85話
このバトルフィールド、特に特筆することも無く、ただ、私とトラップがあるだけの部屋だ。
……強いて言うならば、今回はより私=ダンジョンという事を意識した作りになっている。
今回の敵は、少数精鋭じゃなくて大勢で一気に来るだろうと思われる。
また、私は彼らをただ殺すのではなく、きちんと生け捕りにして独房に入れる、という事が目的だ。
それに即して、『致命傷にはならないけれど避けにくい』というようなトラップを多くした。
さて、あとは、彼らがどのぐらいB5の光と鏡の迷路で消耗してくれるか、かな。
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「……それでは、兵士長。ご命令を」
先ほどまで『幸福の庭』の概要について話していたフェルシーナ・バイラがそう言って、私に場を譲る。
フェルシーナ・バイラと入れ違いになる形で兵士達の前に立つと、300名の兵士達の視線が一身に集まる。
「諸君らの中には、この『幸福の庭』に来ていた者もいるだろう。この『幸福の庭』で、メディカという魔物と親しくしていた者も多いかと思う」
兵士の一部が、やや気まずげに視線を逸らしたのが見えた。
「ああ、責めているのではない。……ただ、肝に銘じておけ。これから我々がこの『幸福の庭』でメディカに遭遇したとしても、それは敵だ」
私の言葉に、兵士達が緊張した。
姿勢を正し、或いは、緊張に顔を強張らせ……そこにあるのは、今まで懇意にしていた者を殺すという覚悟への逡巡か。
「……我々が手に入れた情報によれば、メディカには姉が居たという。そして、メディカはその姉からセイクリアナを守れ、と言い残して連れ去られた。……その姉の容貌を知るものはこの中に居ないが、妹とよく似ている可能性は高い。気を付けろ」
そんな兵士の覚悟を鈍らせることになるかもしれないが、兵士達の逃げ場となるように、そう、情報を付け足した。
硬いだけの鎧は脆い。
柔軟に、衝撃を『逃がす』鎧こそが最も強いのだと、私達は良く知っている。
それは人間の心とて、同じだろう。
壊れないように『逃がす』ことも必要だと、私は考えている。
「だが万一、この先に居たのがメディカ本人だったとしても、連れ去られたはずの者が居たなら、それは敵だ。見つけ次第、迷わず殺せ。……以上だ」
彼らの心をより柔軟にした上で、彼らの意志をより強固にしよう、と言葉を重ね、兵士達の瞳が強い意志を湛えた事を確認し、私は挨拶を終えた。
「兵士長」
隊列の確認が始まってすぐ、フェルシーナ・バイラがやや焦ったように駆け寄ってきた。
「……兵士長。メディカおよびメディカに似た人物を見かけ次第『迷わず殺せ』と仰っておられましたが……ストケシア姫は、『できる限り殺さず生け捕りに』と要望を出されていたのでは」
……確かに、滅びたテオスアーレから亡命してきた王女であるストケシア・テオスアーレ姫は、『メイズ』というらしい……恐らく、『メディカ』の姉であろう、と思われる者を『できる限り殺さず生け捕りにしてほしい』と要求してきている。
「『できる限り』だろう。……それに私は、戦う事もできぬ亡国の姫の言葉より、我らがセイクリアナの安全の方が余程重要であると思うがな」
だが私は、ストケシア姫の要望を叶える気は元より無かった。
戦う事をしない姫君には分からぬのだろうが、『生け捕り』は、『殺害』より難しい。
相手が強ければ強いほど、難しくなる。
……ましてや相手は、テオスアーレを滅ぼした張本人の可能性すらあるのだ。
そんな相手に対し、悠長に『生け捕り』などと考えていたら、我々に危険が及ぶ。
そして、万一相手を逃がした場合、セイクリアナがテオスアーレの二の舞になる事も考えられるのだ。
セイクリアナの事を第一に考えれば、ストケシア姫の要望を叶える選択肢など、最初から消える。
「……出過ぎた事を申しました」
フェルシーナ・バイラはセイクリアナの、そして兵士達の安全について思い至ったのだろう。
目を伏せ、小さな声で謝罪した。
「構わん。……あまり思いつめるな、フェルシーナ・バイラ。……無理はするなよ」
フェルシーナ・バイラへ、そう声を掛け、やや表情を緩める。
「はっ。ご心配には及びません。必ずや、セイクリアナの為、市民の為、お役に立ってみせましょう」
フェルシーナ・バイラは私を見て、表情を明るく不敵に引き締め、完璧な敬礼をして見せた。
その瞳にはもう、迷いなど無かった。
フェルシーナ・バイラはマリポーサ・バイラと共に、最年少で中央所属の隊長・副隊長となった優秀な兵士だ。
だが、それ以前に、私にとって妹か……或いは、最早娘と言っても良いくらいの、若い娘でもある。
優秀だが精神的にどこか未熟なところのある彼女には、何かにつけて目をかけるようにしている。
……どうにも、甘くなりがちだと、自覚してもいるが。
隊列を整えた兵士達を先導し、私は真っ先に『幸福の庭』の内部へと足を踏み入れた。
「……酷いな」
そこにあったのは、惨劇の爪痕。
ひっくり返された卓、潰れた菓子。飛び散ったグラスの破片。酒瓶は割れ、そこに酒の水たまりを作り、それは半ば乾きかけてすらいる。
確かにあったはずの平穏が、一気に覆された。そんな痕跡が残っていた。
「足元に気を付けて進め。罠やモンスターへの警戒も怠るなよ。もうここは我々の知る『幸福の庭』ではない」
だが、こんな祭の残骸すら、罠かもしれないのだ。
私達は警戒を怠らず、下り階段へと向かって行った。
地下2階も同じような有様だった。
慌ただしく退けられたのであろう卓や椅子が乱雑に寄せられ、割れた皿やグラス、零れた飲み物の類はそのままになっている。
恐らく、市民達が奥へ奥へと避難していく時に荒れてしまったのだろう。
「……奥へ逃げ込んだ市民達は、無事でしょうか……」
兵士が誰か、そう呟いたが、誰も言葉を返す者は居なかった。
……この兵士達の中にも、家族や友人がこの『幸福の庭』の祭に来ていた、という者は多い。つまり、家族や友人がこの奥へ避難して、そのまま出てこない、という者達だ。
だが……だが、避難した市民達の無事を信じられるほど、私達は楽天家では無い。
テオスアーレの時は、ダンジョン内に避難していた一般市民達も容赦なく殺されたと聞く。
ならば……今回も、また。
「無事に決まっているだろう。我々の任務は、このダンジョンを動かす何者かを討伐する事、そして、市民を救出する事だ」
だからこそ敢えて、私はそう口にした。
信じねば、進めない。
家族や友人を『殺した』何者かの討伐だけを目指して進むより、家族や友人を救うことを目指して進んだ方が余程、士気が上がる。
希望を信じねば。……復讐だけでは、我々はいつか、立ち止まってしまうのだろうから。
地下2階も終わり、地下3階へと足を踏み入れる。
「私達もこの奥へは入った事がありません。……メディカは、この奥に、主が休んでいるのだと、言っていましたが……」
フェルシーナ・バイラの言葉に、兵士達が緊張するのが分かった。
ここがもう、決戦の場なのかもしれない。
少し進めば、重厚な扉が見えてくる。
ここが、そうなのか。
「……気を引き締めろ」
兵士達にそう伝え、私は扉と向き直る。
「では行くぞ。……突入!」
そして一呼吸の後に扉を破り、中へと雪崩れ込む。
私達はそこで、一連の事件の元凶と対峙し、戦闘へ突入するはずだった。
……だが、そこにあったのは、奇怪な光景だった。
「……な、なんだ、これは……」
重厚な部屋だった。
毛足の長い絨毯は踏み心地も柔らかで、さぞ高級な品なのだろうと思われた。
天井から下げられたシャンデリアは水晶を惜しみなく使ったものであったし、室内を見渡す限り、まるで王族の居室なのだろうか、と思わされるほどに重厚かつ品の良い調度ばかりであった。
……そして、その中でもひときわ目立つのが、寝台だった。
ふんわりとした天蓋が掛けられた寝台は大きく、人が3人はゆうに寝そべることができるであろうと思われた。
だが、そこに眠っていたのは、1人……いや。
「骸骨……だと……?」
思わず漏れた声に、つられて覗き込んだ兵士達が顔をゆがめる。
寝台にあったのは、1人分の、人間の骸骨であった。
「ま、まさか、もうここの主は、殺されて……?」
丁重に寝台に寝かされた骸骨。
余りにも不気味で、この部屋にそぐわぬ代物に、思わず衝撃を受けるが……警戒しながら近づいて、よくよく観察してみれば、その骸骨は、少なくともここ数日のうちにできた代物ではないであろうという事が分かった。
「……いや。恐らく、この『主』はこの寝台に寝かされた時から既にこの姿なのだろう」
そして、骸骨は恐らく、寝台の上で骸骨になってそのままにされている訳ではない。
骸骨になってから、この寝台に寝かされたのだろう。
掛け布や枕の具合を見る限り、そのように思われた。
「な、なら、メディカは、骸骨を主だと……?」
「メ、メディカちゃん、何を考えていたのかしら……?」
メディカを良く知るフェルシーナ・バイラとマリポーサ・バイラの姉妹は、寝台の上の骸骨を見て、傍目からも分かる程に動揺していた。
「……『ご主人様が寝ていらっしゃるので』と、メディカは言っていたが……」
「あの時にはもう、多分、この骸骨は骸骨だったのね……?」
バイラ姉妹は顔を見合わせて、不可解なものへの疑念と恐怖の入り混じった表情を浮かべた。
「な、なら、メディカは……この骸骨を、ご主人様、だと、言っていた、のだろう、か……?」
「……もしかしてメディカちゃん、ご主人様が死んでしまった事に気付いていなかったの……?い、いえ、もしかしたら、ご主人様の死を認められずに……!?」
「落ち着け」
珍しく取り乱すバイラ姉妹を宥めると、2人ははっとして、気まずげに私を見た。
「これも敵の罠かもしれない。この骸骨がメディカの言うご主人様である証拠もないぞ」
「……そ、そう、よね……」
「ああ……『メイズ』が仕掛けた罠、かもしれない……」
……だが、私自身も、不可解に思う事は確かだ。
骸骨の主人、か。
……これも罠なのか、それとも、私達は一連の事件の真相に迫ろうとしているのか。
それすら、雲をつかむようにはっきりしないのだった。
結局、その部屋には他に何も無かったので、私達は部屋を出て、更に奥へ進むことになった。
兵士達は先ほどの骸骨によって幾分士気を失っていたが、それでもまだ十分、気力を保ってもいた。
兵士達の捜索によって、やがて地下階への階段が見つかる。
「では……行くぞ」
ここから先は、本当に未知の領域だ。
油断せずにいこう。
地下4階に下りてすぐ、むせ返るような酒気が鼻をついた。
「わー、いいにおい」
「馬鹿か」
「……ちょっと、酔いそう」
「ああ、お前弱いもんね……」
兵士達がざわめくのも無理はない。
目の前にあったのは、巨大な池。
恐らく、この池に湛えられているものは、酒、なのだろう。
そしてここには酒の池以外、何もない。
「行き止まりか?」
「いえ、兵士長。池の底をご覧ください」
だが、一見行き止まりに見えたものの、池の底を良く見てみれば、池に隣接する壁に穴が開いている箇所がある。
成程、あそこから先へ進め、ということか。
「どうしますか、兵士長。これは我々を酔わせようとする敵の罠かと思われますが。火の魔法を使える者を総動員して干上がらせてしまうのも手かと」
……だが、この池を燃やし尽くすほどの労力をここで割くのも馬鹿らしい。
そもそも、この池に火を放って、我々が無事である保証もないのだから。
「いや……進もう。酒に弱い者には、水の魔法を使える者が水を提供してやれ」
少なくとも、敵は私達をこの先へ進ませようとしている。
なら、一度そこに乗ってやってもいいと考えたのだ。
どうせ、まだ私達は市民も、メイズもメディカも見つけてはいないのだ。
進んだ先で戦闘になることが予想される以上、魔法は温存させたかった。
それから、酒にも泳ぎにも強い者が偵察に行き、壁の向こう側の安全を確認したところで、全員、酒の池に潜った。
大掛かりな仕掛けにもかかわらず、あっさりと何事もなく全員が池を抜けることができた。
全員が池を抜けた事を確認し、水の魔法を使える者が酒を洗い流し、酒に弱い者に水を飲ませた。
「次の階へ進んだ所で少し休憩するぞ。……ここでは休むに休めん」
そんな有様だったので、一先ず、酒気から逃れるために次の階層へ進むことにした。
……のだが、それも失敗だったかもしれない。
「な、なんだこれは!?」
「うう、目が……目が……」
そこにあったのは、極彩色の光が明滅する、奇妙な光景だった。
「一応、迷路、なのでしょうか……?」
磨き抜かれた鏡でできた壁と天井は、派手な光を反射して益々派手に迷路を彩っている。
……いや、彩る、などという可愛らしいものではない。
「……休憩だ。全員、目を閉じるなりして休め」
目を開いていれば容赦なく極彩色の光がチカチカと襲い掛かり、頭の芯がかき混ぜられるような気持ち悪さを覚えた。
……いや、目を閉じていても、瞼の裏に映る光が、私達を消耗させたのだが……。
休憩を終え、私達は極彩色の光の迷路を進むことにした。
……だが、光の明滅を見ている内に、思考はぼやけ、緩い吐き気と頭痛に苛まれるようになってくる。
「へ、兵士長……これは、一度撤退を……」
「撤退するよりは先に進んだ方がいいだろう……」
しかし、私達はそれに対処することもできない。
兵士を交代で瞑目させ、多少、消耗を押さえる程度しか対処法が無かった。
……そんな状態で進んでいたから、だろう。
「うわっ」
不意に兵士の声が聞こえたと思ったら、私達が先ほど通ってきた道が、鏡の壁によって封鎖されていた。
「へ、兵士長!兵士長!」
「くそ、分断されたか!」
勿論、油断せずに消耗せず進んでいたからと言って、この大人数で分断を完璧に避けられたとも思えない。
しかし、消耗して思考が鈍っている分、混乱もまた大きかった。
「落ち着け、大丈夫だ!必ず出口がある!そちらにはもう道はないか!」
「わ、分かりません……ここは袋小路になってしまったので」
壁越しに聞こえる兵士の返答に、益々思考が掻き回されていく。
……だが、だが仕方あるまい。
私は掻き回された思考の中でも結論を出した。
「なら、他の道を探せ。元来た場所へ戻ったならば、そこで待機していろ。……くれぐれも、気を付けろよ」
「は、はい。……兵士長も、ご武運を……!」
私達は一度分断されてしまった以上、素直に分断され、互いに別の道を進むしかないのだから。
迷路を進むうちに、また分断され、また分断され……どんどん、私の周りに居る兵士は減っていった。
「兵士長、ここは一時撤退を考えた方が良いのでは」
フェルシーナ・バイラの言葉に、私は考える。
……確かに、ここまで分断されてしまっては相手と戦うにあたって心もとない。
だが、撤退しようにも、私達が元来た道は全て、封鎖されてしまっているのだ。
「いや……先へ」
だから、先へ進むしかない。
そう、伝えようとした時だった。
疲れ切った表情のフェルシーナ・バイラの足下で、何か、気配が動くのを感じ……咄嗟に、体が動いていた。
「兵士ちょ……兵士長!」
フェルシーナ・バイラを突き飛ばした私の体は、虚空に浮かんでいた。……床が急に、抜けたのだ。
くそ、落とし穴か!
「兵士長!」
しかし、私の体は下へ下へと引かれていく。どうすることもできない。
「お前達は生き残っ」
抜けた床に伴って落ちていく中、せめて声を掛けようと、そうしたものの……私の上空で、床は閉ざされ、辺りは暗闇に包まれた。
落下した私は、柔らかいものの上に着地した。
あたりは暗く、柔からいものの正体は分からない。
……だが、妙にぷにぷにと柔らかく弾力があり、瑞々しい手触り。
これは何か。
……そう考える前に、それが私を飲み込もうと私の体を沈めていることに気付く。
「く、そ、放せ、この」
剣を抜いて振るうが、効果が薄い。
暗くて相手が良く見えないが、斬っても斬っても、細かく柔らかな乾いた砂に杭を打ち込むような、そんな空しい感触しか得られないことから、恐らく相手にさしたるダメージは与えられていないのだろう。
そうして抵抗する間にも、私の体は柔らかな謎の物体へと沈んでいく。
腰、腹、胸、肩。
次第に沈んでいく体。
そしてそれが首、顎……顔にまで差し掛かった時、私は死を覚悟した。
ぷにぷにと柔らかな物体は私をしっかり包み込み、私の呼吸を妨げた。
息を吸おうにも、口も鼻も塞がれてしまってそれは叶わない。
息をしえない苦しみに悶えながら、しかし……霞む頭の隅で、この目に遭うのがフェルシーナ・バイラでなくて良かった、とも思っていた。
……つくづく、私は彼女らに甘くなりがちだ。
そう独りごち、私は意識を手放した。
セイクリアナの平和を、そして、年若い兵士達の無事を、祈りながら。
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