86話
兵士長さんが最初に捕まったのは結構予想外だった。
フェルシーナさんより強そうだから、ここで捕まえられたのは願ったり叶ったりなのだけれど。
それほどまでに、鏡と光の迷路で消耗していた、ということなのかな。
鏡と光の迷路は、予想以上に兵士達を消耗させているらしい。
テレビもゲームも無い世界の人達だから、余計になんだろうけれど、それにしてもびっくりするくらいみんな光酔いしている。
特に、さっきお酒で少し酔い気味になっていたような人達は、光酔いで大変な事になっている。
そういう人達を選んで落とし穴を作動させていけば、案外さくさく兵士の数を減らしていくことができた。
……ただ、悪い意味で予想外だったのは、フェルシーナさん達の精神力だった。
恐らく、体調はかなり悪化していると思う。
点滅する光と光を反射する鏡によって叩き込まれる刺激は、間違いなく頭痛や吐き気を引き起こしている。
しかし、それをおして、フェルシーナさん達は慎重に進んでいた。
落とし穴を探し、探し当て、回避して通った。
うっかり引っかかってしまった仲間を瞬時に救い出し、ギリギリセーフを叩きだしたことも数度。
フェルシーナさんとマリポーサさんは、最早、精神力だけで動いているらしい。
それほど、兵士長さんを失ったのが効いたのかな。
そうしてついに、フェルシーナさん達は迷路を抜けてしまった。
迷路を抜ける兵士が出てくることは予想していたけれど、結局、フェルシーナさん率いる50人以上が迷路の出口に辿り着いている。
消耗は予想以上にしてくれたのだけれど、落とし穴にちゃんとかかってくれた兵士は予想より少なかった。
いくらなんでも、50人を一度にまとめて相手するのは流石に少し辛い。
……辛いけれど、この先にあるのはバトルフィールドと、落とし穴から来た人達をスライムが待ち構える個室だけ。
戦って食い止めるしかないかな。
個室の1つでは、落ちてきた兵士長さんが大分がんばっていたけれど、ようやく巨大スライムが兵士長さんを落としたらしい。流石に呼吸しなくても意識を保っていられるような怪物じゃなかったか。よかった。
あとはゴーレム達が兵士長さんをパノプティコンの独房に放り込んでくれるだろう。
だから私は安心してフェルシーナさん達の迎撃に……。
……いや。
折角だから、違う使い方をしようか。
「ちょっと、その人は別にしておいてくれないかな」
+++++++++
足下の床が消えた。
そう思ったものの、咄嗟に踏み出した脚は空を踏むばかり。
ぞわり、と背筋を抜ける落下の恐怖に続いて、意識の片隅で確かに『死』を予感した。
「兵士ちょ」
伸ばした手が、読んだ名が、空しく何の意味も無く、取り残される。
だが、それらはほんの一瞬の後の衝撃によって全て掻き消える。
衝撃を受けて吹き飛んだ体は確かな床にぶつかり、そして、私は……私は、見た。
「兵士長!」
私の代わりに『死』へ吸い込まれていく兵士長の姿を。
兵士長が何か言いながら落ちていき、床は再び、何事も無かったかのように元通り、滑らかな姿に戻った。
「兵士長」
勿論そこに、兵士長の姿は無い。
「兵士長……兵士長!兵士長!」
なにか悪い夢のような気がして、私は滑らかな床を叩く。
しかし、床はただ何もなく、滑らかに平らなだけ。開く気配は無い。床の下にあるはずの、大切な人の気配も、また。
「フェルシーナ、落ち着きなさい!」
床を叩く私の肩をやや乱暴に掴んで引き戻したのは、マリポーサだった。
「フェルシーナ、落ち着いて、落ち着いて……!」
落ち着いて、と言う割に全く落ち着いていないマリポーサの声を聞いて、姿を見て……ようやく私は、我に返った。
「フェルシーナ、フェルシーナ……」
「……大丈夫だ、マリポーサ」
今度は逆に、私がマリポーサを落ち着かせるように両肩を掴む。
「大丈夫だ」
「……ええ」
一度強めに揺さぶれば、マリポーサも落ち着いたらしかった。
混乱している兵士に、声を掛ける。
「足元に気を付けろ。落とし穴がある。細心の注意を払え。……進むぞ!」
強く声を張れば、兵士達は困惑し、混乱しながらも……意志を新たに、私達の後ろへ続いてきた。
……兵士長が落ちていった床のあたりを避けながら。
兵士長がいなくなっても、私達が逃げるわけにはいかなかった。
セイクリアナは私達が守る。
魔物の襲撃があったこのダンジョンがセイクリアナ市民にとって安全な場所ではなくなったことは確かなのだ。
早い内に叩いてしまわねば、いずれこのダンジョンは中で魔物を増やし、セイクリアナの町を襲うだろう。
そしてその時、セイクリアナは滅ぶ。
……テオスアーレを滅ぼした『メイズ』が今回の犯人なのか、それともまた別の誰かなのか。
それは分からないが、少なくとも、今回の魔物の襲撃は『メイズ』となんらかの関係がある。
だからこそ、セイクリアナがテオスアーレのように滅ぶ可能性が色濃く見えているのだ。
……進まねば。
進まねば、セイクリアナは、滅ぶ。
何故か、確信のようなものが私の中にあった。
そしてその確信は、私を突き動かす力となる。
……もしかしたらその確信は、兵士長の死を考えないようにするための妄想、だったのかもしれないけれど。
しばらくすれば、迷路を抜けることができた。
そして、迷路を抜けた先でしばらく待てば、分断された仲間たちと合流することもできた。
出口に辿り着くより先に入り口に辿り着いた者達は、指示通り迷路の入り口で待機しているのだろう。
……この迷路を引き返して彼らと合流するのは得策ではないな。
「進むぞ。気を抜くな」
休憩をとった後、私達は階下へと続く階段を下りていった。
先ほどの色とりどりの光は消え、しかし、その代わりなのか床や壁が色とりどりに塗られていた。
子供が好みそうな、無秩序で色とりどりな水玉模様。
明滅する光には到底及ばないが、これも見ていて頭の痛くなるような模様だ。
「早かったですね」
……そして、その色とりどりの床の上に佇んでいたのは、小柄な少女の姿だった。
「……メディカ?」
その姿はよく知るワルキューレのものとよく似ていたけれど、立ち居振る舞いが違いすぎる。
鎧姿が堂に入っていることもさながら、ただ立っているだけの姿勢に、隙が無い。
剣を握る両手は無防備に下ろされているのに、下手に斬りこんだら殺されそうな、そんな鋭さを孕んでいる。
「いや……『メイズ』か?」
私の言葉に、少女は眉を上げて少々驚いたような表情をしてから、すぐ、にっこりと笑みを浮かべた。
「さあ、どうでしょう」
そして、少女は……剣を、納めた。
「どちらにせよ、今、私があなた達に要求することは1つです」
「……なんだ。金か?名声か?それとも、人間の生き血、なんて言わないだろうな」
私は警戒を怠らず、剣をいつでも抜けるように構えながら、続きを促す。
話を引き延ばし、その間に奇襲の準備を整え、不意を突く為に。
軽く目くばせすると、マリポーサは私の考えを汲んで、1つ頷いた。
私達は兵士長に、言われているのだから。『見つけ次第殺せ』と。
……そうして、たっぷり1呼吸の後、少女は笑顔のまま、続けた。
「王を、連れてきてください。聞きたいことがあるのです。さもなくば、この下に閉じ込めている600人の……」
しかし、その言葉は最後まで発されることなく途切れた。
「《電光石火》!」
プレディが鍛え抜かれた技を使い、目にもとまらぬ速さで少女に肉薄する。
一瞬の内に剣先が迫れば、流石に少女も話などしている場合ではない。
少女の剣が動いてプレディの剣を弾くと、少女は続いて反撃に出て……。
だが。
「《ファイアフライ》!」
「《ツイスター》!」
「《スプラッシュ》!」
プレディの攻撃は、陽動だ。
本命は、兵士達が一斉に使う魔法。
何種類もの魔法が合わさり、複雑な1つの魔法と化して少女に襲い掛かる。
プレディへの反撃に気をとられていた少女には、到底対処できないタイミング。到底対処できない威力。
メイズでもメディカでも、決して対処できないであろう魔法が炸裂し、轟音を上げた。
そして、魔法の残滓が薄れ、部屋の中を見通せるようになった時……私達の目には、信じられない光景が映った。
「もう一度言います。王を連れてきてください。私は聞きたいことがあります。王を連れてこないのならば、この下に閉じ込めている600人余りの市民を、殺します。……それから、あなた達の仲間である兵士達も何人か捕らえました。彼らも殺します。……このプレディさんみたいにね」
数多の魔法を受けたはずなのに傷1つ見せず、少女は……ワルキューレという魔物は、そこに立っていた。
その細腕に剣を握って。
……その剣はプレディの腹を貫いて、切っ先から赤い雫を滴らせていた。
剣が引き抜かれ、プレディの体が崩れ落ちた。
「突撃!あの化け物を殺せ!」
何を考えるよりも先に、私はそう叫んでいた。
私を動かすものは恐怖なのか、それとも理性なのか。
……どちらにせよ、1つの戦術としては正しかったはずだ。
魔法は効かなかった。しかし、マリポーサの剣への対処はしていたのだから、剣による攻撃なら効く可能性が高い。複数人で襲い掛かれば、尚更。
そう思って、誰よりも先に一歩踏み出し、そして。
「っ!?」
踏み出した足が、前へ引きずられた。
咄嗟に体勢を立て直そうとしたものの、体ごと前へ引きずられ、その場に膝をつくことになった。
……こうなったのは私だけではなかった。
「床が動いているぞ!」
「ま、回って……!?」
床に描かれた大柄な水玉模様。
その水玉の円1つ1つが、くるくると回転しているのだった。
動く床のせいで、動こうにも勝手が違う。
さらに悪いことに、回る水玉の床の1つ1つ、回転の速度や向きが異なるのだ。
動く床から逃れて踏み出した足は、より速い速度で動く床に持っていかれる。
これではまともに戦うこともできない。
……動くことすら、難しい。
「ぐっ!」
「な、なんだこれはっ……」
動く床に翻弄されたその数秒の間に、ワルキューレは動く床をものともせず走り、兵士達数人を剣で刺し貫いた。
刺し貫かれた兵士達は蹴り飛ばされ、床に生まれた落とし穴の中へと吸い込まれていくか、或いは、部屋の奥の方へと魔法で吹き飛ばされ、その先で魔物の群れに囲まれた。
「動け!魔法を使え!床を止めろ!」
このまま動く床に翻弄されていては、相手の餌食になるだけだ。
私は魔法を使って床を凍り付かせ、回転を無理矢理止めた。
動かなくなった床を今度こそ全力で踏み、行く先の道を凍らせながら走り、ワルキューレの元へ迫る。
《ツイスター》で風の踏み台を生み出して、一気に跳躍し、ワルキューレの首に剣を叩きこもうとしたところで……。
「くっ!」
横から、巨大な振り子のようなものが勢いよく迫ってきた。
間一髪、なんとか避けるが、今度はワルキューレの剣が私に迫る。
「フェルシーナ!」
しかし、私に剣が届くことは無かった。
私とワルキューレの間に割り込んだ者が斬り裂かれ、派手な血飛沫を上げた。
「姉さん、無事?」
そう言って笑いながら、マリポーサが笑って、その場に倒れた。
永遠にも思える程ゆっくりと、時間が流れていく。
マリポーサの体から血が抜け出し、その場に血だまりを作っていく。
マリポーサは動かない。
動かない。
マリポーサの睫毛が震え、その目が、閉じられた。
唯一の家族であり、双子の片割れであり、信頼できる相棒だった。
いつだって一緒に戦ってきて、いつだって勝ち抜いてきて、ああ、いつも大きな仕事を終えた後には、行きつけの喫茶店に行って、一緒に季節のケーキと紅茶を頼んで、終わったら一緒に家に帰って、広い家の中、2人だけで食事を作り、買ってきた高めのワインを開け、祝杯にして……。
自分の一部のようだった。
マリポーサは、私の一部のようだった。
私よりも出来が良かったかもしれない。私よりも少し不真面目で、でも観察眼に優れていて、剣は私の方が少し巧かったか、いや、でも魔法はマリポーサの方が巧かった。
前回、2人で手合わせした時はマリポーサが勝って、『次は負けないからな』と言ったのに。言ったのに。
もしかして、もう二度と、『次』は無いのではないか。
気づいてしまった時、体中が燃えるような、凍るような、激しい感覚が襲い掛かってきた。
視界が歪んで、頭の中が真っ白になって……そして、私はただ、思ったのだ。
『目の前の化け物を殺さなくては』と。
「っ!」
気づいたら体が動いていた。
いつもよりずっと軽い体は思い通りに動き、いつもよりずっと速く剣を振るう。
速く重い一撃を受け止めたワルキューレは、初めて表情に焦りのようなものを浮かべた。
防戦一方になるワルキューレに対して、攻撃を繰り返す。
押して押して押して押して、殺して殺して殺して殺す。
それ以外何も考えずに、ひたすら剣を振り、剣を振り、剣を振った。
周りなんて見なかった。
ただ、何故自分がそうしたいのかも分からないまま、目の前の化け物を殺すべく、剣を振り続けた。
「っあ」
そして、ついに好機が訪れた。
私の剣を受けたワルキューレは重さに耐えかねて数歩、たたらを踏んだ。
その時剣が下がり、確かに隙が見えた。
……いける。
私は確信をもって、全力で、ワルキューレの首に向けて剣を振るった。
ワルキューレの前で、床が開く。
そしてそこから現れたのは……。
「兵士長!?」
拘束され、鉄の杭に縛り付けられた兵士長が、割れた床から現れた。
兵士長の、見開かれた目と、目が合った。
私は咄嗟に、剣の軌道を変えざるを得なかった。
兵士長を斬る訳にはいかない。
大ぶりな一撃は兵士長にもワルキューレに届くことなく、不自然に逸れて床にぶつかる。
「フェルシーナ!危な」
剣を引き戻そうとしたその時、兵士長の声が聞こえ、そちらを向く。
私は兵士長の影から繰り出された剣が、私へと迫るのを見た。
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