40話
さて。
私のダンジョンとしての目には、絶望に打ちひしがれる侵入者達の姿が見えるけれど、実は、まだ誰も殺していない。
焼却されたと思っただろうけれど、あれはフェイクだ。
ロイトさんから『ストケシア姫の近衛は5人居る』と聞いたから、侵入者を5つに分けることは決めていた。
お姫様が攫われたら、お姫様の近衛が助けに来ないわけがない。そして、5人がバラバラに来るとも思えない。
だからこそ、『5つに』分断する。
そうすることで、戦力を大きく分断できるはずだから。
……勿論、近衛の5人以外の兵士も来て、近衛以外の兵士が1人ずつバラけて残りは1か所に固まる、という事も考えた。
考えたからこそ、いいトラップを考えたのだ。
相手の仲間割れと戦意喪失によって生きのこった人達の戦力削減もできる、とっても楽しいトラップを。
邪神像の部屋はそれぞれ、重量を感知する床になっている。人がたくさん入ればその分重さを感知するし、重装備の人がいたら、その分重さを感知する。
そして、5つの邪神像にそれぞれ指定された言葉が捧げられた時、『最も重い部屋』は封鎖される。中からも外からも開かなくなる。
……そして、残り4つの部屋には、下り階段と石板が現れる。
『この石板は封鎖された部屋以外の4つの部屋全てに現れる。残り4つの部屋の内どこかの部屋が封鎖された。今から3分後にその部屋は炎に飲まれ、中に居る者は皆燃え尽きるであろう。彼らを助けるならば、この部屋に居る者全員で先へ進め』。
そして、階段の先には……宝の山がある。
今日までに作り溜めた人工宝石の他、侵入者の剣や鎧(白金だったり金だったり銀だったり)を潰して作ったアクセサリーが『大量に、かつ無造作に』置かれている。
宝の山の奥には、また石板がある。
『燃え尽きる運命にある者を救わんとするならば、石板に触れよ。ただし邪神の宝を盗むことなかれ』。
『4つの石板が触れられ、邪神の宝が何1つとして盗まれなかったならば、燃え尽きる運命は変わるであろう』。
『この石板は封鎖された部屋以外の4つの部屋全てに現れる』。
……と、こんな具合だ。
勿論この石板の情報全てが、罠である。
……最初から最後まで『仲間を信じて』いられれば、最悪の結果にはならない。
けれど、侵入者達はもう、罠に捕らえられている。
邪神の罠は、侵入者達の心の中にある。
疑心、という、とても厄介でどうしようもない罠に。
実は、封鎖された部屋は1分経過した時点で邪神像が動いて『脱出路』が生まれ、『汝らは救われた。先へ進むが良い。ただし、邪神の宝を盗むことなかれ。決して振り返ることなかれ』という石板も現れる。
……そして、他の部屋と同じように宝の山の部屋に通され、『部屋の奥の壁にある隠し通路』が開いているので、そこからB14Fの迷路部分に入れる、ということになる。
封鎖された部屋の、『焼却される運命だった人達』が全員隠し通路を通ったら、隠し通路は封鎖されて、二度と開くことは無い。逆流防止も万全。
……そして、全員が部屋から移動したら、床や天井にこっそり嵌め込んである『火石(大)』によって部屋の中が加熱される。
『燃え尽きる』には到底足りない温度だ。だって、燃え尽きさせようと思ったらとんでもない魂量が必要だから。
でも、それで足りる。ただ、人を騙すだけなら、これで十分だ。
あとは、天井の仕掛けを作動させて、溶けて焦げた金属の塊や炭の塊や灰、そして燃えかけたスケルトンの死体なんかを幾つか室内に放り込んで、部屋の入り口が解除されたら終わり。
残りの4つの部屋の人達が駆けつけて扉を開ければ、熱い空気の中、熱い床の上に溶けた鎧や灰燼と化した人体(に見えるただの金属の塊と灰と別人の骨)を見る……ということになる。
それだけで、人は騙されるのだ。
誰も死んでおらず、誰も宝を盗んでいない。
でも、ダンジョンを疑うより先に味方を疑ってしまう。
『邪神の宝を盗んだ』裏切り者が、仲間の中に居ることを疑い始めるのだ。
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「……進もう」
茫然としていた俺達に声を掛けたのは、サイランだった。
「進んで……ストケシア姫を、救出しなければならない」
ルジュワンが何か言いたげに口を開いて、でも空気と一緒に、何の言葉も吐き出さなかった。
「……せめて、姫様を助けないと、何のために俺達来たか、分かんないっす、もんね……」
「ああ、くそ!……絶対、ここのダンジョンの親玉、ぶち殺すわよ」
スファーが零すと、ルジュワンが憎々し気に声を絞り出した。
俺達が失ったものは、とても大きい。
30人の兵と、大事な親友。
俺達をずっとまとめて、支えて、引っ張ってくれていたリーダー。
アークダル・ウィーニアの存在は、俺達にとって、とてつもなく大きかったのだ。
分かっていたはずだったけれど、喪ってしまって、益々重くその事実がのしかかっていた。
まだ熱の消えない部屋の中には、1つの石板が掲げてあった。
『道は開かれた。それぞれの邪神の元へ戻り、それぞれの道を進め』。
「……またバラバラに、ってことか」
「そうみたいね。……ま、丁度いいんじゃないの」
ルジュワンの言葉には棘がある。
だって、アークダルが死んだ原因は、誰かの『裏切り』にある、と考えるのが妥当だからな。
俺達4人は全員、宝の部屋の奥の石板に触れた。それは兵士5人ずつ計20人も証言している。
……だが、『燃え尽きる運命』は変わらなかった。
そうなると、『邪神の宝を盗むことなかれ』が達成されなかった、という事になる。
俺達の中に、裏切り者が居る、という事だ。
「……じゃあ、下のフロアでまた、落ち合おうぜ」
俺が言うや否や、俺達はそれぞれ、フロアの4隅へとまた散っていった。
心に疑心を抱きながら。
B14Fは、またオーソドックスなかんじの迷路だった。
だが、石造りの迷宮の中に鏡がはめ込まれている。
時々、鏡やガラスでできた通路があったりして、妙に室内の様子を把握しにくかった。
それでも進んでいく。魔物が時々出るけれど、相変わらず弱い魔物だから、何の問題も無く突破できた。
……そうして、どのぐらい進んだだろうか。
複雑な迷路を進んで、進んで、時々戻って、道に迷って。
そして、俺達は、遂に、分かれた仲間の姿を見つけた。
見つけて、しまった。
「おい……おい!ルジュワン!しっかりしろ!」
通路の壁にもたれるようにして、血だまりの中、座り込んでいる仲間の姿。
俯いた顔は見えないけれど、でも、あんな血だまりがあって、無事だなんて思えなかった。
俺はルジュワンに駆け寄り、せめて薬を、と荷物を漁る。
だが。
「ロイトさん!危ない!」
急に、バネッサが俺を突き飛ばした。
……バネッサの腹に、ナイフが突き刺さっていた。
綺麗な装飾のナイフ。『美』にこだわった一品なのだと、自慢していた、あの、ルジュワンのナイフが。
「……嘘、だろ」
座り込んでいたルジュワンは、バネッサの腹をその美しいナイフで突き刺したかと思うと、素早くナイフを引き抜いて、そのまま俺に向かってナイフを突き出してきた。
咄嗟に、俺は動けない。
「おらぁっ!」
……だが、俺は、死ぬことは無かった。
俺の目の前で、シリルが剣を振ったから。
大ぶりな一撃は、ルジュワンの腕を斬り飛ばし、そのまま勢い余って胸を大きく斬り裂いていった。
「ロイトさん!大丈夫ですか!」
「あ、ああ……だけど、ルジュワン、が……」
俺を助けるためにシリルはルジュワンを斬った。
分かってる。必要な事だった。なんでルジュワンが俺に襲い掛かってきたのかは分からないけれど……あの状況じゃ、仕方のないことだった。
でも、分かっていても、体の芯が冷えていくような、がらがらと足元の床が崩れ落ちていくような、そんな感覚を覚えた。
「……当たり所が良かったのか、悪かった、のか……ははは、ルジュワンさん、駄目だ。薬が、全然効きません」
俺の足元で血だまりを広げていくルジュワンは、ピクリとも動かなかった。
きっと、二度と。
ルジュワンがもたれていた壁付近の血だまりは、ルジュワンの物では無かったのだろう。
「……死んでる」
少し離れた場所に、5人の兵士の死体が無造作に斃れていた。
「ああ……!これ、これ……ルジュワンの、剣……」
兵士の死体に突き刺さったまま曲がって抜けなくなって、そのまま放置したらしい、剣。
その刃に刻まれた文様には、見覚えがある。ナイフ同様、いや、ナイフ以上にルジュワンがこだわっていた一品だった。
「これ、ルジュワンが、殺した、のか……」
5人の死体は、当然、ルジュワンと行動を共にしていた5人だった。
恐らく、この5人の血で血だまりを偽装して、ルジュワンは不意打ちを仕掛けてきたんだろう。
……ルジュワンらしいといえば、ルジュワンらしいやり方だった。
「なんでだよ、なあ、ルジュワン……」
俺の声に答えは帰ってこなかった。
流石にもう、心が参っていた。
アークダルが火に焼かれて死んで、ルジュワンは味方の兵を殺して、さらに、俺を殺そうとしてきて、返り討ちになって死んだ。
……5人の親友の内2人が、こんなにも呆気なく死んでしまった。
最強の仲間だった。俺達5人揃えば、『王の迷宮』ぐらい、なんてことなく踏破できるって、信じて疑わなったのに。
……どうして、こうなったんだ。
「……ロイトさん」
頭を抱えて蹲る俺に、恐る恐る、という具合にディラが声を掛けてきた。
「ルジュワンさん、宝石も装飾品も、持っていません」
「……え?」
「分からないけれど……この迷宮のどこかに、一度盗んだ宝石を隠した可能性だってありますけど、でも」
言われなくても、分かる。
ルジュワンは、宝石も装飾品も、持っていなかった。
つまり、簡単に考えれば、『ルジュワンは邪神の宝を盗んでいない』。
……なのに、俺を殺そうとしてきた。
「どういう、ことだ……?」
可能性が頭の中に浮かぶ。
ルジュワンはもしかして、嵌められたんじゃないのか。
では、誰に。
……それは……真の、裏切り者、に?
ぐるぐると、俺の頭の中に色々な考えが浮かんでは消えていった。
その考えのどれもが、仲間だった者を疑うもので、或いは、自暴自棄によって生まれた荒唐無稽な可能性で。
つまり、俺は……もう、何も信じられなかった。
ただ停滞し続ける俺達の耳に、足音が聞こえてきた。
かつ、かつ、と規則正しい足音が誰のものか、俺には分かる。長い付き合いなのだから。
黙って俺が剣を抜くと、4人の兵も剣を抜いた。
……そして、足音が迷路の曲がり角を曲がってきた、その瞬間に俺は剣を構え、あらゆる攻撃に備えた。
「ロイト!」
しかし、目の前に現れた仲間……サイランは、剣を構える俺達を警戒しても、攻撃はしてこない。
油断はしない。油断して助けようとしたところを刺しにきたルジュワンの事を忘れられるわけがない。
「……おい、ロイト。まさかそっちには……アークダルか、ルジュワンかが襲ってきたか?」
「……は?」
が、どうにも、襲ってくるための演技にしては、サイランの様子はいつも通りだった。
「俺のところにはスファーが来た。トラップに掛かって動けない様子だったところを助けようとしたら、急にトラップが解除されて襲い掛かってきた。……加減ができずに深手を負わせてしまったが、薬が効かなかったところを見ると、どうもゾンビだったらしい」
「……え」
サイランの言葉の意味を考える。
……俺に襲い掛かってきたルジュワンは、じゃあ。
「俺の方は……ルジュワンが、血だまりに座り込んでて……助けようとしたら、ナイフで突っ込んできやがった」
「そっちもゾンビだったか」
分からない。そんなこと、確かめもしなかった。
だって、ルジュワンが死ぬなんて、誰かに負けるなんて、思わなかったんだから。
「薬は、効かなかった」
「……そうか、なら多分、そっちにもゾンビにされた仲間が、という事なんだろうな」
サイランの言葉に、俺の中で何かが溶けていくのを感じた。
仲間に裏切られた可能性。そして、俺自身が仲間を殺してしまったという事。
……そういったものが全部溶けて、綺麗になっていく。
仲間の死によって胸に空いた穴はぽっかりと虚ろなままだけれど、そこに詰め込まれた疑心と恐れと罪悪感が消えていくだけで、随分と楽になった。
「……じゃあ、裏切り者は」
「恐らく、このダンジョンは最初からああいう仕掛けだったんだ」
結論が出ちまえば、立ち直るのも速かった。
仲間は3人、死んじまった。
だが、まだ、俺にはサイランが居る。
そして、俺達を待つストケシア姫も。
「姫が待ってる、よな」
「ああ。行こう」
希望はまだ、捨てない。
もう、このダンジョンの悪意に惑わされはしない。
俺達は確固たる意志で、次の一歩を踏み出した。
サイランとサイランが連れていた兵士4人(やっぱり1人は死んじまったらしい)と一緒に進む。
さっきとは心境がまるで違う。
もう何も恐れないし、もう惑わされもしない。
……だから、脚をトラバサミに挟まれているアークダルを見ても、落ち着いて対処することができた。
「アーク、ダル……?」
あの部屋で焼き尽くされて死んだはずの仲間の姿に、一瞬、心が揺らいだ。
喉をやられているのか、声を出さずにぱくぱくと口を動かす仲間の姿を見て、剣では無く鞄の薬へと手を伸ばしかけた。
「ロイト、分かっているな」
「……ああ、俺は大丈夫」
だが、もう惑わされない。
俺とサイランは剣を抜いて、一瞬でアークダルだったものに間合いを詰めた。
そして、いつもどおり、抜群のコンビネーションで剣を振り、アークダルだったもの……恐らく、ゾンビか、幻覚を見せる罠の類か……そういった何かを、斬り捨てた。
最後まで俺達を見つめていた瞳に罪悪感が湧きかけたが、それでも、俺達の剣はぶれることがなかった。
そのまま進み、B14Fを抜けた。
B15Fは花が咲き乱れる迷路だったが、特に何も問題なく進めた。
……そして、B16Fでは、俺とサイラン、他の8人の兵士、というように、2手に分断されてしまった。
8人の兵士達を信じて進んだが、結局、8人と合流することはできなかった。
そして、B20F。
俺とサイランは、2人揃ってB20Fへの階段を下り……その先で、見知った顔を見つけた。
「……メイズ?」
城で会った、女剣士。1人でダンジョンに潜って、大粒の宝石を持ちかえった腕利きの冒険者。
メイズ、と名乗った彼女が、そこに居た。
……だが、様子が、おかしい。
彼女は真剣な表情で剣を構え、俺達を……いや、サイランを、警戒していた。
「ロイトさん、すぐにその人から離れてください」
何を、と、聞く間も無かった。
瞬時に飛んできたメイズによって、俺は床に押し倒される。
そして、メイズの体で見えはしなかったけれど、俺達の頭上を水魔法が飛んでいったのが分かった。
直後、剣のぶつかり合う鋭い音が響く。
瞬時に体勢を立て直したらしいメイズの剣と、サイランの剣がぶつかり合う音だった。
「ロイト、さん!この人が、この人が裏切者です!ストケシア姫を攫ったのも、あなたの、仲間を手に掛けたのも!」
メイズの言葉はどこまでも真剣だったけれど、咄嗟に俺は何のことか分からない。
「おい、メイズ、やめてくれ、そいつは俺の仲間で」
「ロイトさんは騙されているんです!」
「なっ、ロイト、誤解だ、俺は」
メイズがしなやかに体を捻って身を縮めたかと思うと、伸びあがるような鮮やかな動きでサイランの剣を弾き、サイランの鎧に向かって、剣で一撃を繰り出した。
……サイランの鎧を繋ぐ革のベルトの一部が切れ飛び、鎧のパーツが床に落ちた。
「なっ……!?」
サイランが絶句し、メイズが口元を引き結ぶ中、俺にも、良く見えた。
サイランの鎧のパーツと一緒に、豪奢な首飾りが、床に落ちていた。
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