とあるエージェントの独白
「……随分と暗くなってしまったな。早くシゴトを済ませるとしよう」
王都の大通り、『竜の足跡』に設置された魔導蝋は一層輝きを増す。
寒空の下、淡い光に導かれた民草たちの喧騒は、闇夜に暮らす私にとって無邪気な雑音に過ぎない。
酒樽を豪快に飲み干し、景気よく笑い声をあげる王国兵。
露店を構え、魔物の革を売る熱心な商人。
祈りの言葉を述べ、神に祈りを捧ぐ修道女。
娼館にて春を売る淫魔ども。
未知の魔道具の解析に力を注ぐ魔導士。
隠された黄金を探し、命をかける盗賊ども。
……ここにいる人々の顔には恐れや不安は見て取れず、日々急速に発展していく暮らしぶりが永遠に続くと信じきっている様だ。
こうして夜も眠らぬ王都を見ていると、つい十年ほど前まで、人類と魔族が互いの存亡を掛け、戦争をしていたのが嘘の様に感じられる。
しかし魔物の進軍は決して夢物語ではない。それこそ数年ほど前はこの王都まで魔物は攻めてきていたのだ。
私は戦場となった王都で愛する母と幼い妹を亡くした。
そんな凄惨を極めた戦争は、勇者と六人の英雄たちの鬼神のごとき活躍によって終結した。
しかし、我が国の誇りだった勇者は、魔王との戦いで死んでしまったが。
「しかし、王都は本当に発展したな。豊かで平穏な時代になったものだ」
「そうだわ。偉大なる勇者と賢王に乾杯ッ」
店のテラスで酒を楽しんでいる頭のゆるそうなカップルは、平和な世界を心の底から信じ、祝っている。
呑気なものだ。今の王国は仮初の平穏を享受しているのに過ぎないのに。
魔族との戦争が終結した今、王国では新たな戦争が水面下で行われている。
勇者が死んだ今、六人の英雄たちは袂を分かち、各々が王国の覇権を狙い、日夜、冷たい戦争が繰り広げている。
この冷たき戦争の中では私の一つの駒に過ぎない。闇夜を駆け、権力者を暗殺する魔導騎士。それが私だ。
☆
『竜の足跡』から外れ、裏路地に入ると魔導蝋の灯りは消え、手柄話や無駄話と言った雑音は聞こえなくなる。
代わりに負傷し行き場を無くした傭兵崩れの不景気な話や浮浪者の喚き声。裏路地で生まれた薄汚い子供の泣き声が耳に障る。
光があれば当然、同等の闇が生まれる。王都の発展と引き換えに裏路地にはスラムが形成され、世間様や憲兵、月の光さえ遮る漆黒が広がっているのだ。
しかし、そんな漆黒はわたしの様な魔導騎士にとってはむしろ都合が良く、これまでも数々の人間をここで葬ってきた。裏路地は冷たき戦場であり、私の職場だ。
そんな薄汚いこの場所に似つかわしくない少女が独り、眉を潜め、怯えながらたたずんでいた。
手入れの行き届いた長いブロンドの髪に、紅玉の瞳を持った気品のあるお嬢様。
名前をリーゼロッテという。この少女こそ今回の暗殺対象だ。
なぜ無辜の民である生娘の命を狙う事になったのか?
ふっ、悪いが私は回答を持ち合わせていない。ただ、所属している『ミリノ魔導学院』がそう判断したからである。
私は魔導騎士として与えられた役割を全うするだけだ。
私には帰りを待つ恋人がいる。何もなかった私に居場所を与えてくれた存在。そんな彼女と過ごす平穏を保つためならば、汚れ仕事も甘んじて受けよう。
懐に忍ばせた短剣を手に取って、準備は万端。私はなるべく優しい声で彼女に呼びかけた。
「やあ、待たせたね」
「……あなたは?」
父親から貰ったと見られる小熊のぬいぐるみを抱きしめ、こちらを睨んでくる。
知らない人をきちんと警戒しているところを見ると、父親の教育が行き届いていることようだ。あの父親らしい。
ならばその警戒感を和らげないとな。
「私かい? 私は君の父さんの親友さ。君をお迎えに来たのさ。さあ、こっちにおいで」
リーゼロッテは大粒の涙を蓄えながら私のそばに近づいてくる。いい子だ。なるべく楽にあの世に送ってやろう。君の父親と同じように。
私が短剣を引き抜き、リーゼロッテの首を切ろうとしたその時。
「――やっと来たか。待ちくたびれたぞ。魔導騎士」
返事をしたのはリーゼロッテでは無く、男の低い声だった。
リーゼロッテは謎の声に戸惑い、その場で身を屈めて動かなくなってしまった。
クソッ、あと少しだったというのに。
私は急いで声の主の姿を探すが、視認出来ない。まずい事になった。あの声は闇に潜む同業者が纏うどす黒き殺気が混ざったものだ。
何年もミリノ魔導学院に仕え、冷たき戦争に従事して来たが、声だけで鳥肌が立つ相手とはこれまで一度たりとも遭遇した事は無い。
懐の魔導書を開き、灼熱魔導を小声で詠唱しつつ、急いで声の主の居所を探す。早く正体を掴まねば戦いようがない。
「貴様ッ、どこの回しものか! お互い闇夜に潜む者といえど騎士であろ――ウガァッ」
『う。名乗りをあげろ』と言う前に、耳が肉が切り落とされる不快な音を捉えた。それと同時に鈍い痛みが首筋を襲い、視界が地に落ちていく。
「名前? 閻魔への手土産に教えてやる。俺の名はシノブレイブ。闇騎士殺しだ」
ああ、畜生。なんて事だ。ホントに存在したのか。どの勢力にも属さない独立諜報機関の影騎士にして、影騎士殺し。シノブレイブっ。
私は恐怖のあまり思わずまぶたを閉じた。しかしそれきり目を開けることは出来なかった。