ちた。倉などは、あいつの嘘の証文と共に焼け落ち。袖の下の事を知っている者、役人達共も、何故か同じ日に火事で焼け死んだ。不思議な事もあるものよ。
屋敷に残っていた手下共も、いきなり火の手を上げた屋敷の火が、何故か燃え移った蔵の中で、焼け死んだ。主人不在のその夜、扉を開けたまま蔵の奥で、何やら必死に形相何やら探していたそやつらは揃って蔵から逃げ出せずに焼け死んだ、これまた、不思議なこともあるものよ。
火事の後、真っ当な商売を殆どしてこなかったあいつの身代は、それこそ坂を転がるように傾いた。そりゃぁ、見事な程に。悪銭身に付かずとは良く言ったものよ。
誰かに騙し付けた戒めや、呪いが無くなれば、当然、その反動はある。人を呪わば穴二つ。呪えば、呪い返される。それだけだ。あいつ達はその報いを受けた。それだけの事よ。
このまま、山間の土に埋もれ、草木に埋もれ人より忘れ去れるのも悪くはないと思っていた。私の憑代は、見える者には見えるが、見えない者には単なる細長い石の様にしか見えない。
「なんじゃぁ?この小さな人形みたいな石は?」
「どしたー?何かあったかぁ?」
「うん。父ちゃん、なんじゃ、人形の様な石を見つけた」
「うん?人形にも見えん事もないが、なんじゃ、不思議な色の石やな?」
「なんやろうかぁ?」
「分からんが、山の神様がお前にくれたものかもしれん、大事にしぃ」
私の憑代を見つけたのは、何の因果か、あいつが、嘘の証文で借金の形にする筈だった寒村の女子、あいつが狙っていた女子だった。それが、この娘との最初の出会いだった。
「お前、私が見えるのか?」
「見えるけど?」
私は普通の者には見えぬ。どんな輩なら、私を見る事が出来るのかは知らぬ。見える者には、善人も居れば、この前の様な悪人、畜生道に堕ちている者も居る。私が選ぶことは出来ない。
私の使い方を知った人間は、最後は欲に塗れ、薄汚い魂になって死んでいく。この女子もそうなるだろうが、私は聞かねばならない。聞きたくはなくても、口が勝手に開き、言葉を紡ぐ。私が産まれ出でた時に課せられたこの呪いが解ける事はない。
「見えるのだな。では、おぬしは望めば万の富を得られるぞ?何度でも望むが良い」
「万の富?金持ちになるゆうことか?」
「そうじゃ、望めば、望むほど金を、富を得られるぞ?」
「なんや、見返りが必要になるんやろ?」
「見返りは要らぬ。おぬしが私を見る事が出来る。それだけで願う権利があるのじゃ」
「そうかぁー、富なぁ?私は頭が良うないから分からんけど……、そやなぁ……。父ちゃん、母ちゃんに、兄ちゃんに、姉ちゃん、弟に妹……」
「そ奴等にも富を分けることができるぞ?」
「うーん。とりあえず腹いっぱい食えるようになるだけで、今は、ええよ」
万の富を得られる私を前にして、目の前の富よりも、家族全員が腹いっぱい食える方を選んだのはこいつが始めてだった。
「万の富に囲まれて、街に住みたくはないのか?」
「私は、そんなに頭が良うないし。そんなに金を持っとったら、騙され、盗られて終わりや思うし。そんなことより、兄ちゃんに嫁と、姉ちゃんに旦那さんが来ないか、そっちの方が大事やし」
「ほう?ならば、兄と姉の問題が片付けば、万の富に囲まれて、街で暮らすのか?」
「ええ?街に行くなら、兄ちゃんも、姉ちゃんも、家族全員で行きたいわ。私だけ街に行ったら、騙されて終わりや」
頭が緩いのか、本当に何も考えていないのか、富を掴ませるのが私の呪いとは言え、こいつには苦労させられた。
腐っても妖の私が負けるわけにはいかぬ。嫁?旦那?家族全員で街暮らし?舐めて貰ってはこまる。
「なんで、あの人は、私みたいな農民の娘で良いって言うんやろ?そりゃ、足軽の三男坊やから農民と変わらん言うても、あの人の父ちゃんは、足軽大将様や、立派なお侍さんやのに……」
そりゃあ、私が苦労したからな。
「気にしても、仕方なかろう?お前だけではなく、家族全員を街に呼んでくれているのであろう?何を悩む必要がある?」
ああ……、どれだけ私が苦労したと思っているのだ?村に偶然来た三男坊、それがお前にくぎ付けになった瞬間。天啓を得るとは、まさにあの瞬間を言うのだ。
小さな運命を、散々苦労し、根回しして、あの手この手であいつの家族の心を動かし、やっとここまできた。本当に手のかかる友だことよ。
「そやけど、街に行っても大丈夫やろか?」
「安心しろ、私が付いている。ああ但し、私が見えることは、今と同じように内緒だぞ?」
街はこの寒村と違って商いがある。商いがあるということは、富が動く。富が動けば、こやつが万の富を得ても勘繰られない。嗚呼……やっと、こやつを富に溺れさせるという呪いを行える。
「程々が、一番。皆が腹いっぱい食えるんやったら、それでええんよ」
結局、こやつに呪いを上手くかけられぬまま、こやつの命の灯は、あと僅かで消える。
妖より先に人は身まかる。それがこの世の理と言え、胸が締め付けられる様に感じる。これが哀しみという感情なのかもしれぬ。
「お前は、私の友なのだ。何か餞別を渡したいと思うのも、この世の理であろう?」
「それはそうだけど……」
「であろう?だからこそ、子孫累々の繁栄を約束してやろうというのだ!」
「だから……。わかった、じゃぁお願いしようかな?」
「おお!そうか!では」
「ちょっと待って、今から言う条件であればだから」
こいつは、最後まで馬鹿で、お人好しで、そして友だった。
「それでは、お前の子孫累々が富を得られぬではないか?!」
「やぁねぇ。間接的には得られるじゃない?それにこれなら、貴女はもう二度と『おぬしは望めば万の富を得られるぞ?何度でも望むが良い』って言わなくても良くなるのよ?富は勝手に配られる。貴方は時々、富が配られているか確認するだけ。もう、ゆっくり生きなさいな」
友が居ないこの世に未練はないが、友がくれた千億の夜を楽しむのも良かろう。
おうよ、お前の子孫を見守ろう。この約定が全て破られ消え去るまで、見守り続けようぞ。