19話
「大洪水」
これは、想像以上に想像以上だった。
畑エリアだった場所は、大変なことになっていた。
油。とても油。そしてオリーブ。
一面油びたしになっており、土も作物も、スライムが食べるのが間に合わないオリーブの実も、油の底に沈んでいる。
スライムが作った油が土に染み込まないように、なんて配慮である程度タイル張りにしたりしたけれど、それも全て無駄になるレベルで油。部屋一面が油。
スライムたちは油の海に沈みつつ、オリーブの実を食べて、油を生産し続けている。
……そして気になるオリーブの木はというと、私が見ている先で、ぽこぽこぽこぽこ実をつけては完熟させ、スライムたちの待つ油の海に実を落としていくのであった。
まるで、オリーブの雨である。どうしてこうなった。
「速すぎる……」
なんでだろう。なんでこんなに成長が早いんだろう。肥料が良かったのかな。
とりあえず、ダンジョンの回収機能で油を全部回収した。
改修した油はB3Fの迷路に、落とし穴を埋めることを優先して流し込んでいく。
ダンジョンの回収機能は優秀で、土に染み込んだ油も回収できたらしい。
……流石に、何度も畑を油びたしにしたくはないから、今後の対策は考えなくちゃいけないけれど。
まずはスライムメーカーを稼働させてスライムを新たに生み出した。
どう見てもオリーブの生産速度にスライムの処理速度が追いついてなかったから。
「生まれた子はあっちね。皆でオリーブを食べて油を作ってね」
そして、スライムメーカー生まれたスライム達は、一列になってオリーブ畑の方へと這っていくのだった。
スライムを60匹程量産したらオリーブの生産速度を処理速度がやや追い越すぐらいになったようなので、スライムの生産をストップ。
あとは、生産された油をこまめに回収してあげるだけだ。
さて、スライム達が働くのを眺めながら、今回のオリーブの異常な成長速度について考えよう。
……とはいっても、もう答えは出ているようなものだ。
何故なら、今回、下草がほとんど成長していないから。
前回は下草が膝上まで伸びていたけれど、今回はそんなこともない。
大豆やトマトなど、オリーブ以外の作物も、実りすぎて怖い、なんてことになってない。
……つまり、今回はどうも、ダンジョンへの経験値のほとんど全てが、オリーブへ集中したらしい。
ダンジョンは私の一部だから、私の意思の影響を受けてもおかしくない。
多分、私が『オリーブを育てたい』と思ったから、オリーブだけに成長効果が集中したんだろう。
前回の時点でそれができていればあんなに草ぼーぼーな事にはならなかったんだけどな。
このダンジョンは私の手足。もっと上手に色々な物を制御できるようにならなくては。
それからご飯を作って美味しく食べて、デザートに林檎を食べて、少し昼寝して……そしてようやくオリーブの生産速度が緩やかになった。
その頃にはもう、オリーブの木達はすっかり成長していて、畑の部屋の天井全てを覆い尽くさんという巨木になっていた。ここまで来ると怖い。
そして、回収できた油の量も凄まじい。
……なんと、B3Fの迷路の落とし穴を全て油で埋め、更に迷路全体に8cm程度の深さに油を流すことができたのだ。
「すごい、本当に透明になっちゃった」
実際に見に行ってみると、ガラスと油の迷路の凶悪性がよく分かる。
床に敷かれているはずのガラスは存在が分からず、ガラスの底の鏡と自分の足との距離に違和感があっても、『光石(極小)』の輝きによって誤魔化されてしまう。
そして、ガラスの落とし穴は完全に見えなくなっていた。当然、そのそこにあるガラスの剣山も。
……これは、すごいものを作ってしまった。
しかし、このダンジョン、1つだけ欠点がある。
「……油の海に、違和感を持たれそう」
鏡の上に並々と湛えられたオリーブオイル。
私は別にオリーブオイルがそんなに好きな訳でもない。だからこんなにオリーブオイルが湛えられた迷路には違和感しか覚えない。
そして、オリーブオイルが大好きな人にとっても、きっと十分に不思議な眺めだろうと思う。
……とにもかくにも、この迷路に油があるということは、違和感でしかなかった。
何が違和感なのか考えてみたら、『色』なんじゃないか、という結論に至った。
オリーブオイルはオリーブオイル色。黄色と緑の中間ぐらいの透き通った色をしている。
……こんな色が付いているから、この迷路に違和感を与えてしまっているんじゃないだろうか。
ダンジョンの合成機能を応用して、迷路のオリーブオイルを精製した。
すると、少々量は減ってしまったものの、油は透明に近い色になる。
透明な油は鏡やガラスとも馴染んで、『こういう趣向なんですよ』と言い張ればギリギリ通るぐらいの眺めにはなった。
……まあ、多分、侵入者には油=トラップ、っていう認識でいてもらえるだろう。多分、ガラスの剣山を隠すためにわざわざオリーブの実数トン分のオリーブオイルを使ったなんて思われないと思う。多分。
とても美しい鏡とガラスと油の迷路ができてしまったところで、今回手に入ったアイテムを整理しておこう。
鎧や剣が人数分手に入るはずだったのだけれど、そのうちの一組は運悪く全壊してしまった。
まるっきり原型が無くなるレベルで破損されちゃうと、もう修理のしようも無いから、鉄くずとして還元するしかない。
それから、お揃いのマントが8枚、ちょっと豪華なマントが1枚。
薬の類もとっても豊富だ。上級薬ばかり10個も手に入った。貴族っていうのは本当だったらしい。
食料の類もそこそこあるし、アクセサリーの類もそこそこ多い。
……けれど、相変わらず寝具は一切無いのだった。
干し草のベッドがあるからいいんだけれど……。
スキルは《一刀両断》と《慧眼無双》と《人面桃花》。
案外少なかった。魔法が1つも無い。
うーん、今回の人達だって、そんなに弱い人達じゃなかっただろうに、なんだってこんなにスキルオーブが少ないんだろう。
スキルオーブの出現というか、スキルの出現には何か条件があったりするんだろうか。
スキルの割り振りは簡単だ。
《一刀両断》はもうソウルナイフにしか必要ないからすぐ決まり。
《慧眼無双》は私に使った。
……このスキル、どうやら、観察眼を優れさせるスキルらしい。
多分、道中のトラップを見破っていた人が持っていたんだろうな。
私がトラップを見る必要はないけれど(机の下に隠した自分の指を見るようなものだから)、侵入者の目線が分かるのはいいかもしれない。
……最後のは……とりあえずよく分からないから大事に大事に保管しておこう。死蔵とも言う。
さて、これで魂は136959ポイント分。
早速、ダンジョンの強化に使っていこう。
B4Fはひとまず、B2Fのトラップ部屋みたいな部屋1つだけにしておく。後で改築する予定だけれど、今のところはB3Fまでで侵入者は全滅させる予定だ。
その代わり、B1FとB2FとB3Fの強化を行おうと思う。
最初に、B3F。
スライムメーカーに油を入れて、油スライムを数匹作った。
油スライムはあくまで、トラップへのつなぎ。油スライム自身が侵入者にとどめを刺すことは無いようにするつもりだ。
「ご飯は別にあげるから、迷路の中の油は食べないでね」
そして、油が主食の油スライムにそう釘を刺してから、彼らをB3Fの油の海へと放つ。
小ぶりに作った油スライム達は、油の海に器用に沈んで隠れて見えなくなった。
これで、侵入者が足を滑らせる可能性はぐんと上がった。
そこから次のトラップへ繋げていけばいいだけだ。
続いて、B1FとB2Fの強化。
その為に、またしても畑へ行く。
……しかし、畑は通り過ぎて、その奥に作った部屋に入る。
「育ってる育ってる」
そう。そこにあるのは毒草畑。
森から採ってきた毒草を植えた畑には、瑞々しい毒草がいっぱいに伸びている。
……毒草だと思うと毒々しい。
毒草を回収したら、またしてもスライムメーカーのお世話になってスライムを作る。
スライムに毒草を食べてもらって、毒を抽出してもらおう。
……と思った。
思ったのだけれど、上手くいかなかった。
結論から言うと、毒草をスライムに食べさせた結果、毒スライムが出来上がった。
毒スライムは生物に触れていると、その生物を徐々に毒に侵していく性質を持っているらしい。
……そう。お薬スライムが居るのだから、毒スライムが出来上がってもおかしくなかったのだ。
失敗した。最初から水スライムではなく、油スライムにお願いするべきだった……あれ、いや、もしかして、油溶性の毒もあったりするんだろうか……。
しかし、毒スライムのままではどうにも使い勝手が悪い。
侵入者を倒した者に経験値が入るシステムからして、毒スライムという形はとても厄介なのだ。
……なので、しょうがない。
最悪、スライムが死んでしまう可能性も考慮した上で……スライムを水と合成した。
毒スライムがつぶれて、毒の水たまりになる。
そしてそれと同時に、桶に汲んだ水がもぞもぞぷるぷる動き出して、スライムになった。
……リビングアーマー君でも同じことができるから、もしや、と思ったのだけれど……スライムも、ボディチェンジができるらしかった。
ああ、よかった。これで、毒の問題も解決した。
スライムを殺すことなく、毒を採ることができるのだから、これからも毒をどんどん生産していこう。
毒は消耗品だから、たくさんあっても困らない。
出来上がった毒は、飛び出す槍や壁から射出される矢のトラップと合成していく。
そうして出来上がるのは、毒槍に毒矢。侵入者に掠りさえすれば、濃縮された毒が侵入者を蝕む。
毒は侵されてから時間を置けば置くほど程度が進行していくから、B1FやB2Fに使いたかったのだ。
特に右ルートの迷路では、集中力が切れた侵入者がトラップに掠ることも珍しくない。
そのトラップに毒が仕込んであれば、トラップに掠っただけで致命傷とすることも可能だ。
これでダンジョンの殺人力は大いに増したと思う。
次に団体の侵入者が来た時、真価を発揮してくれるだろう。
これで残りの魂は、119503ポイント分。
これで何をしようかな、B4Fをもっと本格的に拡張した方がいいか……それとも、もっと別な事に……。
どうしようか考えていたら、リビングアーマー君がじっ、とデスネックレスを見つめている事に気付いた。
「リビングアーマー君もデスネックレス、装備する?」
聞いてみると、リビングアーマー君はゆるゆると首を横に振った。
そして、デスネックレスの中心、ミントブルーの宝石に触れる。
宝石に触れたガントレットの指はそのまま引き返していき、リビングアーマー君の胸元に到達した。
……あ。もしかして。
「そういえば、宝石飾りの鎧、侵入者の鎧の中にあったね」
該当の鎧は、貴族が身に付けていたものだ。
白銀の鎧の胸部には、金で品良く模様が入れてある。
そして、その模様の中央には……宝石が嵌っていた『跡』がある。
「でも、割れちゃったんだよね」
そう。貴族はどこかの罠で、鎧の胸部の宝石を砕いてしまったらしかった。
砕けた宝石は回収できなかったから、粉々になってゴミ判定になってしまったんだろう。
「この鎧自体は全身鎧じゃないし……リビングアーマー君はこの鎧に着替えたい、っていう訳じゃないんだよね」
私の問いに、リビングアーマー君はこくこく頷いて見せてくれた。
うん、やっぱり、ただ宝石が欲しいだけらしい。
なんとなく分かる気がする。だって、貴族が身に付けていた鎧、かっこいいもん。リビングアーマー君だってお洒落したいお年頃なんだろう。
「じゃあ、この鎧から金をとって、それと別に宝石を作成して、それをリビングアーマー君に合成すればいい?」
リビングアーマー君はこくん、としっかり頷いて見せてくれた。
が。
「意外と高い」
……宝石というものは、どうにも高い。
貴族の鎧に付いていたぐらいのサイズ……親指の爪4つ分ぐらいのサイズの宝石1つだと、魂10000ポイントが簡単に消し飛ぶ。これちょっとバランスおかしくない?
でも、理由は簡単だ。
ダンジョンにおいて、宝石とは『お宝』かつ『嗜好品』だから。
……実際、このサイズの宝石ともなれば、ダンジョンの外でも相当な値のものになるはずだ。本来、ダンジョンのお宝の目玉みたいに扱ってもいいものなんだろう。
そう考えれば多分、このサイズの宝石1個がてるてる坊主さん約10人分、っていうのは、そんなに外れてないんじゃないかな、と思う。或いは、そこそこの冒険者1人分。あれっ、そう考えると、てるてる坊主さんの価値は冒険者の10分の1……?
てるてる坊主さんの価値について考え始めたところで突如、リビングアーマー君がもじもじ、というか、おどおど、としながら、首を横にぶんぶん振り始めた。
「どうしたの?」
リビングアーマー君は胸を指し、それから腕で×の形を作り、ますます激しくガシャガシャと首を横に振る。
まるで、宝石は要らないです、とでも言うように。
……もしかして。
「コストの事、気にしてる?」
リビングアーマー君は、気まずげに頷いた。
気持ちは分かる。
ちょっと欲しいな、と思ったものが、予想以上に高値だったら、ねだる気にもなれないだろう。
……確かに、10000ポイント分の魂は、ちょっと出費、かもしれない。でも、そのぐらいなら冒険者1人分だし、構わない、とも思うのだけれど。(宝石のついたリビングアーマー君をダンジョンのお宝にすることも考えれば十分アリかな、と思わないでも無い。)
けど、リビングアーマー君はそれじゃ納得してくれなさそうだ。実際、お宝は世界のコアで間に合っているのだし、遠慮する相手に押し付けても、余計に気まずい思いをさせてしまう。
なんとかして、リビングアーマー君が遠慮しないような宝石を作れないものだろうか。
なんとかして、宝石を、作る。
……作る。
「そうだ、作ろう」
このダンジョンで大事にしたいことは、その投資が後々まで役に立つかどうか。
長く使えるものを、というのが私の判断基準。
……だから、ここで1つ、お宝製造機を作ってもいいんじゃないかと思うのだ。
侵入者が持ち帰ってもあまり痛手にならない、それでいて侵入者にとってはとても価値のあるお宝。
人工宝石、とてもいいと思うのだけれど。




